「誰かがやる」ではない。「僕らがやる」

 今日のタイトルはリンク先のCoCのお二人のサブタイトルから勝手に使わせてもらいました。20歳代前半の若者から、私が忘れそうになることを、教えられます。

 自分の所属する会社や組織に対し、100%満足しているという人は、むしろ珍しく、多かれ少なかれ何かしら考えるところはあるでしょう。そして、会社や組織をより良くして行こう、という気持ちを持っている人も少なくありません(全ての人とは限りませんよ)。

 良くしていくために、意見を述べる。これは大切なことです。しかし、それだけでは組織は良くなって行きません。今ある問題を解決するために実際に行動することの方がより大切で、難しいことです。

 しかも、ただ漠然と、良くして行きたいと思っているだけでも足りません。良くして行くにしても、何を、どのように、どこまで良くしていくのか、とう目標や目安を明確にしていなければ、どれだけ良くするために努力し行動しても、結果に対して不満が残ります。

 そのためには先ず、今ある組織の、何が問題なのか、どこを解決していかなければならないのか、ということを具体的に列挙する必要があります。そして、それらの問題点があることによって、自分たちが組織の中で活動するに際し何がネックになっているか、実例をあげていきます。しばしばあるのは、イメージ的に、やることをやっていない人がいるとか、やり方が足りないとか、という印象が先行している場合もあります。かなり以前に、人はやってもらってありがたい、といことにそのうち慣れて、やってもらって当たり前、更にやってもらうことに不満足、という過程を踏むことを書きました。それに照らし合わせて、今問題と思われていることが、実際の日頃の活動の中で、どのような支障が出来ているのか、具体的な事象を考えなければなりません。

 そのうえで、問題を解決するために、対応を考え、実際に行動していくことになるのでしょう。行動の伴わない発言は誰にでもできます。肝心なのは、行動すること。言った以上は、それを解決し改善するためにはその人自身が先頭に立って行動すべきです。言うことは言うけど、行動は誰かがやる、ではあまりにも無責任というものです。

 任意団体やグループにも、とりまとめをする会長とかそれを支える副会長その他業務を分担するスタッフがいます。会社などと異なるのはそれら役を受け持ったりスタッフを務めてくれている人は、無報酬です。なんらの見返りも期待しているわけではありません。しかも、その人たち自身の仕事や生活を抱えたうえで受け持っているのです。いわばボランティアのようなものです。また、当然、一人の人が出来ることの限界はあります。会長が出来なければ副会長が、副会長でも手が回らなければ事務局が、それでもまだ足りていないことがあれば、メンバー全体でサポートすればいいのです。ただし、やってくださいと言われたらやります、という姿勢ではなく、自ら積極的に手を出してもらわなければ、却って協働出来ません。人の感情として、自分で積極的に手を挙げるより、人から推されて頼まれて、「そこまで仰られれば、微力ながらお手伝いさせていただきましょう。」という方が格好つきやすいような気がします。だからこそ、自ら手を上げてくれる人でなければボランティアは務まりません。サポートを広げすぎても収集がつかなくなることもあります。組織がある以上取りまとめる役目は、誰かがやらなければなりません。その誰かを彼らはやっているのです。そんな彼らにご不満があるなら、ご自身でやりなさい。
 
 静観だけしていて結果だけから物を言う。行動の伴わない評論家。そんな人間に私はなりたくない。

 前回に引き続き、単なる戯れ言葉ですので、お気を使われませんように。

 なお、私個人のパソコンが23日昼前から故障で、メールの送受信が出来なくなっています。私宛にメールをお送りいただいているにもかかわらず、返信がなくお不快な思いをされている方には申し訳ありません。復旧の見通しはたっておりません。

横鉄年末行事

 毎年、12月第2週に、横鉄年末行事が行われます。午前中に根岸森林公園で駅伝。夕方から関内近くで総会。その後に中華街で忘年会。駅伝と総会の間は、近場の人は一度家に帰ったり、遠方の方は日帰り温泉その他で時間を過ごします。駅伝は9時スタートで、忘年会の終了は22時前。アイアンマンよりは多少短い1日です。

