2011.03.31 裁判員裁判
愛用の自転車が盗まれた、としよう。懸命に探して、ある家の庭に停められている自転車を発見。間違いなく自分の自転車だ。さて、その時、あなたはどうするか。

 3月30日、覚せい剤密輸事件に関し、裁判員裁判の一審で無罪だった被告が、二審の高裁で逆転有罪判決が出された。しかも、高裁で量刑まで決められたのは裁判員裁判では全国初のことだった。
 3月31日付朝刊。朝日新聞はサブタイトルで『1審の証拠評価は誤り』として「三審制をとっている以上、控訴審や上告審で結論が変わることは当然あり得る。」としつつも「裁判員の結論が簡単に変更されることが続けば、市民の間で批判が高まることも予想される」。「裁判員制度を導入した意義は、…、市民感覚を反映させることだ」と続いている。
 読売新聞は『裁判員の無罪覆す』の見出しで「裁判員の判断が一切、判決に反映されない可能性が出てきた」。「裁判員制度の趣旨から見て、高裁の判断が妥当かどうか、最高裁で改めて問われることになる」。と書かれている。

 両誌とも、裁判(法律的判断)に市民感覚を反映させることは重要である、との認識は共通しているようだ。確かにそれに異論はない。ただ、気をつけなければならないことは、朝日新聞にもあるとおり、日本の裁判制度は三審制がとられていること。

 『事実』は、見る人や方向によっては必ずしも同じように見えるとは限らない。だから三審制がとられている。法律のプロですら1回の裁判だけでは正しい判断が出来ないこともありえるから。現に、裁判員裁判だけに限らず、1審、2審、それと3審で、それぞれ異なる判決が言い渡されることは、少ないとは言え今までも何度もあった。
 ところが今回に関して両誌からは、基本的には裁判員の結論を尊重すべきとの意図が読み取れる。それでは三審制を採っている意味がない。
 まして、今回の1審においても、裁判員がどのように判断したか(全員一致だったのか、多数決だったのか)は裁判員制度のうえで明らかにされていない。また、選ばれた裁判員が別の人たちだったら同じ判決だったのかは検証しようがない。
 だから裁判員裁判の結果が全てとは思えない。特に朝日新聞の「市民の間で批判が高まることも予想される」とまで書いてしまうのは、むしろ市民感覚をミスリードしかねない。正しくは、裁判員裁判であってもその結論が全てではなく、様々な見方や考え方があり、その判決が別の裁判では正反対の結論が出る可能性もある、ということを呼びかけるべき、と考える。それによって、裁判員として参加した市民、またその判決を知った市民の感覚が、法律に照らしてどうなのか、を判断する。それこそを裁判員制度の目的にしなければならない。そして、法律が世情に合わない、と判断されれば法律を改正すべき方向へ動いていかなければならない。

 なお、今回の判決に対し両誌が取材した一審の裁判員のコメントは対照的だった。朝日新聞では「裁判は三審制なので控訴審でひっくり返ることがあってもいい。より精度が高まったのだと理解した。」とのコメントが載せられた。読売新聞では「法と証拠で判断しようとした苦心した経験を踏まえると、控訴審の結論には違和感もある。」とのコメントを載せた。法律行為を市民感覚で判断するのは、簡単なことではない。

 さて、冒頭の場面に戻ろう。
 盗まれた自分の自転車だ。だから、その場で自分で自転車を取り戻しても良いのだ。そう思って、他人の庭に入った途端、あなたは住居侵入の罪で逮捕さる可能性があります(刑法第130条)。
 では、盗まれた自分の自転車がゴミ置き場に放置されていたとしよう。これなら持って帰っても良いだろう。いえ、ダメです。占有離脱物横領で逮捕される可能性があります(刑法第254条)。盗まれた自転車が、盗んだ人から善意の第三者へ売却されている可能性があるからです。
 自分が持っていたのが明らかであるにも拘わらず、それを取り戻す為には、警察へ届けるとか、裁判所を通じてて然るべき法的手続きを執らなければならない。法律の世界では自力救済は認められていない。かように法律の世界と言うものは、必ずしも市民感覚とは一致しないこともある。
 
 
 
2011.03.31 3割引に弱い人
 「3割引だったから買ってきた。」と得意げに言う。
 「同じような服、まだあるよ。」
 「でも、3割引だよ。」
 後日、その服を着ていると、
 「ほら、買っといて良かったでしょう。」とドヤ顔で言う。
 「たんすの肥やしにできないだろう。」
 「何言ってんのよ。気に入っているくせに。」

 別の日。
 「3割引だったから買ってきたよ。」
 「まだ冷蔵庫に残っているよ。」
 「でも、3割引だよ。」
 後日、
 「ほら、3割引のパン、食べている。」

 割引に弱い。割り引かれていると安い、と思い込んでいる。
 もともとの値段が妥当かどうかまで考えない。
 普通、買わないだろうと思うものでも割引だと手を出してしまう。

 近くのコンビニには商品が3割引になる時間帯がある。
 先程「何かあるか見てくるね。」と言って出かけて行った。
 さて、今日は何を買ってきてくれるのか。
 楽しみに待っていよう。

 
 若者に伝えたいこととして、立教新座高校の校長先生がラジオで言っていた。校長個人だけではなく、このような世の中を作ってきた世代の一人としての言葉なのだろう。この方は、年齢的には私よりそれほど上ではないと思う。しかし私は、申し訳ないと言えるほど、人に豊かさを与えることはできていない。
 
 この「豊かさ」とは、物質的、経済的なものだけなのか。精神的な豊かさは?

