トライアスロン完走記(その3:ジャンプ=次のステップ)

 「Shoulder to shoulder でしょうか。」場内アナウンスが聞こえる。ゴール迄後400m。肩と肩を寄り添って?。そんな気は私にはさらさら、ない。太っても(?)枯れても、元Tow Laps Runner の意地。追いついたらそのまま一気にスパート。3位の表彰台を目指して。

 スタートダッシュは大成功だった。スタート前の他の参加者のアップを見ていたが、スイムが特別に得意そうな人は見られなかった。スプリント種目では、スタート前に一度息をあげておくのが普通なのだが、そのアップをしている人はいなかった。ならば…。レースはスタート前に既に、始まっているのだ。

 1週間前からはバイクの練習もしなかった。膝への負担を押さえる為。その代わり、スイムは400mを6分で泳げる状態にまで整えられた。6位入賞を目指すためには、スイムでは悪くても3位以内、バイクで落ちても6位、ランで維持。3位以内を目指すなら、スイムは1位通過が絶対条件。目標達成には、とにかく先行逃げ切り。そのパターンしか考えられなかった。

 その目論見どおりに事は運ばれた。スタートして50mも泳がない内に、前後左右に人の気配は全く感じられなくなった。スイムコースは片道100mを2往復。最初の折り返しで後続を確認。追いつかれそうな人はいなかった。ただ、その後は、安心したわけではないのだが、今から思えば、楽に泳いでしまった。もっと追い込めたと思うのだが、海でのペース維持は難しい。スイムはそのまま終了。陸にあがる時、振り返ったが2位は、後20m位の所を泳いでいた。トランジッションへ移る時に、ヨーコ仲間の横国大主将から応援を受ける。
 
 勢いを保ちたかったが、ウェットを脱ぐのに手間取り転倒。もたついている間に一人、バイクに先に乗られてしまった。せめて、100mでもバイクで先導車の後を走りたかった。バイク2kmで、また一人追い越される。私から見れば、途轍もない速さ。ついて行けはしない。この後また、スイムと同じように一人旅となった。コースの一部は日産自動車のテストコースを走り、カーブも多く前後走者を確認することが出来るにもかかわらず、全く見えない。全くレースをしている、という緊張感が湧かず、一人練習しているような気分。3位はキープできそうだと、ここでも追い込み切れない。ところが、バイク終了2km手前くらいで、一人に抜かれた。先ほどまでは見えなかったので、焦る。やっと、レースをしているという緊迫感を受ける。

 ランへ移る時は、3位とは7秒差。走り始めたら、膝の痛みは感じない。バイクを漕いでいる間に温まったのかも知れない。ただ、練習不足は否めず、ペースは上がらない。それでも、3位の人もそれ程ランは得意ではないようだ。差は少しずつだが縮まって行く。ここで、悩み。いくら今、膝の痛みを感じなくても何時、痛みが出るか分からない。6位目標にして、自重して行くか。思い切って3位を狙いに行くか。仮に潰れても、多分、5,6位までは少し余裕があるはず。ならば…。入賞しても表彰台は3位までなのだ。

 1km地点で3位を追い越す。そのペースを維持するのだが、敵もさる者。なかなか離れない。逆に、残り1kmで抜き返された。4位でも満足かな、という思い。でも、それは最後の力を振り絞らない自分への甘え? 3位と4位の違いは何だろう。このまま4位でも入賞。今の体調や練習量なら、これでも十分かな、という思いも少なくない。一方、ここで諦めて3位になれなかったときの後悔は? オリンピックならメダルのあるなし。ならば…。もう一度。

 勝負事に運は付き物という。今回、3位に入賞できたのは、運が良かったという他、ない。記録的には3位どころか6位にも値しないものだった。運が良かったのは、3位を争う人と、後から来る人ともに、ランが得意ではなかった、ということに尽きる。3位の人に、ランに移った直後、そしてラスト1kmで抜き返された時、そのまま引き離されていたら、恐らく、私には追う気力は湧かなかったはずだ。5位以下の人に追いかけられていたら、6位への守り入っていたに違いない。運も実力の内、などという綺麗事を言うつもりはない。ただ、表彰台に上がりたいという気持ちは、少しだけ強かったかも知れない。ヨーコの同級生に少しは格好いいところを見せたかったのと、鉄人の旗を表彰台でかざしたかった。

 レース前から、日産カップへの出場は、今年で最後にするつもりだった。ヨーコの同級生も卒業するし、ウェット着用義務のレースにも興味はないし。でも、表彰台に立ってから6ヶ月。先頭で勝負できる快感は忘れられない。普段、エージで順位を争そっていても、レース全体から見れば先頭が見える位置では戦えない。スプリントなら、全体でもトップグループで競える。スイムが得意であれば私の年齢でも、このようなチャンスは掴める。バイクで先導車の後も走ってみたい。トライアスロンを始めて26年も経ったベテラン(?)が、スプリントに出るというのも多少、気が引ける所もあるが、年齢が上がれば上がるほど不利になるといわれるスプリントなら、50歳半ばなら許してもらえるだろう。ならば…。来年は、一番高い所を目指してみようか。

トライアスロン完走記(その2:ホップ、ステップ)

 膝の痛みを抱えての、ラストチャンスへの挑戦。日産カップのスプリントの距離は、スイム400m、バイク20km、ラン3km。例年の記録を見ると、3位入賞には1時間ジャスト。6位でも1時間02分以内が求められる。このタイムを自分の達成可能な範囲で3種目に分けて、スイム7分、バイク40分、ラン13分。これにトランジッション2分を加えてぎりぎり1時間02分。これが自分の目標最低タイムだ。さらに3位を狙うとすれば、スイムとバイクで短縮しなければならない。膝のことを考えると、ランの目標タイムは、これでも厳しい。少しでも前の2種目で貯金したい。ただ、トライアスロンでタイム目標を設定する時、特に、距離が短ければ短いほど、種目ごとのコースの距離がどれだけ正確かによって、またトランジッションエリアの設定場所次第で、思わぬ誤差が生じるのが厄介だ。

