2017.02.19 1978年2月19日
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 今から39年前の2月19日。キヨタはロシア(当時のソビエト連邦)の首都モスクワで朝を迎えました。2月14日に横浜からナホトカ行きの船に乗り、ハバロフスク経由で18日にモスクワに到着しました。
 
 
 海外渡航が自由化されたのが1964年。その3年後に発表された五木寛之の『青年は荒野をめざす』に触発された多くの若者が、この小説のルートを伝って横浜~ナホトカ~ハバロフスク~モスクワへ向かい、さらにヨーロッパへと旅立っていきました。

 小説の主人公と同年になった20歳の私もまたナホトカ航路の線上にいました。海外渡航が自由化されて僅か14年後でしたが、父が外国航路の船乗りだったこともあり、私にとって「異国の地」はそれほど遠いものではありませんでした。

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 小説の主人公のような波乱に富んだ旅ではありませんでしたが、機会があればまた辿ってみたい旅路です。ただ、残念ながら、横浜~ナホトカ航路は既に廃止され、船で渡るとすれば新潟港から目指すことになります。そして、20歳だったからできたことが、この歳になるとできなくなっていることもあるかも知れません。

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 立春を過ぎたとは言え、まだまだ寒い日が続きます。それでも梅一輪は春が遠くないことを知らせてくれます。そんな早春の東京で楽しい出会いと嬉しい再会がありました。
 新しい出会いは2月11日夜、東京の新宿で「愛媛県人関東支部」の新年会に参加しました。 県人会関東支部の集まりに参加するのは初めてでしたから、お会いする方々も初対面ばかり。会場に着くまでは幾ばくかの不安も抱えてはいました。それでも、そこは同県人同士、開宴間もなく打ち解けさせていただきました。
 県内全域から30人余りが参加、20代から50代前半の方々が大半だったでしょうか、見た目、キヨタは上から2番目くらいだったかもしれません。故郷を離れ、各方面で活躍されている若い人たちの姿はおじさんにも活力を与えてくれますね。19時から始まった会、2次会にも参加し、終電ギリギリで帰宅。

新年会場近くの「花園稲荷神社」境内の梅。

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こちらは横浜の自宅近くの梅。

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  翌12日は、一転して凡そ30年ぶりに大学のゼミで一緒だった学友2人と再会。学内でもかなり真面目に勉強する20人余りいたゼミ員の中でも、特に真剣に取り組んで(!?)何故か気の合った4人組。卒業後も何度か飲みに行ったり、泊りがけで遊びに行ったりの交友がつづいていましたが、30歳ころから会う機会が有りませんでした。その内の2人とは年賀状のやり取りは続いていて「今年こそ会おうね」と書きつつ実現できなかったのですが、還暦を迎えるに当たり漸く、3人で会うことができました。勿論この再会、30年の時空を超えるには時間はかかりませんでした。昼間の12時前から19時過ぎまで、互いに覚えていたこと、忘れていたこと、懐かしいこと、そして今のことの話が続きました。仕草や表情も当時のままでした。キヨタの卒業した大学創設者の理念は「大学は学問を通じての人間形成の場」ということでしたが、改めてあの4年間で作られた人間性、そしてそこで得た友の重さを感じました。

 カウントダウンの始まりが近くなる年齢になりますが、いつまでも出会いと再会は大切に繋ぎ留めておきたいと感じます。

 節分の豆を60個も食べると流石にお腹が張りますね。

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 今治市の東南端にある「野々瀬古墳群」。6世紀後半から7世紀後半にかけて造られた円墳群。昭和初期には凡そ100基以上が確認されていましたが、戦後の食糧増産に伴い林が開墾され古墳も破壊されたそうです。現在では20基程の墳丘や石室が残っています。古墳はお墓なので大切に保存されるべきでしょうが、今を生きる人の生活も考えますと、折り合いの付け方は難しいです。

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 その野々瀬古墳群の中で一番大きい「七間塚古墳」。構造や出土品から7世紀前半に造られたとみられています。墳丘の直径は18m、高さは6mです。