 梶井基次郎の『檸檬』を学生の時に読んだ。四畳半一間のアパートで。それから15年ほど経って、2LDKの部屋に一人で住んで、毎夜、ネオン街で飲みまわるほどの収入を得るようになった頃、もう一度読み直した『檸檬』からは、私には何の感動も湧かなかった。あの時の震えるほどの思いはどこへ消えたのか。

 与えてもらう豊かさは、申し訳ないくらいに与えてもらった。特に両親からは。自分は努力しなくて、両親の苦労の上にあった豊かさ。これに対しては、どんな思いを表現してもうわべだけになってしまう。

 この言葉がなぜか気になって、ブロクのタイトルにしたのだが、私の中で消化するにはもう少し時間がかかりそうだ。ただ今は、「洗濯物が風に揺れているのを見ると幸せを感じる。」というヨーコと豊かな時間は過ごしている。


 
 久しぶりに本屋へ立ち寄りました。出先で電車の待ち時間が15分。コーヒーを飲むには少し短く、かと言ってホームで待つには少し長い、という中途半端な時間。駅前の本屋へ入ったのですが、読みたい本が見つからない。書棚や平積みでたくさん本はあるのに。
 このところ、好きな作家の多くが他界されたり、新作を発表されなくなっているのも原因かも知れません。ビジネス本なども、どれも代わり映えのしないような気がしています。家の本棚にある古い本を繰り返し読んでいます。気に入った作品は何度読んでも飽きない、というか、読む度に新しい発見が合ったりします。犯人の分かっている推理小説でも。

 それでも、おおいなる想像力と好奇心を満たしてくれる最高の本は『時刻表』です。これさえあれば、日本全国どこにでも自由に旅をすることが出来ます。企画できるたびの種類はいくらでも作れます。日本一周早周り、稚内から鹿児島まで新幹線を使わずに最短で行けるコース、等々。これに地図帳があれば完璧です。何時間、何日でも時間潰しができます。

 たぶん、都内の丸善に行けば今でも売っていると思うのですが、トーマスクック社が全世界の主な鉄道の時刻表を発行しています。私にとって、無人島へ持っていく究極の一冊です。

 
2011.03.27 高校生
26日は横鉄のメンバーと日産スタジアムでヤッソ800(=800m+400mのインターバル)を行いました。総勢7名です。私はまだジョグしかできませんが、400mトラックを30周しました。疼痛はないのですが、左右のバランスは崩れたまま。周囲から見ると本人が思っている以上に大変なことになっているようです。それでも少しながらも筋肉痛になるくらいは走れました。鍛えながら直していくしかありません。

 日産スタジアムでは、春休みになった高校生がたくさん走っていました。羨ましがっても仕方がないのですが、私が中・高で陸上をしていたころは、こんな立派な競技場で練習する機会など全くありませんでした。凸凹の校庭で、野球やサッカーのボールを避けながら、それでも楽しく走っていました。

 日産スタジアムや小机フィールドでは、トラックの種目によって使用できるレーンが決められています。日産の場合、2~4レーンは長距離、ジョギング用。5,6レーンが中距離。7,8レーンが短距離。9レーンはハードル。因みに1レーンはコース保護の為、使用できません。
 私たち一般市民は、2,3レーンで走ります。ところが、現役陸上部員が平気で、3レーンを使って短距離走をやっています。しかも指導する先生も当然ルールを知っていながら黙認。複数の学校がきているのですが、指導者同士で注意しあうこともないようです。余りにも危険なので、よせばいいのに頑固オヤジみたいに注意を促しても先生達は意にも介しません。トロトロ走っている親父が何言ってんだ、くらいの感じです。私たちだって、午前中は学生・生徒が多くいるのが分かっているので、12時スタートにするくらいの気は使っているのですが。
 生徒たちは揃いのウィンドブレーカーを着ているので校名は直ぐ分かります。私たちが1月に先導した港北駅伝に出ていた学校もあります。なんだかなぁ、と思ってしまいます。先生も先生ですが、何の疑問も持たずルール違反をしている生徒も生徒。こんな恵まれた環境でトレーニングできるのに、もっと自分で考え、自分で判断できる力を持たないと、君達、強くなれないよ。