 目標達成のために、スイム練習では、500mのインターバルをメインに据える。500mの中で、最初の200mを3′00″、400mを6′10″でターンし、残り100mをできる限り粘ること、を意識。バイクは、アウターを使って、踏み込みを意識。それとDHバーの先を少し下げて引き付けを意識。そして問題のランは…。

 2月に痛めた膝も、最初は1ヶ月もすれば治るだろう、とタカを括っていた。とろころが4月半ばになっても全治しなかった。その状態で、4月第3週に、港区ランニングクラブ恒例の、富士五湖合宿に参加することにした。メインメニューは、河口湖一周18km。その結果次第では、エンントリー済みの新島・大島も諦めなければならない。その先も。それでも、曲りなりにも走りきれた。更に、横浜鉄人クラブ恒例行事の5月第1周の箱根トレイルランでも3時間ほど走り続けられた。この時点で、日産にもエントリーをした。

 5月の新島と6月の大島は、実戦練習としてのレースとなった。新島ではスイムでウェットを試着した。バイクは20kmまではオーバーペースとなろうとも全力で、ランは10km走り続ける。これが出来れば、入賞へ一歩近づく。

 新島では、バイクも調子良く、ランも痛みを余り感じることなく完走できた。ところが、その後、油断して陸上競技場でインターバルトレーニングをしていたら、途中で激痛が走りダウン。大島では、バイクも不調。薄曇り後小雨。日産カップまで、あと1週間。

今年、最初で最後のトライアスロン完走記(その1:目標に向けて)

 3位と4位との違いは、どれくらいあるのだろうか。ゴールまで後1キロ。先ほど追い越され4位に落ちたが、その3位の人から一気に差を広げられることはない。このレースの表彰は6位まで。5位以下とは少し差がありそうだ。このままでも最低目標の入賞は果たせる。2年越の目標は達成できる。このままでも良いかな、と思う。それでも、3位と4位では違いがあるのだろうか。もう一度、頑張れば3位になれるかも。2010年6月。横須賀で開催されている日産カップのスプリントの部での最終盤のこと。

 ヨーコが大学生のトライアスロン部に仲間入りし、私も大学生とレースに出る機会に恵まれるようになった。それ以来、一度で良いから学生の前で表彰台に上がることを目標にするようになった。自分の子どもであってもおかしくない学生の前で、格好良い姿を見せたい父親のような気分であったかもしれない。ただ、学生達と一緒に出られるレースは多くはない。茨城県で開かれる潮来、それとこの日産カップくらい。ただ、私は、トライアスロンを初めてから20年間、ウェットスーツを持っていなかった。だから、ウェット着用義務のあるこれらの大会には参加したことはなかった。もともとトライアスロンでウェット着用義務のある大会には全く魅力は感じていなかったのだ。ただ、目標を達成するためには、やむを得ない。先ずは、2008年5月の潮来に挑戦することを決めた。

 このレースでの年代別の表彰は3位まで。バイク終了時では順位は分からなかったが、折り返しコースのランで、擦れ違う同年代のゼッケンを確認し、ゴール時では3位を確信していた。ところが、結果は4位。何処かで一人見逃してしまったようだ。
 次のチャンスは、その翌月の日産カップ。スイムは年代1位でアップ。キャップの色で区分されている為、見ていたボランティアが教えてくれた。さらに、潮来と同じ轍を踏まぬよう、ランへ移る時、バイクラックを確認し、その時点で年代1位であることを確認。ランでも追い越されることなく、ゴール。閉会式の会場に貼り出された速報でも、年代1位。意外と早く、目標が達成された、と思った。ところが、この大会では、総合順位での表彰はあるものの、年代別は表彰はおろか、名前の発表すらもされなかった。

 日産カップでは総合ではとてもではないが6位入賞は不可能。となると、次の目標は、潮来。または、日産カップのスプリント。ただ、潮来は水質が余りよくなく、同時期に行われるアイランドシリーズの新島の方が魅力は大きい。そこで、日産カップのスプリントの部での入賞を目標とした。しかし、2009年は仕事が忙しく、全くトレーニングを積めず、参加さえ見送らざるを得ない状態だった。完走するだけでは、何もならない。

 そして、今年。ヨーコの同級生は4年生になった。だから最後のチャンス。トライアスロンを25年もやっていて、どちらかと言えば初心者向きのスプリントレースにでることには、多少、忸怩たるものはないでもなかった。ただ、スプリント能力は、一般的に年齢が上がれば落ちる、と言われるので、50過ぎのおじさんがチャレンジしても許してくれるだろう。

 ところが、今年は2月初め頃から左膝が痛み始め、4月半ばまで、殆ど走れない状態に陥った。バイクでも踏み込むと、痛い。よりによって。もう、今年しかないのに。焦るばかりで、6月は日に日に近づいて来る。後は、劇的に回復してくれることを願うばかり。スイム練習に集中し、バイク、ラン練習は回数は重ねられないので、ポイントを絞って取り組むしかない。アイランドシリーズの新島と大島の2レースを練習の一環として組み込んでコンディションを整えて行くことを考えた。

(ブログを始めたものの、トライアスロンを生きがいに近い趣味にしている割には、クラブ関連以外でトライアスロンをテーマにすることはありませんでした。今年の絶不調を表していましす。せめて、今年最後くらいはトライアスロンで締めたいと思います。続きは明日。)

結果的に!