 ところが、今年は、駅伝を根岸で走れなくなりました。昨年までは根岸公園内の園路を走っていました。園路は歩行者もいれば、ランナーもいます。普段は、自由に利用していいのですが、昨年から10人以上の団体で、記録を取って走る場合は、事前に園路使用許可を得なければならなくなりました。昨年は、1週間前に申し込んで簡単に許可が出たので、今年もその予定で、と思っていました。ところが、今年は既に、同じ日に先約が入っていて、使用許可が出ませんでした。油断していました。ランニングのブームはこの辺りにも広がっているのでしょうか。

 許可が無くても、目立たないようにやれば出来ないことは無いのかも知れませんが、そこは大人の集まりである横鉄なので規則は遵守。場所を、鶴見川沿いのサイクリングコースに変更しました。拠点は、綱島街道の大綱橋の直ぐ下流の広場(ドライビングスクールの下流側)です。11日の8時過ぎにはメンバーも集まり始めると思います。横浜近辺にお住まいの方、どうぞご参加ください。駅伝終了後は、綱島温泉にいかれる方もいると思います(走って温泉に入って、ビールが美味しいとは思いますが、〇〇〇〇さん、総会には素面で出席してくださいね)。

 忘年会は40人近くになります。今年は1室丸ごと貸切になるので、どんな騒ぎになるのやら。楽しみ、というより少し不安です。トライアスロンをやっている間は大人の人たちも、乾杯から30分も経てば……。

 今年も、横鉄に新しいメンバーが沢山、入ってくれました。特に今年は、今までとは違った層の方が多かったです。中学生からの連絡がきたり、想定などしていなかったこともありました。女性の方も一気に増えました。フェミニストのおじさん達に囲まれ、来年からの横鉄の女子会の活躍は楽しみです。 

 
 

「世間」と「社会」

 「世間」とは、自分と直接利害関係があるか、将来、利害関係が発生するかも知れない集団。その中では仲間への関心が高く世話も焼く。一方、「社会」は、しがらみのない公の世界。朝日新聞12月1日付け朝刊25面に掲載された、鴻上尚史さんの言葉です。

 世間と社会、という区分の仕方やその定義についての妥当性は別として、これで何となく、最近、横浜鉄人クラブに対して湧き出していた不満の持っていき方と、DERAILERへ陥らずに済む考え方が理解できたような気がします。

 「世間」の定義の中で、利害関係という言葉は、理解の仕方によっては、極めて大きな誤解を生みそうなので、この場では省きます。後半の仲間への関心が高い、という部分だけに焦点を当てます。私は、横浜鉄人クラブに対し、世間を感じています。一方、メンバーの中には、クラブに、社会として参加している人も少なくないのだろう、と思います。

 自分が世間と思っているから、他の人も同じように思っているだろう、または同じように思ってもらいたい、というのは、全く私の一方的な期待であり、要望にしか過ぎません。メンバーそれぞれの生活があり、トライアスロンに対する思いがあるわけですから、皆が皆、同じレベルでクラブの活動に参画してもらうことは不可能なことでしょう。クラブに加入した動機もそれぞれですから、なおのことでしょう。

 レースや練習会には参加するけれど、それ以上の積極的な関わりを持たないメンバーも認めてあげなければならないのでしょう。こちらから、世間と思ってくれ、と頼んでも、社会として参加している人には無理なことなのでしょう。後は、私自身の行動で、クラブに対し今まで以上に、どれだけ働きかけることができるか。それでも動いてくれる人がいなければ、自分の力不足を認め、諦めましょう。

 と言うことで、このブロク上での、クラブ運営に関する独り言は、これで全て終わりにします。

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  今日は、4日ぶりのランニング、と言うより、殆どウォーキング。8km56分。膝の回復は一進一退。まだ、出口が見えせん。ヨーコは大学でハングル語と教職の授業。熱心に取り組んでいます。
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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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