 それはさておき、今日、選抜高校野球で徳島県の城南高校が勝利を収めました。四国から出場した中で唯一、1回戦を勝ち残りました。城南は公立高校。このところ、高校のスポーツほ私立高校の天下です。四国の高校野球も私立が幅を利かせるようになっています。そんな中、全国47都道府県で徳島県だけが春夏通じ、未だ私立高校が甲子園の代表になったことがありません。私立が良くない、という気持ちはサラサラありません。が、普通の部活動をしている普通の高校生が全国レベルで活躍する姿は清々しいです。四国を出て、関東での生活時間の方がはるかに長くなりましたが、今でも、どうしても東日本の私立校より西日本の公立校の方を応援してしまいます。
 

 
2011.03.25 校歌
 マンションの前を、ゴミ収集車がオルゴールのような音を鳴らしながら通っています。1フレーズ30秒くらいなのですが、その最後リズムと音程が、私が卒業した中学校の校歌と全く一緒なのです。
 「わぁ~れらが、ひよしぃ~、ちゅう~がぁっこう~」。楽譜にすると、「ド~ドシラ ソソミ~ ソ~ミ~ド~」。収集車が来ると思わず歌い出したくなります。

 選抜高校野球が始まりました。私の出身県は昔から高校野球の盛んな所ですが、残念ながら今年はどこも選ばれませんでした。甲子園といえば、参加できる学校の選手には「甲子園で校歌を」という合言葉が多いようです。私は個人種目のスポーツだったので縁はなかったのですが、自分の通う学校の校歌が甲子園で、そしてテレビ、ラジオを通じて全国に流れる、というのことはとても誇らしいことでしょう。

 私の母校は2006年に一度だけ選抜大会に出場したことがあります。同じ市内に旧制中学時代からの強豪校があるため、地元の野球少年はその学校に進学しました。そのこともあり私が通っていた当時は、甲子園はおろか、県大会で1勝することも覚束ない状況で、実際のところ甲子園とは縁のない所、と思っていました。徐々に力はつけていたようなのですが、念願の初出場を果たしました。さらに1回戦を勝ち抜き、校歌が全国に流れました。

 私の母方の祖父は生前、全国の高校の校歌を聞くけれど、私が通っていた高校の校歌は全国一だ、と言っていたそうです。祖父の息子(私にとって叔父)二人も同じ高校卒業だったという身びいきもあったかもしれませんが、甲子園で校歌が流れれば、と言っていたそうです。私にもう少し野球の才能があれば…。

 結局その夢は果たす前に他界しましたが、一度だけとはいえ校歌を流すことが出来たメンバーの中に曾孫がいたことを大いに喜んでくれたことと思います。

 単なるノスタルジックでなく、校歌を思い浮かべるだけでも、今、地元や全国で頑張っている同級生に恥ずかしくない生活をして行こう、と思います。
 
 30年位前、発作みたいに時々、脇腹に死ぬほどの痛みを感じました。

 最初の病院では、「腎臓結石でしょう。暫く様子を見ましょう。ビールをたくさん飲んでおしっこで押し流すのも良いですよ。」と言われました。ビールをたくさん飲めるなんて、と軽く考えていました。何日かに一度、2,3時間ほど苦しむのですが、それ以外は全く何の症状もなく、普通に生活ができました。結石の大きな原因の一つはストレスらしいのですが「お前にストレスなんか溜まるはずがない。」とか、尿に血、混じっていたと言っても「血が出るほどの苦労なんかしてないだろう。」と一蹴され大した心配もしてもらえませんでした。

 しかし、何ヶ月経っても収まらず、またレントゲンにも石は映らなかったため、別の病院を紹介してもらい精密検査をしたところ、先天的に尿道と血管が癒着し、その為、腎臓の出口にある水腎という所に負担をかけ腫れていたとのこと。結局、手術をしましたが、今も、少し腫れたままですが、生活には全く問題はありません。

 しかしあの時の痛みは、病院嫌いの私ですら自ら足を運んだくらいで、本当に苦しみました。

 因みに手術痕は水着になると見えてしまうのですが、初めて見る人に「昔、手を出した女のヒモが〇〇〇で、ばれて刺された。」と言っても「お前にそんな度胸はない。」とこれまた全く相手にしてもらえません。
 
2011.03.24 追いコン
 昨夜はヨーコの所属していた大学のトライアスロン部の追いコンでした。記念に、一人一人のコメントの入ったアルバムや手製の卒業証書、ガーベラの花束を頂いてきました。どれも細やかな思いが込められた物ばかりでした。学生達の、仲間やチームを思う強い気持ちが伝わってきました。

 若いって素晴らしい、と羨ましがってばかりいないで、まだまだ情熱を持って取り組んでいかなければ、と気を取り直そうと思います。

 昨夜はその関係で、私は自宅でのんびり過ごせました。
2011.03.23 青と赤
 電力不足のニュースで、忘れていたことを思い出しました。東日本と西日本では、電気のヘルツが違うこと。静岡県の富士川を境に西日本は60ヘルツ、東日本は50ヘルツ。
 高校を卒業し関東に来た時、実家からポータブルのレコードプレーヤーを持って来たのですが、レコードをかけても間延びした音しか出ません。故障か何かと思ったのですが、アパートの先輩から初めてヘルツの違いを教えてもらいました。卒業式の送る言葉の中で、教えて欲しかった。それとも、授業中、他のことを考えていて聞き漏らしたのかな。