 昨日、全国高校駅伝が開催され、男子は『結果的には』トラック勝負となり、鹿児島実業が逆転優勝しました。これまでも、高校駅伝では何度かアンカーでのトラック勝負で優勝劣敗が決まり、中には1秒差というレースもありました。見ている方も興奮し、感激したものでした。ただ、今回のトラック勝負は今までとは違って、見ていて何かスッキリしないものが感じられました。
 
 鹿児島実業のアンカーが、前を行く世羅高校の選手を捕らえたのはゴールまで残り1.3km。テレビを通しても、二人の走りの差は歴然で、そのまま一気に追い越して行くだろう、と見ていました。ところが鹿児島のランナーは世羅のランナーの背後にぴたりと付き、前に出ることはおろか、横に並ぶことすらもしようとしません。テレビ解説を待つまでもなく、トラックで決着をつけようとしている意思は明らかでした。

 世羅高校は、愛媛の中学で陸上をしていた私にとっては、瀬戸内海の向こう側にある、憧れるのもおこがましいくらいの駅伝の名門校です。一時期は、全国大会では目立った成績をあげられなくなっていましたが、応援は続けていました。ところが、数年前から、外国人留学生を走らせるようになってからは、余り、好きではなくなりました。今回も、3区の留学生でトップに立った世羅より、日本人(今日の新聞によれば全員が地元出身)ばかりの鹿児島実業を、アンカーが走るまでは応援していました。

 これまでの、トラック勝負は、アンカーの力がある程度、拮抗していて、襷を受けた時から、お互いが少しでも前に出ようと言う意思が伝わってきました。ところが、今回は、明らかに力に差があり、鹿児島の選手の方が力を残しているのが分かるのに、並ぼうともしない。まるで、蛙を睨み続けている蛇のようにすら思えました。

 勝負事なので、戦略があって、勝ちに拘る、というのは当然としても、高校生らしさを感じることが出来ませんでした。せめて、横に並ぶくらいの姿勢くらいは見せて欲しかったです。世羅の選手の、残り1kmを走っている時の心中を察すると、あのまま、一気に抜いていってあげた方が良かったように思えます。

 駅伝の最後のトラックで決着をつけるというのは、走っているほうにとっても、かなり気持ちがいいものだろうと察します。ヒーローにもなれるでしょう。ただ、今回のトラック勝負は、駅伝メンバー一人ひとりの一歩一歩の積み重ねというより、結果的にそうした、というような感じが拭えません。トラックに持ち込むまでもなく、残り1キロで勝負は決っすることができていたレースだったはずだからです。また、レースはゴール迄何が起こるか分からないので、決める時に決めておくことも大切なような気がします。

 だからといって、一時は1分14秒差もあったビハインドをひっくり返し初優勝した鹿児島実業の偉業が色あせるわけではありません。十分讃えられるべきことです。アンカーも冷静な判断で走りきったことには間違いはありません。これからも留学生チームに負けないで欲しい思います。一方で、世羅のアンカーがこれを糧に強い選手になってくれることも楽しみにしています。

 

計画はSMARTに

 人のために何か新しいことを考えたり、何かを人に呼びかける時。自己満足で終わらせない為には、相手に反応してもらい易い状況を作らなければなりません。
 
Specific・・・・・・・具体的であること
Measurable・・・・計測化のであること
Attainable・・・・・達成可能であること
Relevant・・・・・・・適切であること
Time Phased・・・期限付きであること

 それぞれの頭文字をとってSMARTモデルと呼ばれています。それを周囲に伝えて、理解してもらえなければ、自分の意図することは達成できません。これらのことを理解してもらえなければ、いくら働きかけても、誰も動いてはくれません。周囲に働きかけると言うのは、なかなか難しいです。伝える手段は言葉、写真、絵画その他ありますが、一番重要なのは言葉だろうと思います。
 
 近頃『語感』という言葉をよく見かけますが、語感というのはやっかいで、同じ言葉でも、その言葉に対する感覚が自分と他者とでは違う場合が少なくありません。意思を伝える為に言葉で表現する時は、自分の気持ちにあった言葉や表現を選ぶより、相手がどのように受け取るかということを考えなければ、誤解を招いたり、喧嘩になったりしかねません。

 人に働きかけ、理解してもらうと言うのは、簡単なことではありません。けれど、それだけに、言葉や表現に関する力を磨き続ける楽しみもあります。

 先日、タイトルに関するコメントを書きましたが、今まで自分で書いた記事を読み返してみると、タイトルと結論が繋がっていないことや、記事の途中で方向が変わってしまっていることが多いのに、改めて気づきました。結局、今日も、そんな感じですね。

何故?

 23日(祝)。横浜鉄人クラブ2011年度第1回デュアスロン記録会でした。スイムは横浜国際プールを2コース借り切って例年は2月に行っているのですが、今年はプールの抽選に外れ続け、この時期になってやっと開催することが出来ました。で、何故?2011年度の記録会になったかと申しますと、横鉄では毎年、参加したレースの数や、投稿したレポート数、さらにクラブ内デュアスロン記録会の成績などを集計し、最優秀選手やポイント賞を選出して生ます。その表彰は忘年会に行っていまして、2010年度の表彰は、既に12月5日に終わっていましたので、今回のポイントは来年度分に集計されることとなったのです。

 貸切時間は2時間。この時間には着替えやアップの時間も含まれます。コースの関係で同時に泳げるのは8人。24人がエントリーしていた為、一組辺り平均35分で回さないと、時間切れになります。事前に予想タイムを申告してもらい組合せを決めたのですが、かなり、タイトな時間割。全員が泳ぎ終わる予定は終了5分前。レース実績の少ない新メンバーも何人かいたため、実際のところ、どうなるか不安を抱えたままスタートしました。それでも、参加者全員が、泳ぐだけでなく、時間計測や段取りに積極的に参加していただき、2分前に終えることができました。横鉄チーム力も捨てたものではない、と感動。

 個人的には、かなり意気込んでいたにも関わらず、23分52秒。予想だにしなかった低記録。22分台も不可能ではないと思っていたのですが、それどころか、昨年2月の自己記録より30秒も下回ってしまいました。何故?。良く分かりません。3日前は、間違いなく絶好調でした。最初の500mで既に7′40″かかっていたので、飛ばしすぎではなかったはずです。その後も、ペースは落ちる一方、終わってしまいました。隣のコースを泳いでいた若者には3ラップされてしまいました。もう一度、やり直さなければなりません。

80対20の法則

 タイトルさえ決まれば、ブログの80%は完成したようなもので、残り20%は勢いで書けば良い、という法則(?)。今まで、横鉄のHPにレポートを何度か投稿してきましたが、テーマが決まっている(参加したレースの完走記を書く場合)、最初の一文が決まれば、この法則が当てはまりました。
 
