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2019.04.09
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2019.04.07 一区切り
この度、予定より3年早く39年間のサラリーマン生活を卒業することとになりました。年数を距離に置き換えますと、マラソンのゴール42kmまで後3kmの39km地点でのリタイアです。マラソンレースなら歩いてでもゴールできるところですが、まぁまぁ良いサラリーマン生活だったかな、と思います。山あり谷あり、毀誉褒貶もありました。楽しいこと、辛いこともありました。それでも一言で尽くせば「面白かった」。
先日、新社会人になって初めて配属された部署の上司と30数年振りにお会いしました。多分にお世辞もあったでしょうが、「良い顔になったね。」と言ってくださいました。確かに、思い起こせば、出来の悪い新人でしたが、それなりに成長はできたのかな。
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今治市の北端、瀬戸内海に突き出た三角形の高縄半島の突端にある大角鼻。四季折々の景色を楽しむことができます。
2月上旬は、咲き誇った水仙とちらほら咲きの河津桜を楽しむことができます。

故郷を出る勇気はあったけれど捨てる根性はなかった。ましてや故郷から捨てられる覚悟など。

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さだまさしの『駅』。都会から泣き腫らした目で帰って来た友を駅のプラットホームで出迎える。都会でのことは誰も知らないし、語ることもいらない。帰って来たことで全てを忘れられたら良い。改札口を抜けたなら故郷は春だから。
 私の精神の支柱となる四人の内の最後の方が、年明け早々に亡くなった。梅原猛氏。「梅原日本学」は世に広まった呼び名だが、この方の肩書を一言で括ることはできない。哲学者であること間違いないのだろうが、日本古代学、仏教論、更に後年はスーパー歌舞伎も手掛けられた。
 この方の著書に初めて出会ったのは、20代半ば。『神々の流竄』だった。大和政権によって敗者として出雲に追われた神々がテーマだった(ただ、後年『葬られた王朝』により自らの説を否定するという勇気ある著書を出している)。次は、『水底の歌』。斉藤茂吉によって定説とされている島根県鴨山山中で客死したとされる柿本人麻呂像を覆し、島根県沖で刑に処せられ水死したとの説を唱えた。『隠された十字架』では法隆寺は聖徳太子の怨念を鎮めるために建てられたと論じた。何れも、時の権力者によって葬られた敗者に目を当てた著書だった。
 そして著書以外でも、脳死を人の死とすることに異論を、そして九条の会では非戦を唱えた。

 冒頭の言葉は、梅原猛氏を良く知る方の梅原氏の人物評だ。それまでの常識や定説を是とせず、権力者に与することもなく戦った。それでも相手をこき下ろすことはなかった、という。思想・信条、生き方が異なるとしても相手の人格は否定しない。これは、人として心しておかなければならないことと思っている。

 社会で蔑にされ置き去りにされた人たちへの苦しみを分かち合わんとの思いと、その人たちへの真の優しさ。それは、つかこうへい氏、早坂暁氏、そして半村良氏、他の3人にも共通する思いを感じる。
2018.12.15 『神田川』
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 1976年.キヨタは高校を卒業し今治を離れ一人暮らしを始めた時の部屋は木造モルタル塗り2階建ての四畳半ひと間のアパートでした。風呂とトイレ(と言うより便所)は共同。台所もなく三和土の脇に洗面台とコンロが1台置けるほどのものでした。家賃は9,000円だったと思います。それでも南側に大きな窓があり天気の良い日中は夜明けから日没まで陽のあたる部屋でした。
 
 その少し前から『四畳半フォーク』と呼ばれる歌が世に広まって行きました。若い男女の貧しい暮らしを描いた音楽です。それ以前には体制批判的な社会派フォークが若者に受け入れられていましたが安保闘争が終焉した後、抒情的なフォークソングが生まれました。

 『四畳半フォーク』の代表としては。男性3人グループ「かぐや姫」の『神田川』と『赤ちょうちん』です。『神田川』が発表されたのは1973年。キヨタが高校1年の時です。深夜ラジオから流れて来た曲は、女性の側から描いた詩とバイオリンの音色が醸し出すもの哀しいものでした。何度も何度も聴きたくて初めて買ったレコードでもありました。当時、表裏に1曲ずつ収録されたシングルレコードは500円だったと記憶しています。
 この詩の中で今でも一番印象に残るのは「(男性が)二十四色のクレパス買って あなたが描いた私の似顔絵 上手く描いてねって言ったのに いつもちっとも似てないの」というところ。恐らく女性が描いて欲しかったのは外見の顔かたちだけでなく、今の生活に対する細やかな幸せとそれ以上に大きな将来への不安だったのではないでしょうか。それなのに男性は女性の内面を分かろうとせず描けなかった。だから「ちっとも似てないの」と感じたのでしょう。そんな二人のアパートの「窓の下には神田川」。

『赤ちょうちん』で歌われている状況もほぼ同じです。「雨が続くと仕事もせずに」「それでも時々寒い夜 赤ちょうちんに誘われて おでんをたくさん買いました」。女性は男性を「別れた 寒い夜 公衆電話の箱の中 膝を抱えて泣きました。」

 その神田川は、東京都の中西部にある井の頭公園から途中で高田馬場付近を流れ都区内をほぼ東西に横断し隅田川に注ぐ凡そ25㎞の川です。『神田川』の舞台になったのは、高田馬場付近と言われています。先日、所用があり高田馬場に行きました。お目当てのイベントには少し時間がありましたので、駅周辺を歩いていると、まさにこの2曲に相応しい(勿論、実際の場所ではありませんが)雰囲気のある場所に行き当たりました。

 
 『神田川』で「赤い手ぬぐいをマフラーにして 二人で行った横町の風呂屋」とは別のお風呂屋さんでしょう。
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 窓の下を神田川が流れるアパート(これも別の建物です)
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 月に一度の贅沢でお酒を飲んだ赤ちょうちんのあるおでん屋? 
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