第26回トライアスロン中島大会レース当日

スイム400m地点
 「少しペースが掴めてきたかな。これなら何とかスイム迄はフィニッシュできそうだ」。
 スイムの凡そ400m地点。中島大会のスイムコースは片道375m2往復の1.5km。最初の折り返しを終えた辺りのこと。普段、息継ぎは右側でするのだが、今日は左側で息継ぎをしながら泳いでいる。それにすこし慣れてきたのだ


  ウォームアップの時、余りにも右肩が痛く50mも泳げなかった。息継ぎの時、右腕を大きく上げるのが負担になっているようだ。それならば、いつもとは逆の左に顔を上げて息を継ぎ、右腕の動きを小さくしてみるしかない。ただ、何時もと違う方で息継ぎをすると言うのは、バランスもとりづらく、また違和感もある。海で泳ぐ時は、コース設定や波の状況に応じて使い分けられなければならないから、以前はどちらでも息継ぎができるような練習はしていたのだが、ヘッドアップ(※1)ができるようになってからは右だけの息継ぎでも殆ど対応ができるため、呼吸制限(※2)の練習以外ではやらなくなっていた。また中島は浜辺から50m程沖に、浜辺に並行にブイが浮かべられたコースを時計回りに往復する為、息継ぎが右ならブイを見て泳ぐことができる。けれど、今年はそんなことより泳ぎきることが先決。そこでスタート後少し左息継ぎを試してみたら肩の痛みは感じなくて、ぎこちなさはあるものの、何とかなりそうだった。右手は少ししか動かせないので推進力を出せないが仕方ない。

(※1)ヘッドアップ=方向確認の為の行為。海で泳ぐ時は、潮の流れや周りで泳いでいる人の影響で、なかなか真っ直ぐ泳ぐことができません。クロールで泳ぐ時は左右どちらかに顔をあげて息を継ぎますが、何回かに一度、前に顔を上げ、コース上に置かれたブイや遠くの景色(建物や山の特徴などを確認しながら泳ぎます。この顔を前にあげることをヘッドアップと言います。
(※2)呼吸制限=練習方法の一つ。クロールで泳ぐ時は、左右どちらか得意な方で、1・2、1・2のリズムで息を継ぎます。練習のとき、心肺機能を高めれる為に、その息継ぎの回数を減らし、3,5,7回の奇数回ごとに左右交互に息継ぎをすることもあります。ランニングの練習ではマスクをして走る人もいます。高地トレーニングにも通じます。

スタート
 8月21日、10時30分、500人近くの参加者が一斉にスタートした。私とヨーコは、スタート地点の一番浜辺よりから斜め右に最初の折り返し地点を目指す。本来は沖のブイ近くから真っ直ぐ折り返し地点を目指せばロスがないのだが、中島では私たちのレベルの泳力ではそんな所から泳ぎ出せばバトル(※3)に巻き込まれてしまうので、安全策を採って毎年のスタートの定位置にしている。ロスは覚悟で、浜辺沿いに進み少しばらけた辺りで右斜めに泳いでいければバトルに巻き込まれることなく自分のペースで泳げる。ただ、今年は肝心のスタートダッシュができず、かなり手間取ってたどり着いた最初の折り返しだった。

(※3)バトル=スイムスタート直後の闘い。オリンピックや選手権大会など、参加者が数十人くらいのレースでは起こらないのですが、一般の私たちが参加するレースでは、一度に数百人から2,000人近くが一斉にスイムスタートします。このため、スタート直後では、叩かれたり蹴られたり、上に乗っかられたり、という水中バトルが発生します。トライアスロンにはつきものと言われていますが、とても危険です。本来、参加者一人ひとりが自分の泳力に応じた位置からスタートすれば少しは防げるのですが、皆どうしても前の方からスタートしたがるので、こんな状態になってしまいます。
 
 少し出遅れたのはやむを得ない。昨年は24分台で泳げたが、この天候と体調では30分が目標。ところが、私の10mほど先に見慣れた泳ぎをしている人が見えた。ヨーコだ。彼女の泳ぎは左手がリカバリー(水中で後にかき終った手を前に回す動作)の時、真っ直ぐ伸びている(多くの人は肘を曲げている)ので直ぐ分かる。私ですら出遅れ感があるのに、そんなところを泳いでいるようでは彼女もかなり調子が悪そうだ。途中でペースアップをしていくのかなと期待していたが、スイム終了近くまで距離は変わらなかった。これでは今年の好成績は望めない。6月以降、教育実習やその疲れででほぼ2ヶ月、何らの練習もできていなかったので、致しかたないだろう。今の彼女にとっては教員資格を得ることはトライアスロンより大切なことがあるから。何とか左息継ぎにはなれたけど、ヘッドアップの時は痛みが走る。多少のロスは覚悟で前方確認の回数は減らして、とにかくスイムフィニッシュを目指す。