 あまり、起承転結という順番が好きではありません。トライアスロンのレポートを書く時も、準備、出発から始まって、スイム、バイク、ラン、完走後という順で書いた試しはありません。レースの途中から始まって、準備に戻り、最後にゴールと言うような、感じで書いています。
 ですから、レース中も、レポートを何処から書き始めようか、と考えながら走っています。レース展開などによって、この場面を出だしに使おう、とひらめいた時など、至福の時です。完走した喜びより大きいかも知れません。

 ところが、ブログは、私にとってはタイトルをどうするかまでが悩みの種です。書くことは沢山あるのですが、誰かに読んでもらおうなどと、だいそれた事は思っていません。それでも、多少なりとも目を惹くタイトルをつけたい、という煩悩との戦いがあるのです。裏を返せば、タイトルと言うブログ全体からすれば20%(或いはもっと少ないかも知れませんが)をきちんと決めることが出来れば、ブログの80%が完成した、とも言えるでしょう。

 もっとも、この法則は、このようなことを表したものではありません。正しくは「社会の富の80%は20%の人々に集中している。」というパレートの法則のことです。19世紀にイタリアの社会学者ヴィルフレッド・パレートが、当時の国民所得の分布を分析して発表したものです。それ以降、全体の80%の事柄は20%の要因に帰するという概念は、様々な現象に当てはめられるようになりました。

 例えば
・会社の利益の80%は限られた20パーセントの社員が上げている
・仕事の重要度の80%は、限られた20%の業務が占めている
など。
 この比率の適否については、判断の分かれるところでしょうが、概ね当たっているような気がします。

 これを仕事や、分担すべき役割に置き換えると、重要度の高い20%の仕事をきちんとこなせば、全体の80%を遂行したことになります。そのためには、20%の仕事を先ず片付けることと、20%の仕事は心身が最も活性化する時間帯に当てることが大切と言われます。

 私の近くで、今、悩んでいる人がいます。人から信頼されるために、自分が中心になって役割を果たしていかなければいけない、と考えています。そうすると、やらなければならないことが、余りにも多くなってしまいます。そのため、全てが中途半端になってしまわないか、と心配しています。あれやこれや、全てを自分でやるのではなく、先ずは重要な20%を確実にやり遂げれば、周囲の評価も変わってくると思うのですが。

 
 ところで、ブログリンク先のエース栗原さんが、デュアスロン日本選手権で3位に入賞しました。2連覇を狙っていただけに、どのように声を掛けてあげればいいか迷いましたが、3位と言うことは、とても凄いことです。
 明日は、横鉄恒例のスイム1500mとラン10km2種目の限りなく記録会に近い練習会。スポーツクラブか改装の為、今日も含め3日連続してスイム練習が出来ず、明日はぶっつけ本番になります。ただ、膝の具合は今のところ無事です。せめて、スイムで夢の22分台を目指します。

限界効用逓減

 限界効用逓減の原則。難しそうな言葉ですが、常に私達の身近にあります。定義は「人は刺激に直ぐ飽きる。新しい刺激に慣れるに従って次第に感動が薄れて行く」というもの。もっと簡単に言えば、ゴールの後の一杯目のビールはとても美味しいけれど、2杯目、3杯目になるにつれ美味しさは薄れる、というご経験があると思います。やがてビールに飽きたら、焼酎、日本酒、洋酒が欲しくなる。まさにこの現象が、限界効用逓減。ただ、このブログを読まれている方は、ビールやお酒には何時まで経っても飽きが来ない方が多いかも…。

 12月16日の朝日新聞朝刊の声(読者の投書)欄に、この原則を引用した地域ボランティアの方の投稿が載っていました。催事の時に善意で炊き込みご飯を提供していて、最初は感謝されたが、回を重ねるごとに感謝がなくなり、今では当たり前のように強要さるようになった、とのこと。

 引用方法としては微妙に違うような気がしないでもありませんが、肝要なのは、善意を受ける人の心の変化ではなく、提供する側の心構えでしょう。ボランティアと言うものは、相手から感謝されれば嬉しいですが、最初から感謝されることを期待してはいけない、と思います。飽きられ強要されるようになる。その覚悟がなければボランティアには取り組めないと思います。

 だた、ボランティアや支援を受ければ、嬉しいと言う感情は湧くのも事実です。その感情を率直に相手に伝えたいというのもまた、自然な感情です。人それぞれ、価値観や考え方が違うとはいえ、自分がしてもらって嬉しいことは、たぶん他者もしてもらったら嬉しいのではないでしょうか。

 子どもがお母さんに、何故朝起きたらおはようと挨拶するのと尋ねました。その答えは多分、そこにあると思います。誰でも、挨拶されたらいい気分になれますよね。自分が良い気分になったら人に対しても挨拶ができます。

 相手が飽きてきたら、それ以上の刺激を与えてあげよう。

   ***************
18日、ヤッソ、膝が痛くて2,000m程のジョグ(ウォーキング)のみ。
   スイムは500mを7′45″と7′43″。後はだらだらと合計2,100m。
19日、スイム、750mを11分18″(500m途中計時は7′28″)。少し良い感じになってきました。

人生はラグビーのパスだ!?

 また、くだらないことを思いついたので、備忘します。

 鉄人クラブの会長は、元ラガーマンです。今日、あることがきっかけで、ラグビーで司令塔の役割を担うポジションはどこか、教えてもらいました。スダンドオフだそうです。アメフトならクオーターバックだそうです。
 
 ラグビーのルールで知っているのは、ボールを前に蹴ったり、スクラムで押し込んだりして、相手のゴール(という表現でいいのでしょうか?)を目指すことと、手で投げるパスは、自分のチームの後ろにいる人にしか投げられないこと、ぐらい。

 面白いと感じるのはパスのルールです。
 後ろにしか投げられないのは、その瞬間だけ捉えれば、文字通り後ろ向きの行為なのですが、これを繰り返すことでチーム全体は着実に前進しています。
 組織の運営そのものでしょう。

 そして、人生もそのようなもの? なんて、人生を語れるほどの経験は未だありません。

 それにしても、何で後にしか投げられないルールが出来たのでしょうかね。

400年を生きた12の城

 多少、色あせてきた感もありますが、現政権の目玉でもある事業仕分け。3回目の仕分けでは、スーパー堤防が完成までに400年もかかる、ということが主な理由となり廃止対象になりました。国家100年の計といわれます。その時々の情勢にもよるのでしょうが、長すぎるかも知れない視点でも大切ではないか、とも思います。羽田空港の再国際化を見るとあの時の成田闘争はなんだったのかとか、有明海の水門の開放判決を見るとギロチン風景はなんだったのだろうか、とかと思えてきます。