 夜行列車や貨物列車を牽引する電気機関車も西へ向かうのは青、北へ向かうのは赤、と区分けされていると言うのを聞いたがあります。これは直流と交流で分けられているとか。

 狭い日本なのに、何故統一できないのか、科学音痴の私には分かりません。
 日々の生活の中で、様々なストレスを受けます。外部から与えられるものもあれば、自分自身の中から沸き上がるストレスもあります。ただ一概に、ストレスは避けるべきもの、と決めつけることは出来ません。特に自分自身から起こる場合、ストレスを受け止めそれを克服することでステップアップできることもあります。
 誰しも、今より良くなりたい、という本能は持っていると思います。経済的、能力的その他、日常生活の何処かの分野で満足していても、それ以外の所で、現状以上を目指したい、という願望はあるのではないでしょうか。自分自身に対してストレスを感じるのは、今より良くなりたい、強くなりたい、の裏返しではないか、と思っています。

 生きがいに近いくらいの趣味でトライアスロンをやっています。今年で27年目になります。始めた動機を述べると、とても長くなりますので、ここでは省略しますが、泳いで走るのが好きだから、ということには違いありません。最初の頃はレースに出られなくて辛い思いもしました。レースに出られるようになると、出ることだけで楽しくなりました。ところが3,4年して皆生や佐渡Aを完走すると、次の目標がなくなりました。完走だけが目標ではつまらなくなったのです。もう一つ上の目標を持つべきだったのですが、当時は365日休めるのは年始の3日だけ、の状態ではトレーニングどころの騒ぎではありませんでした。思うように出来ず、ストレスが溜まる一方でした。

 何で、トライアスロンを始めてしまったのか。そうでなければ、身体を動かせないストレスなど感じなくていいのに、との思いも常に持ち続けていました。1986年の第1回大会から連続出場できていた中島トライアスロン大会には、それこそ義務的という感じで参加はしていました。ロードレーサーに乗るのも年1回このレース時だけ、という状況が10年くらい続きました。それでもここまで続けてこられたのは、やはり、泳いで走るのが好き、ということに尽きると思います。

 今でも、ストレスは感じています。周囲の方の練習情報などが入ると、特にそうです。時間の使い方が下手なのかも知れませんが、現状では一日3~4時間以上続けて練習することはできません。練習できる人が羨ましいです。練習できる人は出来る人で、それなりにストレスを感じてください。ストレスすら感じなくなったらそこがゴールです。次のスタートはない、と私は思っています。
 
 投げたボールを打ち返されてこそ存在意義がある。試合で投げるピッチャーとの違い。それが裏方バッティング・ピッチャーの役割。バッターに気持ち良く打ってもらえれは良し。打ち返されなければ打ってもらえるよう努力をしなければならない。見送られれば一番落ち込む。
 ブログとか、勝手に一方的に発信しているものは、発信そのものが自己満足なのだから、反応がなくても気にすることではありません。

 ところが組織に対する事務連絡に反応がない、とうのはどういうことでしょう。私一人が空回り? 勝手にやれば、何を一人で意気込んでいるの。それぞれの思いはあるでしょう。しかし、組織は、それがどのようなものであれ、自分のことだけを考えている人だけではなりたちません。一人ひとりが当時者。単なる評論家に終わってはいけません。杞憂、考えすぎ、いろいろ言われるかも知れませんが、組織の安全に関しては想定外で済まされない場合もあります。今回の問いかけは、危険をできるだけ避けるためにはどうすべきか、という問題です。

 私の組織運営に関する発信には、同意してもらうことだけでなく、異論を述べてもらう目的もあります。不満や別の意見があるのなら返信して下さい。全ての人が納得できる対処は出来ないかも知れませんが、いろいろ意見を出して、より良い行動、より満足できる結果を、皆で導き出さなければならないと考えています。

 けれど、その発信に対し、応答がない以上、結論に対しては一切、文句を言わせません。

 などと、気の弱い私はブログでしか、このようなことは言えません。

2011.03.20 淡々と
 いろいろな思いはあるでしょう。今できることもあります。出来ないこともあります。してはいけないこともあります。今やらなくていいこともあります。こんなことやってていいの、ということもあります。が、ただ、淡々と生活して行こうと思います。

 普通に生活できる時は普通に生活しよう。普通に生活できることのありがたさを、手の届く所から還元しよう。被災者の方々に直接役立てることができなくても、家族や地域社会など、身近な人に対して穏やかに、気配りを持って生活することだけでも、十分ではないでしょうか。それが広がっていけば、きっと良い社会になるはずです。身の回りで出来ることを少しずつ良くして行く、今はそれしかないように思います。そして状況が変われば、それに応じて次の行動が見えてくるはずです。
各種スポーツイベントの中止が続いています。市民マラソン大会で使用される水だけでもどれ程か、ということを考えれば当然でしょう。被災者の方々にスポーツで力を与えて上げられる選手は、極めて限られたトップアスリートでしょう。
 野球は好きで、年に何度かプロの試合を見に行きます。今、シーズンの開催時期を巡って様々な意見が聞かれますが、必要以上の電力を使用するナイターなんて、とんでもないと思っています。電気も通っていない被災地の方にスポーツで勇気づけるのは、もう少し後のことと思います。
 現状では、私程度の人間はプラスなる(何かをする)より、マイナスにならない(復興の妨げにならない)ように謹んでいこうと思っています。もう少し落ち着いたら何かできるはずです。