 スイムフィニッシュ時、手元の時計では27分後半。思ったほど悪くはなかった。スイムが終わってほっとするのも、まだウエットスーツが着用義務でなかった頃の佐渡Aタイプでクラゲに刺されながら泳いだ3.8KM以来だろう。トランジッションエリア(米4)では、ヨーコがバイクにスタートしようとしている時だった。一声かけて私もバイク置き場へ向かうしたと報じていた。丁度その時、場内アナウンスで私と同年代のクラスで上位入賞常連者がバイクスタートすると報じていた。


(※4)トランジッションエリア=次の種目に移る場所。バイクやランニングシューズが置かれいます。ここでもたもたしていると、あっという間に何人にも抜かれてしまいます。
 
バイク 
 いよいよバイクだが、実はこちらの方が悩みは深かった。肩に負担を懸けられないので、DHポジション(※5)はさることながら、バイクのバーを握るのも痛い。スタート前の最終チェックの時から降り続いている雨脚も一層強くなってきた。雷はなるのだろうか。どうせなら早めになって欲しい。ゴール1kmくらい手前で雷になられるくらいなら。そんな中でも、皆元気にバイクを漕いでいる。沿道の人達やエードステーションのボランティアの中学生達も雨に打たれながら声援してくれる。きついながらも、最後まで力を尽くさなければ、と改めて思う。バイクでは一体何人抜かれただろうか。多分、400人くらい。何時もは時速30~35kmを目安にしているのだが、今日は向かい風の中では20kmも出ない。バーに手を乗せている程度なので、上体が起きてしまってまともに風を受けてしまう。雨脚も強まり文字通り肌を突き刺す勢い。片道10キロを2往復するので、擦れ違う時お互いを確認しているのだが、今年は最初に1度確認できただけで、後は路面に注意し殆ど下を向いているような状態だった。路面が多少荒れているのがかえって幸いで、綺麗に舗装された路面だとスリップ事故が多発しそうだった。

 
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(※5)DHポジション=バイク(自転車)のハンドル中央部に両手で持つバーを取り付けます。その付け根にあるパッドに肘を乗せることで上体が前かがみになり、スキーのDown Hillと同じような態勢になります。それによって風の抵抗を少なくしたり、体重を乗せ易くなりスピードが上がります。オリンピック等のエリート大会では使用は認められていません。

 ヨーコはバイク途中で何度がドラフティング(※6)を注意され、気持ちが少し切れたとのこと。状況は、前を走っていた男性を追い越したところ、その男性がスピードを上げヨーコをまた追い抜き返したそうです。そこで男性がそのまま先に行ってくれれば問題は全くないのだが、追い抜いたらスピードを落としてしまうため、追い抜かれたヨーコがドラティングポジションに入ってしまう。そこでヨーコが再度追い越したら、また男性がその時だけスピードを上げて抜き返したら落す、ということが何度か繰り返されたとのこと。その状況をマーシャル(審判員)からはヨーコがドラティングをしていると判断されたようだ。

 (※6)ドラフティング=バイクで前に走っている人を風除けに使うこと。後ろの人は楽になるため一般のレースでは認められていません。前を走っている人のバイクの後輪と後ろを走っている人のバイクの前輪が5m以上、左右は1.5m以上離れていなければなりません。後から追い越す人は追い越した時のスピードを保ったまま走ることになっています。

ラン
  私がバイクを終えたときには既に1位の人はゴールしていました。こんなことになったのは十数年ぶりのこと。しかもランスタートの時には女子の1位もグランドに入ってきました。どれだけバイクが遅かったことか。スタートしてから既に2時間14分を過ぎている。ランへ移る頃には雨もほとんど気にならない程度に上がってきた。
 自分の走りより、ヨーコがどれくらいで戻って来ているのか、の方が気になっていた。ランスタート後5分も経たない内に女子の2位が戻ってくるのと擦れ違った。さらに2kmも行かない間に3位、それから随分たって漸くヨーコと擦れ違った。もう3位まで追いつくことはできない距離だった。
 私の方は1km当たり6分そこそこのコペースで、最後まで走りきれた。