 現存12城。今、日本全国で、建てられた当時からそのままの姿で残っている天守閣の数です。日本中で城の数は2万以上あると言われています。その中には土を固めただけの砦のようなものも含まれます。幕末当時、天守閣があった城は200程と言われています。殆ど全ての城は、明治維新後に取り壊されたり、太平洋戦争時の空襲で焼け落ちたりしました。その中で、400年以上生き延びた天守閣が12。一部補強や修理はなされていますが、当時の姿を残したままです。観光の対象にしかならないかも知れませんが、それでも地元の役にたっているところは十分あると思います。

 人は400年も生きることはありませんが、時には目先に拘らない、少し先の目標を見つけて、頑張って暮らしてみたいです。

 因みに、12城。弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、高知城、伊予松山城、宇和島城です。これ以外に見る天守閣は全て、戦後再建されたコンクリート製です。
 

検証不能な答え

 傍観者効果に関し、kanrekiさんから頂いたコメントでの話を読んで、いろいろ想像していました。泳ぎの得意な人は何故、引き返したのか。後から助けに泳ぎ出した人の気持ちはどうだったのか。それを考えると、楽しくて夜も寝られませんでした。
 引き返した人の気持ち。
① 自分が行かなくても、後の人が助けてくれるだろう。
  助けようと思って飛び込んだけど、本当はちょっと疲れていのさ。
② 自分ひとりがヒーローになろうと思っていたのに。
  なんだ、他に助けに行く人がいるなら止めた。
③ あれ、後から泳ぎ出した人も溺れそうだな。二人を助けるのは無理だよ。
  自分も巻き込まれたら嫌だから、引き返そう。
 後から泳ぎ出した人の気持ち。
④ 一人より二人の方が、助け易いだろう。
⑤ あいつ一人にヒーローになられてたまるか。
  近くまで行って助けたふりをして自分も後で褒めてもらおう。
 私に想像できるのはこの程度です。どれが本当の気持ちが確かめようがありません。と言うか、自分で勝手に想像しているだけですが。私の人間性でしょうか、余り善意に想像できません。

 世の中には、他にも検証しようのない話と言うものは、沢山あります。邪馬台国はここにあった、という論文や、源義経はジンギスハンになった、という噂。龍馬は誰に殺された、というのはポピュラーです。それぞれ、どの結論が正しいか、今の時点では証明できません。マイナーなところでは柿本人麻呂はどこでどのように死んだか、と言う論争もあります。

 そんな中で私が一番不可思議なのは、あなたの前世は〇〇です、と言い切っている人。前世のあるなしも含めて、どうやって証明するのでしょうかね。もっとも、みなさん、所詮、ゲーム感覚でやっているだけなのでしょうけど。
 
 ある大学の文学の授業で、夏目漱石の『三四郎』が取り上げられました。レポートのテーマは、物語が終わって10年後、それぞれの登場人物がどのようになっているか想像しなさい、というものでした。学生それぞれ、好きに書いて良いのですから、これは正解のない答え。このようなテーマに答えるのも楽しいものです。
 
 
 

青木と谷口と石丸

 ブログのタイトルに人物を並べる時は、だいたい、書くことに困った時です。

 今回は、青木と谷口。1979年、都内の大学に通う二人は、同棲生活をしていました。青木の夢は、翌年開かれる予定のモスクワオリンピックで、男子競泳1500mの日本代表になること。そして金メダルを取ること。谷口はそんな青木に対し、ひたすら尽くすだけ。そして青木は甘えるだけ。それでも、谷口は青木の金メダルを持ち帰ることだけを願っていました。ところが、実は青木には、他に金メダルを渡してあげたい人がいました。高校の恩師の石丸です。石丸もまた、青木を愛していたのです。

 ところが、青木は金メダルどころか、オリンピック日本代表にすらなれませんでした。石丸は谷口を責めました。「ろくなものを食わせてあげなかったんでしょう。」と。そして谷口に「青木を譲って。私の愛の力でで青木をロスアンゼルスオリンピックに連れて行くから。」と迫りました。ところが、谷口に「愛で生活できると思ってんの。」と言い放たれ、去っていきました。

 そして谷口は青木を愛したことを誇りにしたまま、青木はロス五輪の金メダルを谷口の首にかけてやることを誓って別れました。

 その後、ロス五輪にも出られないまま年を過ごし、うらぶれ50歳を過ぎた青木は東京の裏町で、男の人の気の引き方も、口紅の引き方も知らない『少年』に、語りかけていました。どんな時代になっても、いつも心には太陽を持って生きていかなくちゃね、と。

 勿論、実話ではありません。今年亡くなられた、つかこうへいさんの「いつも心に太陽を」という作品のあらすじです。

 つかさんからは、綺麗事や建前だけが人生ではないこと、を知ったような気がします。勿論、それに対し賛否はあるとは思います。それでも、人間(自分自身)の醜いところや惨めなところを認めることから、初めて生きていく資格が得られるような気はします。

 因みに登場人物の、青木と谷口のフルネームは、青木シゲルと谷口鉄二。そして石丸先生も。皆、男です。

 つかさんは何人かの役者さんを育てられました。風間杜夫、平田満、石丸謙二郎。この三人が演じる「いつも心に太陽を」という芝居を見てみたかったです。

情報を穿ってみる

 困った人を見かけた時、どうするか。
 自分ひとりが困った人を見ていると思ったら手助けするが、見ている人の数が増えれば増えるほど手助けする人は少なくなる、という実験をテレビでしていました。心理学では傍観者効果というのだそうです。
 実験の一つは、書類を抱えて道を歩いていた時、その書類を落した時、拾ってくれるかどうか、というものでした。落した時、通りかかった人が一人の時は8割以上が、拾ってくれました。通りかかった人が、二人以上の場合、少し減ります。そして4人以上の時は誰も拾ってくれませんでした。つまり、自分がやらなければならないと思うか、自分がやらなくても誰かがやるだろうと思うか、の違いを説明しようとしているようでした。
 ただ、実験方法については疑問が残りますし、傍観者効果などという一般論で片付けられてしまうのも如何なものかと思ってみていました。見ている人が多かろうが、少なかろうが、手助けするかしないかは、その人それぞれの人間性ではないかと思います。