 30年程前、モスクワ五輪をボイコットするかどうかという時に、何人かの金メダル候補の選手が、自分達が五輪を目標にどれだけ練習してきたか、という言葉を発していました。主語は全て一人称だったのが記憶に残っています。二人称や三人称が主語にならない限り、スポーツの限界があるように思っていました。

 横鉄のデュアスロンも、クラブとしては中止にしようと思います。
 表向きは、メンバー皆、日常生活でも不便をきたし、通勤や仕事で疲れが溜まっていること。余震が続いている中で万一に備えること。現地に行くまでのガソリンを節約すること。いくらでも考えられます。
 が、本音は、誰からも開催、中止に関しての意思表示がないことです。おそらく、やりますよ、と言えば何人もが参加はするでしょう。しかし、誰かが言い出すのを待つことは「大人の」することではない、とう考えはずっと変わりません。
 楽しみにしている人もいるでしょうし、横浜トライアスロンに向けては絶好の機会ではあります。「やりましょう。」と言う人がいれば、事務局として最大限の務めは果たします。
2011.03.18 卒業式中止
 3月25日に予定さていましたヨーコの通っていた大学の卒業式が中止になりました。保護者と間違えられながら出席した入学式から4年。40歳代にして、息子や娘であっても不思議ではない若者達と苦労しながら過ごしてきた4年間を思えば、けじめとなる卒業式を私の方が楽しみにしていたのですが、世情を考えればやむを得ません。卒業証書が届いたら、私主催の卒業式を開いてやろうと思っています。6月の教育実習に向け、気を取り直して進んでもらいたい、と思っています。
 今回の事故で、原子力発電所がどのような仕組みなのか、大まかなところでは分かってきました。これまでは、原発は恐いような、でも生活には必要な物、という程度の認識でした。安全性では万が一の場合でも、即座に稼動を停止さえすればそれで済むのだろう、と考えていた程度でした。ましてや定期点検中で休止している原子炉からも放射能が漏れる危険があるなどとは思いもよらなかったです。放射能をどれくらい浴びると危険なのか、という数値も知りました。

 それにしても、復旧作業には大変な危険が伴うのですね。港区SC.RCの仲間の一人が自衛隊員で、福島原発に派遣されています。自分のことだけを考えていれば良い人だけでは世の中は成り立ちません。任務とは言え、自らの危険や負担を省みず人のために動く人も欠かせません。無事に帰って来て欲しいです。人間の感情さえ理解できるロボットがあるくらいですから、こんな危険な作業を行えるロボットはないのでしょうか、と科学音痴の私は考えてしまいます。

 押入れの奥から、随分溜まっていたマラソン大会などの参加賞Tシャツを引き出してきました。20数年間レースに出ていると、段ボール箱一箱近くあります。ただ、参加賞Tシャツの質が良くなったのはここ4,5年。古いものはペラペラで、いくら未使用とは言え避難所の寒さを凌げるような代物ではなさそうです。救援物資も、現地拠点から避難所までの輸送ができず、滞留しているとのこと。役に立たないものを送っても却って迷惑になりそうです。

 プールの波を発電に使えないか。アクアビクスの波は結構強いです。
 バイクローラー台を発電機に繋げないか。
 ランシューズの底に蓄電器を入れられないか(着地の衝撃を発電に)。
 小人の考えることは馬鹿げたことかもしれませんが、これでも真剣に考えています。

 知り合いや仲間の家族、親戚では、全て連絡が取れているようです。
 
 先日、チェーンメールが届きました。チェーンメールのお手本のような文章でした。
「友達のお父さんが〇〇〇(=原文では実在する会社名が記載されていました)に勤めていて教えてもらったので皆にも伝えるね 気をつけてください 千葉、首都圏の方へ。千葉の製油所、製鉄所の火災の影響で、千葉、首都圏では、化学薬品の含まれた雨が降ることが予想されます。傘やレインコートの使用をお願いします!雨に当たらないようにしてね!ほんと危ないみたい。みんな気をつけて。お友達に回してあげて!」

 先ず、個人的な感想ではなく第三者からの情報、とうことを印象付けて、信憑性を持たせようとしています。と言っても、友達のお父さんが特定されていませんから、後で言い逃れができるようになっています。
 次に、化学薬品の含まれた…、ということで不安感を煽っています。
 更に、雨が降れば、普通は誰だって傘を差しますし、この時期、多くの方が(レイン)コートは着用しています。雨に当たらないように、なんて言われなくてもそうします。そんな当たり前のことをいかにも重要な事のように表現しています。
 最後に、お友達に回してあげて! まさにチェーン作りをしようとしています。