ゴール
一升瓶には一升の酒しかはいらない。今年は二人とも何時もより自分達の持つ一升瓶を小さくしか作れなかった。


ヨーコが頂いた年代別1位のトロフィー。来年はもう1度総合での入賞を目指します。
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第26回トライアスロン中島大会前日

 8月20日、夜7時。
 「一つのテーブルに大人10名様ずつです。」
 「ビールは飲み放題ですが、空き瓶と交換です。」
 「さざえはお一人様一個ずつです。」
 「ひらめのお刺身は皆さんでお分けください。」
 「うどんは量に限りがありますので、お早めに。」
と、言っても居酒屋の光景ではありません。中島大会の前夜祭です。

 中島はレースもさることながら、前夜祭を楽しみに来る人も少なくはありません。例年は砂浜近くの広場において星空の下で行われるのですが、今年は天候の不安があったため体育館の中でした。参加者、応援の家族、大会関係者などでほぼ満杯状態。このため、恒例の地元中学生による水軍太鼓の披露は中止となってしまいました。

 大会名誉会長の愛媛県知事、会長の松山市長の簡潔にして楽しい挨拶の後の、しばしのご歓談中に、毎年、何らかのアトラクションがあるのですが、今年は地元大学生によるジャグリングでした。過去には参加者のご家族つながりで今日との舞妓さんの踊りや、プロやアマチュアによる歌の披露などがありました。
 
 続いては第1回大会から連続出場している参加者の紹介が行われました。私を含めて9人。この人数はここ数年変わりません。年齢は皆50歳以上ですが、ここまで来たらまだ数年は続くでしょう。少なくとも30回大会までは。壇上(今年は体育館の最前列)で、司会者の方からいろいろインタビューを受けるのですが、実際のことろ、毎年同じような質問と回答の繰り返しで、多少、間延びしてしまいます。参加される方の中には、他にも面白いエピソードやご経歴をお持ちの方もおられると思いますので、そのような方々を紹介していただけるのも興味深いところはあるのですが。何より、紹介されている間は、ビールも食事もお預けになってしうので。

 前夜祭では、毎年いろいろな方と知り合いになります。今年は地元中島ご出身の双子の兄弟とその同級生。ご年齢は29歳とのこと。この方たちが3歳のころから大会は続いているのですね。

 さて、話は前後して、その日の夕方。受付会場前では地元の方による出店が開かれていました。記念Tシャツや、地元の産物、手作りの鯛めし、蛸めしが並んでいます。その中でお一人の方とお話をすることができました。この方は「日本一住み易い楽しい島」、「長寿の島」をテーマに島おこしに力を入れておられ、農家民宿を営まれたり、はちみつを作られたりしておられます。はちみつの種類も桜はちみつ、蜜柑はちみつ、アカメガシワはちみつなど。10年先には楽しみな産業となる予感を持っておられるそうです。地元を愛し、地元のために力を尽くされる方には本当に頭が下がります。私にはできなかったことです。後で知ったのですが、この方は私と同年生まれの方でした。
 
 宿に戻ったころから雨が降り始め、夜半から激しく振り出した雨音と時折鳴る雷を聞きながら寝床に就きました。

中島大会のシンボルマークです。島の形がデザインになっています(上が北)。
泳いでいる人の右上の突き出たあたりがスイム会場。片道350mを2往復します。
バイクコースは島の南海岸から西を回り北へ片道10kmを2往復、
ランコースは東海岸を北へ片道5kmを1往復です。
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第26回トライアスロン中島大会:とりあえずの報告

 8月21日(日)。強風と豪雨の中、無事開催され、二人ともゴールすることができました。前日の説明会では、雷が鳴った時点でレースは即刻中止される、との条件でした。その時の天気予報でも当日は「雷を伴った雨」。前夜半も激しい雨音が宿の部屋の中にいても聞こえてきました。
 当日朝も雨模様は変わらず、瀬戸内の海にしては高いうねりがありました。バイクに移った頃には雨脚もきつくなり、文字通り肌を突き刺すような雨粒にも襲われました。私のような遅い参加者にとってはランに移るころには殆ど雨もあがり少し蒸し暑いけれど、例年のような直射日光はなく少し走り易い天候になりました。

 女子の部は、実業団に所属するプロトライアスリートの他、ヨーコを始め過去に優勝経験のある人が3人参加していました。ヨーコは年代別こそ1位になれましたが、総合では4位で、表彰台を逃しました。私は肩痛に泣かされながらも、なんとかゴールにたどり着きました。