 このところ、外部からの情報は大切だと思うと同時に、情報に対し、素直に受け入れられない時も増えてきました。先日もテレビで、ある女性経済論者が、行政書士の資格をとることを勧めるような発言をしていました。その人によると、行政書士になれば年収1億円も可能だ、と言うのです。しかも受験資格に大卒はいらない、と説明していました。
 では、日本全国に何人の行政書士がいて、そのうち何人が年収1億円を越えているのか。また、その割合は他の職業と比べて多いのか。1億円を越える為にどれだけの努力が必要なのか。さらに、大卒でなくてもいいとはいうものの、試験科目や合格率はどうなのか。大いに疑問でしたが、それらの説明は全くありませんでした。
 それでも、収録会場に来ていた人達は驚きの声を上げていました。何故、そのような疑問が湧かないのか、それこそ疑問でした。

 英会話学校の電車内広告で、「当校の新会員の8割が在校生の紹介です。」とのキャッチコピーがありました。コピーの主旨は、多分、在校生が周りの人を紹介してくれる程、授業内容に満足しているんですよ、というものだと理解できます。では、8割と言うのが、他の学校と比べて多いのか少ないのか、というのは示されていません。また、紹介以外では2割の人しか来ない理由がなにかあるのでは、とも思ってしまいます。単に8割と言う数字だけに引き付けられてはいけません。

 冒頭の傍観者効果の実験でも、「割合」という一見客観的な数字で納得させようとしていますが、割合を産出する時の母数が示されていなければ鵜呑みにすることは出来ません。
 通りかかった人が一人だったのケースは何件だったのか。4人以上だったのが何件だったのか。それに対して何人が反応したのか。母数の多寡によって割合をいうのもは大きく左右されるはずなのに、それが示されなければ、例外的なケースが、あたかも一般的な結果であるように誘導されてしまいます。或いは、その逆方向へ錯覚させられる場合もあります。
 
 情報に接する時には、多少、穿ってみることも必要でしょう。

 でも、こんなことを考えているよう人間の方が、えてして詐欺に遭い易いのかも。
 
 

 

二つの顔を持つお城

 今、テレビを見ながら書いています。
 今日のテーマは、お城。少し、オタク的な内容です。

 私の趣味の一つにお城巡り、というのがあります。と言っても、全国全てのお城を見たわけではありません。それでも、私が一番好きな城は『松本城』です。その松本城がテレビで取り上げられているので、思いついて書いています。そのため、写真が用意できず、残念です。が、有名な城なので、写真やテレビでご覧になられた方も多いとは思います。

 松本城は、信州にあります。天守閣の外壁は黒漆と白漆喰のツートンカラー。早春の頃は、黒漆と北アルプスの雪が絶妙なコントラストを描きます。石垣の高さは、各地の城と比べて低いです。それによって安定感が醸し出されるうえに、天守閣を囲むお堀までの距離も近いため、天守閣の全景が美しく水面に映えています。これが、私が松本城を一番好きだと思う理由です。

 築城されたのは今から410年前。関が原の戦いの少し前です。戦国時代の真っ只中、しかも、鉄砲が普及し、それまでの戦とは異なった戦い方や防御が求められる時代でもありました。それに備えて様々な工夫が築城に当たり施されています。また、天守閣の中には『御座の間』が設けられていました。これは万一、落城を余儀なくされた場合、城主が切腹する場所です。松本城の持つ、戦いの顔です。

 その一方で、築城40年後には天守閣に月見櫓が増設されました。名前のとおり、宴を催す場所で、これは全国のお城の中でも、極めて珍しい造りです。これは松本城の持つ、平和の顔。

 戦いと平和の二つの顔を持っています。ただ、これだけではなく、この城は更に、「東と西」という二つの顔を持っています。

 松本城を築いたのは石川数正と言う人です。数正は当時、徳川家康に属していましたが、築城後、豊臣秀吉側に寝返りました。このため、、松本城は大阪の秀吉側から見れば、江戸の家康をけん制するため、東を向いて睨みを効かす城となりました。ところが、数正の息子は、関が原の戦いでは家康側につきました。結果、松本城は、今度は江戸の家康側から、大阪の豊臣家に睨みを効かすため西を向いた城になりました。

 一つの城が、二つの顔を持つ、というのはとても興味深いです。ひとりの人でも、この人が、と思わせるようなもう一つの顔を持っている人の方に魅力を感じます。ジギルとハイドとは言いませんが、一つの言葉では括れないような人間性を持っていたいと思うのです。そんなことを考えさせられる松本城でした。
 ということで、『お城さん』というカテゴリを増やしてみました。

 今日は、このブログを初めて一番取り留めのない内容になってしまいましたが、今日は、伝えると言うより自分への備忘録的なものです。
 
 

人思う、故に我あり

 なんで、ブログを始めたか。 

 山の中で一人で暮らす仙人。実際にいるかどうかは知りませんが。彼は豊富な知識や経験、優れた技術や才能を持っています。しかし、それを誰に伝えるでもなく、一人で抱えていては、何も持っていないのと一緒です。
 南の島から帰還した元日本兵。これは実際にいた方。太平洋戦争が終わって何十年も経って、戦死していたと思われたのに南の島で発見され、2人が帰還しました。社会との交わりを全くしていなかった為、生きていても「死んだ」ことにされていました。おそらく、他にもそのまま人知れず亡くくなった方も少なからずおられたのではないか、と想像できます。
 会議に出席しても一言も発言しない社員。これは実際に沢山います。自分の意見や感想を全く述べない。しかも、その結果を持ち帰って活かすこともしない。これではその場にいなかったのと一緒です。後で何かの事件に巻き込まれても、アリバイ証言すらしてもらえないかもしれません。
 