 私のところは送信された方は、親切心で流してくれたようです。チェーンメールを受け取ったのは初めてでしたので、今後、注意するには良い機会になりました。

 こんな時期、災害につけ込んで義捐金振り込め詐欺などもあるそうです。全く、油断も隙もならない世の中です。
 
ちょっと重い空気の日が続いていたので、今日は一日、家でのんびりしました。仕事を忘れ、丸一日休めるのもほぼ2ヵ月ぶりです。
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我が家の地震測定器。10年位前にUFOキャッチャーでゲットした縫いぐるみ。エアコンのホースにぶら下げています。テレビで地震速報が流れる前に揺れ出します。

自宅はマンション1階なのですが、専用庭があります。毎日鳥が遊びに来ます。ペットは飼っていないのですが、癒されます。
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シクラメン。今年正月の帰省中に一度枯らしてしまったのですが、ヨーコが可愛がったこともあり、息を吹き返しました。陽だまりが心地よさそうです。

スポーツクラブは休業です。停電は18時20分から最大3時間の予定。早めお風呂に入って寝ます。
2011.03.15 他山の石
 ギリギリまで諦めず、努力を続ける。確かに大切なことだ。ただし、その結果が、努力した本人、または特定の集団・組織の中で完結できる(責任を負える)場合に限る、と私は思っている。
 計画停電。電力会社にとって停電と言うのは、理由の如何を問わず避けたいものに違いないはず。そのために、ギリギリまで手立てを考え、実行していく努力をしていく。これは社会的責任を負う企業に勤める人たちにとっては使命感のようなものだろう。その意思や行動は十二分に敬意を表せるものであり、大いに評価されるものだ。しかし。

 東京電力が計画停電を発表したのは12日の夜。首相や担当大臣同席の上で発表された。それだけでも事の重大さは十分に理解できた。不便を受ける気持ちも固まった。私は、仕事でインターネットやメールを頻繁に利用するため停電予定時間を避けて仕事の予定を組まなければならない。相手のある仕事なので先方の都合も考えなければならない。ただ、夜になってから明日の予定の変更。かなりの困難が予想される。加えて、私の住む地域の正確な停電時間が分からない。港北区は9:20~13:00、18:20~20:00の2回、他に横浜市だけの表示で13:50~17:30。これが全て該当するとなれば、ほぼ丸一日、仕事は出来なくなる。その中で、なんとか連絡のとれた先と、限られた時間の中で、できるだけの調整はできた。後は夜が明けてみなければ分からない。

ところが翌早朝、計画停電は行われなくなったとの報道。これは昨夜の大仰な記者会見はなんだったのか。それでも、停電がなくなったことは好ましい。東電も、極力、停電を避けるためにギリギリの作業をしたのだろう。延期した仕事で今日できるようになる仕事はどれか。昨夜のように出来ない仕事を探すより、できる仕事を探すほうが楽だ。

 しかし、更にその1時間後、状況によっては停電を実施することになる、との発表。おそらく、停電しなくて済むのなら、電力を使用したい、という企業、個人が増えたのだろう。一度は停電を回避できそうになった理由は、電力会社で供給量を増やせたのではなく、節電に努めようとした所が多かっただけのこと。

 冒頭に述べたとおり、電力会社の考え方や努力を否定するつもりは全くない。むしろ、これまで電気があることが当たり前と受け止めていたこと、そしてそれを享受するためにどれ程の人の努力や苦労の上にあったか、ということを改めて、知らされた。

 ただ、それとは別に、最初に停電を決めた時点で、その後の状況の変化があろうとも停電を予定通り実施すべきだったのではないか、と思う。二転三転したことで、却って混乱が増した。また、停電は避けられないものとの意識も強まったと思う。

 最後まで、ギリギリまで努力を怠らない。大切なことだ。しかし、組織の中の一員としての立場、周囲との関係がある場合、必ずしも適切なこととは思えない。期限やレベルを区切って、達成できなかった時は次のステップを考える、或いは人の力を借りるなどして、達成できなかったことを最小限にとどめることも求められる。いつまでも達成に拘っていては、却って傷口を広げることもある。 

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8日:スイム 2,700m
9日:スイム 2,500m 
  ラン  4km(自宅~プール)
10日:スイム 2,300m
13日:ラン 8km(鶴見川)
2011.03.12 地震
 出先の駐車場から、車を運転し始めたところでした。車のバランスが悪くて、パンクでもしたのかな、と感じました。停めようとハンドルを左に切ったつもりが車体は右へ。ハンドルが壊れた?。と同時にめまいを覚え、身体がどうかなってしまったのか、と。とりあえず、停車しましたが車は揺れたまま。ようやく地震らしいと気付きました。そこまでも少し時間が掛かったように思うのですが、まだ収まりません。電信柱も送電線もかなり揺れており、通行人も立ちすくんだまま。運転開始直後で、スピードが上がっていなかったのが幸いです。普通の速度で走っていたら、と思うと。