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石室の奥行きは9m、高さは2.2mあります。石室の入り口の上に置かれている大きな石に目を惹かれます。それを支える縦に積まれた石組も丁寧に出来上がっています。1,400年の時を経てもなお、揺るぎない姿を見せています。

「五間塚古墳」は二番目に大きく、「王塚」とも呼ばれているそうです。直径は15~16m。
石室への穴を進むと、玄室(石室本体)との境の両脇に縦に袖石が構えられているそうです。
玄室の高さは2.6m、最大幅2m、奥行きは6mもあります。石材は大型の花崗岩が用いられています。

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こちらは大小3つの円墳が肩を寄せ合っています。両親と子供、かな。

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今回、初めて訪ねて来ましたが、朝倉にこのような古墳群があるとは思いもよりませんでした。教科書などに出て来る古墳とは違いますが、古代の人々が死者を祀る思いに違いはないでしょう。今回回った他にも、2か所の古墳群があるようです。それも合わせて、次回はもう少し時間をかけて歩いてみようと思います。


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 「多岐宮古墳」から県道へ戻り南東へ300m程の所にある「樹之本古墳」。前方後円墳ですから時代的には他の朝倉の円墳より1世紀以上は古いはずで、相応の勢力を持った一族の長のお墓かも知れません。ここからの出土された埴輪などは東京国立博物館にも保存されているほどの貴重な物で、特に「漢式獣帯鏡」には「長相思 母常忘 楽未央」という九文字の銘があるそうです。現物を見てみたいと思います。

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 ただ、古墳の規模は小さく、高さもありません。それと知らなければ気づかず通り過ぎでしまうかもしれません。その古墳の上には近隣にあった浄禄寺を開き、水路を作った尼僧が祀られているそうです。

 「樹之本古墳」の直ぐ近くに「一本松(根上り松)古墳」があります。こちらも小さな円墳で、台風で松の根元から銅鏡が出土したことで発見されました。古墳脇には多岐宮などへの道程を示す石碑があり、この松も一里塚として植えられたのか、とも言われているようです。

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 ここから更に3㎞程南東にある一番規模の大きい「野々瀬古墳群」を目指します。
 

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 牛神古墳から県道155号線を南東へ200m程進みますと多岐宮への案内板が見えます。それに従い田園の中を山間へ向かって入って行きますと、多岐神社本殿に至ります(由緒ある神社ですが、ここのご案内は別稿で)。

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 神社本殿右脇から雑木林の中へ、探検家になった気分で道なき道を分け入って行きますと東西凡そ300m、南北凡そ100mの範囲に多岐神社古墳群があります。一面、木々落ち葉や折れ枝が地面を覆っていますので注意して下さい。蜘蛛の巣が至る所にありますから帽子は必需品で、足腰や方向感覚に自信のない方は1人では歩かない方が良いかもしれません。また夏でも長袖長ズボンが必要かと思います。

 一見、何気なくみえる雑木林の中には5世紀から7世紀の間に造られた30基ほどの横穴石室を持つ小さな円墳が点在しています。その殆どは高さ、直径とも1m程の小さな古墳ばかりです。一番大きなものでも直径15m、高さ3mほどです。それぞれが独立した古墳というより、神社の裏山全体が大きな古墳で、その中に一つ一つ石室が造られていった、と言う感じもします。少し盛り土された感じの所が古墳ですが、樹木が立っていますから、石室が開かれていなければ、古墳とは気づかないかも知れません。もしかすると、まだ発掘されていない石室があるかも知れません。

手前の石組みが石室の入り口です。

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樹木の根元の盛り上がった所が古墳です。

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 多岐神社の参道入り口付近に禰宜屋敷古墳群があります。6基が確認されていて。多岐神社の禰宜さんがこの近くにあったことから名づけられた、とも言われています。見た限りでは、古墳の上の僅かな部分だけが道路上に現れている感じですが、直径13m程の墳丘だったと推測されているようです。ここから出土された土器などは朝倉古墳館に保存されています。

 ここから500mほど、古墳館へ戻る方角にある樹之本古墳へ向かいます。



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