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 英語のアルファベットを並べるフレーズはあまり好きではないのですが、毎度、これが届くと感じざるを得ない「SMARTモデル」がいない、と。容姿端麗、性格柔和な人のことではありません。

S=Specific →具体的であること
M=Measurable   →計測可能であること
A=Attainable   →達成可能であること
R=Relevant    →適切であること
T=Time Phased  →期限付きであること

 これは、新しい目標を立てる時や、問題を改善するための指針です。

 今、選挙を前にメディアを通じて、そして街頭で、最近ではSNSで、多くの候補者の方々が様々な政見を述べられています。ただ、SMARTモデルに欠けるものばかりしか目にも耳にも入って来ません。

 今回もまた、SMARTな候補者を見つけるのに苦労します。       


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山下公園前の銀杏並木は秋の気配よりまだ夏の名残りを強く感じます。

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 元町。横浜市内人気の商店街なのです。一番の久しぶりに訪ねてみましたが、あまりわくわくした思いが起こりません。ショッピングが目的ではなかったこともさることながら、物欲がなくなったためでしょうか。老舗もありますが、ディスカウント系のお店が増えてきているように感じました。

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 霧笛楼。商店街のメインストリートから一本奥の通りにあります。フランス料理店ですが隣接して洋菓子販売店もあります。

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 今治浴巾のお店(事務所?)もありました。

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 商店街の入り口から2,3分の所に横浜市の中心地近くとは思えない、釣り船店が軒を並べています。

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 その後、本牧へ向かいました。元町を感じるには少し天気が良すぎたようです。

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 『本牧館』。人気のパン屋さんです。バス通りに面しています。

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 銭湯は営業中のようです。

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 この後、『横浜市市電保存館』へ向かいました。    続く

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これは、高校3年の時、インターハイに出場した時、国立競技場のスタンドに掛けた母高の部旗。

 日が暮れると虫の音も聞こえるようになり、早くも9月が終わりました。中島のトライアスロン大会が終わりトレーニングもサボり気味。僅か1ヶ月で体重が3㎏も増えてしまいました。そんな9月ですが、後半には、様々なイベントや出来事がありました。

 9月16日、今治でキヨタの母高の同学年会がありました。卒業して42年、皆、還暦を迎えました。この日、四国地方は台風の直撃を受け、会の始まる時刻には丁度、今治市に最接近していました。山沿いの地域には避難警報が出たり、川の決壊が懸念されたりした中、80人程が集まりました。当時、1学年は400人弱でしたので、その中でも在校時から行いの悪かった者だけ集まったのでしょうか。それでも会が終わる頃には台風も通り過ぎ、市内では大きな被害はでなかったようです。今回は生徒達だけの集まりでしたが、いつかまた、恩師も交えて集いたいものです。

 恒例の還暦衣装(写っているのは私ではありません)。地元だけでなく、東京などでも活躍している同級生には励まされます。

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 高校の卒業式当日の写真です。一緒に生徒会活動をしていた仲間ですが、今回は誰とも会えず残念でした。

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 翌朝、実家の木の枝が折れていましたが、幸い家屋や車両が直撃されることはありませんでした。

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 翌17 日、横浜へ帰ろうとしたら、JR予讃線(四国の瀬戸内海沿いに走る路線)の一部が台風の影響で不通になり代替バスを乗り継がなければならなくなっていました。出発直前の夕刻に今治駅に着いて知ったのですが、これでは予約していた岡山からの新幹線には間に合わないどころか、その日の内に横浜へ着けるかどうか分かりません。急いでしまなみ海道の高速バスで福山へ向かい、新幹線に乗車、その日の内に横浜へ着くことができました。

 バスの車窓から見える瀬戸内は穏やかな台風一過でした。

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 なお、学年会前日は、今治に帰った時に寄っている「もんじゃ居酒屋だんだん」でお店の方からギターのお話をお伺いしました。学生の頃はいつもギターを弾いていたのですが、弦を抑えると指先が痛くなり暫く弾いていません。弦にもいくつか種類があることを教えていただきました。次回、実家で眠っているギターを持って行って修理をしていただくことにしました。

 その翌日の18日は、東京で旧知のトライアスリートの集いに参加しました。メインは
世界選手権の年代別で8位になったエース君。皆さん、トライアスロンやマラソンに熱心に取り組んでいる方ばかりです。多くの方とは初対面でしたが、共通の話題で盛り上がりました

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 会場は渋谷駅近く。ここに降り立ったのも何十年ぶりでしょうか。危うく都会の真ん中で迷子になりそうでした。

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 23日は、人生初のアメリカンフットボールの生観戦。アメフトはテレビのスポーツニュースで見る程度の関心しかなかったのですが、目の前で見ますと、選手の動きだけでなく、ヘルメットがぶつかり合う音の迫力には圧倒されました。ルールを知って、もっと面白く観られるようになりたい、と思いました。