 ラジオをつけると、東北でかなり大きな地震があったとのこと。横浜でもこれほど揺れているのですから、相当の規模なのでしょう。都内へ出かけているヨーコとも携帯電話もメールも通じません。揺れの収まるのを待って帰路へ。青葉区と町田市の境近くにいる為、自宅まで凡そ20km。多少混雑していても1時間もあれば十分帰れるはず。通常なら、246号へ出て東へ向かい、その後南下するルートを取るのですが、246号へ出た途端、既に大渋滞。運良く直ぐ脇道にそれることが出来たので、助かりました。5分早く現場を通りかかったら、抜けられずそのまま渋滞に巻き込まれていたでしょう。

 事故か何かと思ったのですが、信号は全て停電。その混乱での渋滞のようです。大きな揺れを時折感じながら抜け道を探しながら進みます。要所要所の交差点では、警察官が整理に当たっています。予想以上に素早い対応で、日頃からの備えが窺え、心強いです。途中でヨーコとはメールが通じ、無事帰宅しているとのこと。最後の難所の綱島街道もくぐりぬけ、予定通り1時間で帰宅できました。

 ところが、自宅周辺の停電は続いていて、マンション駐車場の昇降機は作動しません。やむなく事情と連絡先を書いた紙をフロンとガラスに貼り、部屋に入りました。ヨーコは地震発生時、たまたま目の前にあった派出所に飛び込んだとのこと。

日が暮れても停電は解消せず、懐中電灯を頼りに、カップラーメンで夕食。いつ大きな余震がくるか分からないので、ガス使用は最低限に済むように。そして、電力以外の暖房設備がないため、早めに布団に入って寝ました。停電解消が分かるように、室内灯のスイッチは一ヶ所オンにしたまま。寝られる場所があるだけでも幸い。

 11時頃、点灯。テレビをつけ、改めて事の重大さを知りました。

 一夜明け、今のところ平穏ですが、まだまだ、予断は出来ません。電力不足から再度、停電の可能性もあるとのこと。遠出はせず、様子見です。
2011.03.10 初孫
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2011.03.08 はやぶさ
 東北新幹線が新青森まで開通、一番速い列車の愛称は「はやぶさ」。ただ、「はやぶさ」というと、かって東京と九州を繋いでいたブルーとレインを思い出します。東北への特急の代名詞は「はつかり」だったと思います。事前の調査でも「はつかり」の方が人気が高かったと報道されていました。個人的にはやはり「はつかり」の方に愛着はありますが、スピード感では敵いません。

 私が初めて「夢の超特急」に乗ったのは、小学校2,3年の時だったと思います。出張で大阪に行っていた父が、今治に帰る日に、「そうだ、東京へ行こう。」と言いました。東海道新幹線が開通したのが小学校1年生蔵の時だったので
 松本清張の小説がテレビドラマとしてリメイクされ、しばしば放送されています。終戦直後の夜行列車が舞台にもなっています。『点と線』では「あさかぜ」。『ゼロの焦点』では「北陸」など。「あさかぜ」は学生の頃、帰省の度に何度か利用しました。「北陸」も金沢に旅行した時に乗りました。このところ、新幹線や夜行バスに追われ、次第に姿を消しています。東京と大阪を結んだ「銀河」と言う夜行寝台急行もありました。人使いの荒い会社に勤めていた頃、夜仕事を終えて23時東京駅発に乗り、朝7時30分に大阪着。その日仕事を終え、23時大阪発でとんぼ返り、という出張も何度か経験しました。始発、終発の新幹線を利用するより滞在時間を長く取れるし、費用も多少安くつくため。

 同じ寝台急行で「きたぐに」は大阪から新潟へ。高校の時、友人が新潟へ転校、会いに行く時に利用しました。
 学生時代、ゼミ合宿で新宿から長野まで乗った夜行列車(名前は忘れてしまいました)、4人掛けの椅子で向かい合った初対面の女学生と一晩話し込みました。純情青年だった私は、その人の名前も聞かず、長野駅で別れました。

 若かった頃の思い出です。
 3月5日(土)。港区SC.RC.の仲間の内9人で、新横浜公園でランニング練習、その後、鶴見川沿いを走って綱島温泉で宴会。快晴、ほぼ無風で、気持ち良く走って、酒を飲めました。

 このクラブは、JR田町駅東口前の港区スポーツセンター内に設置されたランニングコースで走っていた人たちが少しずつ声を掛け合うようになり、自然発生的に生まれたクラブです。港区内で勤めていた人たちが仕事帰りに走っていたのです。会費も会則も何もないクラブです。

 東京国際に3人の女性が参加したり、男性でもウルトラの日本代表ヤサブスリーランナーも何人かいました。最近は、世間の縮図で高齢化が進み、かつて程の活気は薄れてはいます。それでも、合宿をしたり、レースに出たり、まだまだ元気に走り回っています。

 いろいろ楽しいエピソードの多いメンバーですので、おいおい紹介させていただこう、と思っています。

minatoku20110305run11.jpg小机フィールド快走中minatoku20110305run14.jpgマッシー、エバやんminatoku20110305run25.jpgトシさん
minatoku20110305run13.jpgツッチー
minatoku20110305run2.jpgハナさん、トシさんminatoku20110305run1.jpgエバやん、河童、マッシー

minatoku-20110305turumigawa2.jpg鶴見川沿い(前方白いウェアーがタッちゃん)
tsunashimaonsen201103051.jpg綱島温泉中庭
hanagitsunashima20100305.jpg締めはハナさんオンステージ!