 人の存在は、人から思われてこそ意義があるのでしょう。そのためには先ず、自分自身を発信しないことには何も始まりません。その発信を、他者がどのように受け止めてくれ、取捨選択されるのか。それは発信する人自身の人間性にまで及んでくることかも知れません。賛同、反対、その他どのような反応でも構いません。勿論、無視されることも覚悟の上です。誰からも何も思われない人生なんて、クリープの無いコーヒーみたいです。そのためには、自らの発信は大切です。
 
 そして、発信できる人は、他者に耳を傾ける事の出来る人だと思います。人思う、とは人から思われること、そして人を思うこと。

 だた、発信者としての自覚と責任は持たなければなりません。言論の自由を盾に、何でも許されるものではありません。特に、匿名で出来ることは注意すべきです。何事も、自己規制が無ければ、必ず他者規制が入ってきます。
 
 中学生の頃ですから、今から40年程前。担任の先生から「これから先の世の中、人間のやることは全て、機械やロボットがやるようになる。だた、文章を作ることは人間にしか出来ない。文章を書き続けなさい。」と言われました。いささか大げさな話と思っていましたが、現代は、人の感情にも反応できるロボットまで現れました。ワープロからパソコン。文章を書く(表現する)方法は発達してきました。しかし、文章を考えて発信することはどうでしょうか。もしかしたら、近い将来、それもロボットがやるようになるのでしょうか。せめて、今は、ロボットでもできることしかできない人間にはなりたくないものです。
 
 なので、文章を書いて、トライアスロンを続けます。

横鉄年末行事

 毎年、12月第2週に、横鉄年末行事が行われます。午前中に根岸森林公園で駅伝。夕方から関内近くで総会。その後に中華街で忘年会。駅伝と総会の間は、近場の人は一度家に帰ったり、遠方の方は日帰り温泉その他で時間を過ごします。駅伝は9時スタートで、忘年会の終了は22時前。アイアンマンよりは多少短い1日です。

 ところが、今年は、駅伝を根岸で走れなくなりました。昨年までは根岸公園内の園路を走っていました。園路は歩行者もいれば、ランナーもいます。普段は、自由に利用していいのですが、昨年から10人以上の団体で、記録を取って走る場合は、事前に園路使用許可を得なければならなくなりました。昨年は、1週間前に申し込んで簡単に許可が出たので、今年もその予定で、と思っていました。ところが、今年は既に、同じ日に先約が入っていて、使用許可が出ませんでした。油断していました。ランニングのブームはこの辺りにも広がっているのでしょうか。

 許可が無くても、目立たないようにやれば出来ないことは無いのかも知れませんが、そこは大人の集まりである横鉄なので規則は遵守。場所を、鶴見川沿いのサイクリングコースに変更しました。拠点は、綱島街道の大綱橋の直ぐ下流の広場(ドライビングスクールの下流側)です。11日の8時過ぎにはメンバーも集まり始めると思います。横浜近辺にお住まいの方、どうぞご参加ください。駅伝終了後は、綱島温泉にいかれる方もいると思います(走って温泉に入って、ビールが美味しいとは思いますが、〇〇〇〇さん、総会には素面で出席してくださいね)。

 忘年会は40人近くになります。今年は1室丸ごと貸切になるので、どんな騒ぎになるのやら。楽しみ、というより少し不安です。トライアスロンをやっている間は大人の人たちも、乾杯から30分も経てば……。

 今年も、横鉄に新しいメンバーが沢山、入ってくれました。特に今年は、今までとは違った層の方が多かったです。中学生からの連絡がきたり、想定などしていなかったこともありました。女性の方も一気に増えました。フェミニストのおじさん達に囲まれ、来年からの横鉄の女子会の活躍は楽しみです。 

 
 

ペース・ブレーカー

 福岡国際マラソンで、ペースメーカーが暴走したとか。15キロまで予定通りで走っていたのに、突如ペースを上げ、レースを混乱させてしまったらしい。その先、独走し、30キロ地点で制止されたとか。TVを見ていなかったので現状はどうだったのか、分かりません。ペースアップをしたのは、確信犯なのか、それとも思わずランナーの本能が出てしまったのか。ペースメイクも楽じゃないのでしょう。

 私の横浜マラソンのペースも乱高下しました。僅か10キロの間に。
 前日から、念入りにマッサージをして、朝起きた時には走れそうだった。
 しかし、いざ走り始めてみると、
 1~3キロは15′51″ @5′17″/km ウォームアップを入念にし、膝の痛みは少々、に押さえらる。
    3~4キロ       5′45″/km 轍に足をとられ、痛みが増す。
    4~5キロ       5′18″/km 足が暖まり始め、膝の痛みも和らぐ。
    5~6キロ       5′05″/km 呼吸が慣れて来て、このまま最後まで行けるかも。
    6~7キロ       5′28″/km やはり、練習不足。甘くは無かった。
    7~8キロ       6′15″/km 一升瓶には一升の酒しか入らない。途中抜いたランナーに抜き返される。
    8~9キロ       5′09″/km 給水で息を吹き返す。
    9~10キロ       4′53″/km ここまで来ると、膝は麻痺。 
 ゴールタイムは53′46″。
 記録云々を言える状況ではないのですが、10kmレースで50分以上かかったのは、初めて。
 7キロ以降、ずるずると落ちて行かなかったのは、腐っても鯛?