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 29日。世間ではプレミアムフライデーと言われる毎月最終金曜日ですが、取引先や顧客やとの繋がりの中では、夕方早くに仕事を終えることは難しいです。しかも今月は殆どの企業が期末を迎える9月の最終営業日でした。プレミアムフライデーを見直そうとの動きもあるようですが、当然でしょうね。
 それでも定時には仕事を終え少し寄り道をして、暫くご無沙汰していたお店に軽く飲みに出かけました。場所は西麻布。店主はキヨタより1歳下。鳥取県出身で、この地にお店を出して30年ほどになります。当時は頻繁に通っていたのですが、転勤などで足が遠のき、今回、ほぼ15年ぶりに訪ねてみました。予め連絡はしていなかったので、まだ続いているかどうか多少の不安はありました。周囲の環境はかなり変わっていましたが、お店は通いなれた場所にありました。店内に入ると調理場には15年前と全く変わらない店主の顔と体型で迎えてくれました。込み合っていましたので、ゆっくり話をすることはできませんでしたが、懐かしい味を堪能することができました。

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 再会と出会いの多い2週間でした。

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 「戦時中、今治でゼロ戦の模型を作っていたんですよ」。 松山市にお住いの80歳後半の男性の方のお話です。話の初めを聞いた時は「戦時中に模型作りって、そんな悠長な。」と思いましたが、模型を作っていた理由を聞いて唖然としました。

 模型を作っていた場所は、今治市内にあった『倉敷紡績今治工場』の一隅。そこが兵器工場になっていました。太平洋戦争後期、旧制中学の生徒だったその方は、勤労学徒として動員され、ゼロ戦の模型を作っていたそうです。何故、実物ではなく模型だったのでしょうか。
 その方によりますと、
 「日本には既に新たな実物を造るだけの余力はなかった。けれど模型を数多く作ることで、模型があるくらいだから実物も数多くあるに違いない。実物が数多くあるから模型も作ることができる、と国民に思わせるためだった」。

 太平洋戦争後期、日本の敗色が濃厚になって行くにも拘らず、真実を公にせず国民の士気を高めるための施策だったのでしょう。

 そして昭和20年8月5日から6日未明にかけ(終戦の詔勅が出される僅か10日前)、この兵器工場に女子挺身隊として松山から動員されていた高等女学校の生徒の内24人が今治市への空襲から避難している途中で米軍機の襲撃を受け命を落としました。これは今治を襲った3度目の空襲。市街地の8割近くが焼け尽くされたそうです。

この方は、勤労学徒から予科練に進み終戦を迎えました。任地から松山へ帰る途中、瀬戸内の海上から空襲で今治の町が亡くなっているのを目の当たりにし涙が零れたそうです。それでも焼け残った「ラヂウム温泉」の尖塔には少し元気をもらったそうです。

 当時を知る人も少なくなり、時代もまた大きな曲がり角を迎えつつあるようです。当時の記憶を誰が伝え残してくれるのでしょう。

今治の戦前・戦中・戦後を見続けてきた『ラヂウム温泉』。

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兵器工場の跡地。今は大新田(オオシンデン)公園となり野球場やグランドがあります。以前は市営プールやテニスコートもありました。平和で健康の象徴の場でもあります。

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犠牲になった女学生の慰霊の碑。今治市北部の波止浜地区の円蔵時境内にあります。

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キヨタの母校、今治北高の前身の県立今治女学校の生徒さん11名も避難した学校の裏山で犠牲となり、校内に追悼の碑が設けられています。僅か100m四方の学校敷地内に500発もの焼夷弾が落とされたそうです。

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2017.07.17 耳順
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子曰く「六十而耳順」。六十にして耳順(したが)う。修養を積んで他人の言葉を素直に受け入れられるようになる、若しくは理に適えば何らの障害なく理解しうる年だそうです。
キヨタは先日、六十になりました。しかし…。
耳順の境地には至っておりません。それより遡って、五十の知命、四十の不惑、三十にして立つこともできておりません。単に馬齢を重ねてきただけでしょう。
そんな内面とは別に、月日は過ぎて体力と気力は、それなりの年齢の域になってしまっているようです。
20代。やらなくても、できた。
30代。やれば、できた。
40代。やらなければ、できなくなった。
50代。やっても、できなくなった。
そして60代になると、やることも、できなくなるかもしれない、という恐怖。
これがキヨタの高齢化五段活用。
限られた体力と気力を使う優先順位としては、一に仕事、二に家庭、三にトレーニング。となりますと、なかなか自身のブログを更新したり、他の方のブログを読ませていただく余裕がなくなっています。
とは言え、まだまだやりたいこと、やってみたいことは幾つもあります。修養の道半ばでもあります。

しばしば、マラソンは人生に例えられますが、それは違うのではないだろうか、と思っています。マラソンはスタートすれば42.195㎞先にゴールはあります。長さが決まっていますから、その中でペース配分をすることができます。しかし、人それぞれの人生の長さは分かりません。それどころか、年金受給年齢も少しずつ延ばされていきます。キヨタが社会人になった頃は、55歳が定年でした。その後60になり、今の受給年齢は63歳。後3年頑張ればいいのか、それともその目前で更に伸びてしまうのか。どこまで行けばゴールできるのでしょう。マラソンを走り始めた後になって、その距離が段々と長くなっていく感じです。

六十歳を表す言葉として「還暦」。今年は丁酉(ひのととり)。生まれて最初の還暦。2度目の還暦は無理にしても、もうひと花もふた花も咲かせてみましょう。

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誕生日には丹沢の麓のバラに囲まれていましたが…。、

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