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3月になっての練習:3日スイム2,000m
         5日ラン 6km。


2011.03.05 罪罰法定主義
 「罪状、殺人。罰状、刑法第199条。よって被告人に死刑求刑する」。刑事ドラマ等でよく見かけるシーンです。人の行為が罪になるかどうか、その行為をどのように罰するか、は全て法律で定められています。罪罰法定主義と呼ばれています。罪と罰を予め決めてくことで、その時々の為政者や偏った世論などにより、普通に生活をしている人に対し、ある日突然、不当な罰が科せられるということは防げます。これによって、私たちは日々、一定の行動規範を持って生活することができます(勿論、法律さえ犯さなければ、とうこととは違います)。

 一方で法律上、罪と規定されていない行為は法律上、罰せられることはありません。近頃世間を騒がせている、大相撲の八百長や、入試のカンニング。これらは何れも、その行為だけで罪に問われ罰を与えられることはありません。法律に定めがないからです。

 カンニングを肯定する気はサラサラありませんが、もし、昔ながらのカンニングペーパー程度に止まっていたら、ここまでの問題にはならなかったように思います。手段、方法に注目が浴びたのでしょう。偽計業務妨害。凡そカンニングとは結びつきそうにない罪状です。私自身を省みても、日頃の言動には十分に気をつけなければ、これくらいのことで、では済まないことも起こりえます。

 行動規範の基準になるとはいえ、法律は解釈次第で、どのようにでも運用できる、という側面があります。これはとても重大なことです。日常生活だけでなく、今後、裁判員になることもありえることを思いますと、日頃から、しっかりと向き合っていなければ、と思っています。
 携帯電話会社のテレビコマーシャルで、高校生くらいの男女20人ほどが、「親孝行がしたい、でも、やり方が分からない。」と、明るく合唱している。コマーシャルの主旨は、携帯電話に学生で加入すれば、家族(親)の通話料が割引になる、ということのようだ。それで親孝行ができる、というのだろう。その主旨はさておき、捻くれ者の私としては、そんなこと、明るく歌えることか?と思う。

 親孝行のやり方、確かに分かりません。何が出来るのか、何をして欲しいのか、それとも何もして欲しくないのか。普段、一緒に住んでいたり近くに住んでいて良く顔をあわせているのならまだしも、遠く離れて暮らしていてはなおのこと。どうすればいいの、何もしなくていいの。明るい日差しの中では考えられません。

 ただ、今はヨーコと二人、それぞれの目標に向けて、今日も心に太陽を持って生活しています。そして、本を読んだり文章を書いたりすることが億劫でない環境に育ててもらったことを嬉しく思っています。そのことは報告できます。

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 熱は下がったものの、鼻声と、痰の絡みは未だ続いています。5日連続、練習は休み。でも、取り戻すには時間は掛からないと思っています。
 

 

 
 東急田園都市線たまプラーザ駅北口前の東急百貨店に3月3日から営業を開始するお鮨屋さんのプレオープンの試食会に招待され、行ってきました。ヨーコの知り合いの方がプロデュースをされた、というご縁です。体調はまだ万全ではないのですが、2ヶ月前からのお話だったのと、風邪を治す最終手段として、多少のアルコールの補給も必要と思い、出かけました。

 料理もさることながら、出していただいたスパークリング純米吟醸『美泡純吟』なるものを、初めて飲みました。日本酒のシャンパンです。アルコール度数は10%。山形県酒田市の蔵元が造られたそうで、飲食店に直接卸すのはこのお店が初めてだそうです。何事も、初めては、縁起物と言うことで頂きました。因みに、この蔵元は日本酒の『初孫』のブランド名で知られています。私の妹に初めての子どもが生まれた時、私の父親にこの酒を贈った記憶があります。

 さて、このお味。酒飲みにとっては、いろいろ意見が出そうだな、という感じでした。普通の女性にとっては、飲み易いかもしれません。私を酔わせてどうするの、という感じになるかもしれません。ただ、このブログを読んで頂いている女性陣(=別に、普通ではない、という意味ではありませんよ、念のため)には、物足りなさと言うか、これが日本酒?という違和感をお持ちになるかも知れません。

 因みに 300mlで2,100円(一升に換算すれば12,600円!)。、私のように、水と同じ感覚で飲む人間には、もったいないお酒ではあるでしょう。それ以外の料理、飲み物はこれ程の値段はしません。

 ご興味のある方、いつか宝くじが当たったら、ご招待しますね。

 いずれにしても、風邪撃退最終作戦は、成功したらしい。4日間休んだ練習、明日から再開できそうです。