ミナトYOKOHAMA

 1978年2月14日。20歳と7ヶ月7日の私は、横浜港の大桟橋から、ソビエト連邦(当時)のナホトカに向う旅客船に乗りました。旅客船といっても、今時流行りの大型クルーズ船ではありません。伊豆七島航路の東海汽船ほどの大きさ。冬の三陸沖での船酔いに悩まされての2泊3日の船旅。それでも、日本海洋上から見たシベリア大陸の雪を冠った山々の姿は、今も脳裏に焼き付いています。
 最終目的地はイギリス。シベリア鉄道、欧州国際列車、更にフェリーを乗り継いでの一人旅。五木寛之の『青年は荒野をめざす』に感化された当時の若者の定番ルートでした。

 ロンドンまでの片道切符と、到着初日のホテルだけは日本で手配していきましたが、後は行き当たりばったり。その年は、日本人の海外旅行が自由化されてから未だ14年しか経っていませんでした。私の父が外国航路の船員だったことから、子どもの頃から気持ちの上では、海外はそれ程遠い存在ではなかったのかも知れません。一人横浜から船に乗る時も、不安よりもワクワク感の方が強かったように思います。

 その横浜港も、今の私には、毎年、5,6月のトライアスロン東京アイランドシリーズに参加する時の乗下船場所になっています。当時の大桟橋とは、ターミナルの建物も、周りの風景も随分違います。当時のよすがを偲ぶことは難しいです。勿論、私自身の年齢や環境の変化にもよるのでしょう。横浜~ナホトカ航路も今はもう、ありません。

 その横浜で、明日、マラソン大会があります。スタート地点は、大桟橋脇の山下公園前。ヨーコはハーフ、私は10kmにエントリーしています。ヨーコは2年ぶり3回目の10位入賞が目標。私は朝起きたときの膝の状況次第です。ゴール後は横鉄の仲間と中華街です。

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今日は、4日ぶりの練習=つまり、12月になって初めての練習。
スイム:ヨーコ2,350m 500mインターバルのベストは7′07″
    私も2,350m  500mインターバルのベストは7′24″(但し、ヨーコのペースメイクによるもの)
          単独泳では7′40″。4日ぶりとしてはまずまずかな。

織田幹雄と南部忠平

先ず、訂正です。
 アベベとマモの記事の中で、マモがメキシコの次のオリンピック(ミュンヘン)のマラソンでは銀メダルと書きましたが、正しくは銅メダルでした。理解力のあるなしで、二つ目のメダルの色は変わりましたが、その後の人生の顛末は多少、共通しています。

 今日は、さらに昔々のお話です。
織田幹雄氏と、南部忠平氏。このお二人のお名前は若い方でもご存知でしょう。織田氏は、日本人として初めて五輪で金メダルを獲得したトリプルジャンパー。南部氏は、その次の五輪でトリプルジャンプ日本人2連覇を果たした方です。このお二人は、織田さんが1学年先輩で、同じ大学で練習に励まれました。

 南部氏は、先に五輪で優勝した織田氏と一緒に練習をして常に目標とされていたようです。いつか織田氏を越える、ということを念頭に練習に励まれていたそうです。ところが、いつまで経っても越えられない。練習の量も質も負けていないはずなのに。

 ある日、合宿所の風呂場で南部氏が織田氏の背中を流していました。後輩が先輩の背中を流す、今昔を問わず体育会系では見慣れた光景です。ところが南部氏は、織田氏の背中を流していて、織田氏の背筋の凄さに気がつました。一口に背筋と言っても、広いです。どこがどのように鍛えられているのか、それを意識して背中を流し続けたそうです。以来、南部氏は背筋も意識してトレーニングし続け、記録を伸ばし、金メダルに繋げた、と言われています。

 私達がステップアップをするためのヒントは、至る所に転がってるはずです。他人から見れば詰まらないように見えることでも、自分の目標や日頃意識していることに引き寄せてみれば、途方も無いお宝だったりすることもあるはずです。ただ、それを見つけられるかどうかは、日頃から積極的に問題意識を持ち続けていられるかどうか、に係わっているのかも知れません。そして、どんな人の、どんな考え方や情報でも、謙虚に受け入れてみることは大切だと思います。その中から、自分の目標に照らし合わせて、その人自身が取捨選択すればいいのでしょう。

 先輩の背中を流す。どこにでもある風景、人によってはやらされているだけの行為。その中からもオリンピックで金メダルを掴み取るヒントを見つける人もいます。よく、サラリーマンは(だけに限らず)、オンとオフを使い分けろとか、会社を出たら仕事を忘れろ、という言葉を聞きます。しかし、電車の中吊り広告、他愛のない酔っ払いの会話……。自身をレベルアップできる為のお宝は、いつ、どこに眠っているか分かりません。気付きのきっかけを掴むには、オフはありません。

「世間」と「社会」

 「世間」とは、自分と直接利害関係があるか、将来、利害関係が発生するかも知れない集団。その中では仲間への関心が高く世話も焼く。一方、「社会」は、しがらみのない公の世界。朝日新聞12月1日付け朝刊25面に掲載された、鴻上尚史さんの言葉です。

 世間と社会、という区分の仕方やその定義についての妥当性は別として、これで何となく、最近、横浜鉄人クラブに対して湧き出していた不満の持っていき方と、DERAILERへ陥らずに済む考え方が理解できたような気がします。

 「世間」の定義の中で、利害関係という言葉は、理解の仕方によっては、極めて大きな誤解を生みそうなので、この場では省きます。後半の仲間への関心が高い、という部分だけに焦点を当てます。私は、横浜鉄人クラブに対し、世間を感じています。一方、メンバーの中には、クラブに、社会として参加している人も少なくないのだろう、と思います。

 自分が世間と思っているから、他の人も同じように思っているだろう、または同じように思ってもらいたい、というのは、全く私の一方的な期待であり、要望にしか過ぎません。メンバーそれぞれの生活があり、トライアスロンに対する思いがあるわけですから、皆が皆、同じレベルでクラブの活動に参画してもらうことは不可能なことでしょう。クラブに加入した動機もそれぞれですから、なおのことでしょう。

 レースや練習会には参加するけれど、それ以上の積極的な関わりを持たないメンバーも認めてあげなければならないのでしょう。こちらから、世間と思ってくれ、と頼んでも、社会として参加している人には無理なことなのでしょう。後は、私自身の行動で、クラブに対し今まで以上に、どれだけ働きかけることができるか。それでも動いてくれる人がいなければ、自分の力不足を認め、諦めましょう。

 と言うことで、このブロク上での、クラブ運営に関する独り言は、これで全て終わりにします。

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  今日は、4日ぶりのランニング、と言うより、殆どウォーキング。8km56分。膝の回復は一進一退。まだ、出口が見えせん。ヨーコは大学でハングル語と教職の授業。熱心に取り組んでいます。
プロフィール

kiyo & yoko

Author:kiyo & yoko
努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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