 中島は、いつも地元にお住まいの方々から多くの暖かい声援を頂くのですが、今年も豪雨を厭わず沿道で応援して下さいました。エイドステーションでは中学生が雨に打たれながら給水給食に手を差し伸べてくれました。本当に有難いことです。

 とりあえずの報告まで。

第26回トライアスロン中島大会:出発前

 今日(18日)の午後から夏休み。夕方仕事が終わって中島に向け出発です。今夜は京都のヨーコ実家に泊まり、19日は今治の私の実家。20日に中島に入り前夜祭。21日がレース。その日のうちに京都まで戻り、22日朝一番の新幹線で帰浜の予定です。
 今年で26回目になりますが、今までに増して辛いレースになりそうです。単なる筋肉痛だと思っていた肩の状態が、とんでもないことになっています。51.5kmのレースで何を言っているのだ、と思われそうですが、とにかく完走が目標。ディフェンディングチャンピオンのヨーコも今年はどうでしょうか。お互い、最後まで全力を尽くすしかありません。

 中島の第1回大会は1986年7月に開催されました。前年に宮古島の第1回が開催され、テレビ放送とも相まって、トライアスロンの人気が一気に高まった頃でした。ただ、それに対し大会の数は少なく、参加申し込みをしても、経験者が優先され、新しい人はなかなか参加できず苦労していました。今でもインターネットでの申し込みに苦労しているという話は聞きますが、先着順であればまだ何とかなるかもしれません。実績と無作為抽選となれば、自分の意のままにはなりません。実績のない人は、主催者に申込書と一緒に嘆願書を添えて送りました。
そんな時、出身県の愛媛で大会があることを知り、便箋2枚分くらいの嘆願書を書いて申し込みをしました。運良く参加許可を貰え、それが本格的なトライアスロンレースのデビューでした。
 中島は今でも、ネットではなく、手書きの申込書を郵送することになっています。技術的にはネット利用は主催者側にとっても簡単かも知れませんが、こんなアナログ的なところが、いかにもトライアスロンらしくて、私は好きです。申込書には自己PRをする欄もあります。
 過去には、大会の開催が危ぶまれる自然災害なども何度かありましたが、地元の方や常連者の熱意もあり、続いています。

 今年も無事開催できますように。

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 16日の練習 バイク30km (鶴見川5kmコース×3往復)
 17日の練習 ラン 2.5km(プール往路)
        スイム 1,000m位(肩痛で50m泳いでは1分休み)
        ラン 2.5km(プール帰路)

逆転負け

 甲子園も日程が進み、一試合ごとに一つのチームの今年の夏が終わって行きます。その中でも、最終回に逆転され、そのまま負けてしまったチームも何校かあります。勝ちを意識してしまうからなのでしょうか。強豪校といわれるチームでも、そのような試合が目立ちます。最終回での逆転負けというのは、特に3年生にとっては辛いでしょう。

 種目は違いますが、私も高校3年生の夏に、逆転負けを喫したことがあります。季節も丁度同じ、お盆の頃に行われた国体の県予選。私は陸上競技400mにエントリーしていました。疲労のピークで迎えた2週間前にインターハイが終わり、その疲れが上手く抜けきった頃で、おそらくそれまで出たレースの中では体調、意欲ともにベストだったと思います。インターハイで結果を出せなかった分、国体でもう一度、走りたいという気持ちは強かったです。ライバルは一人。彼とはインターハイの県予選、四国予選、全国大会を通じ、ずっと戦っていました。

 当日は台風による豪雨。当時、愛媛県内には全天候用の競技場はなく、土のグランドはぬかるみ状態でした。その中での決勝レース。私は3コース、彼は一つ外側のコース順でした。

 スタートから300m辺りまで、どのように走っていたのか、記憶がありません。ただ、今でもフラッシュバックのように甦るのは、最後の直線に入る手前で、アウトコースを走っていたライバルを、私は自分の肩越し斜め後に見えたこと、そしてその直後、私はぬかるみに足を捕られ失速したことです。陸上を経験された方やテレビで良く見られる方はお分かりになると思いますが、200mや400mのようにセパレートコースで行われる競技で、ホームストレッチに入る手前でアウトコースのランナーが斜め後に見えるというのは、特に、最後のスプリントに自信のあるランナーにとっては、かなり勝利に近い状態にあります。

 一瞬の油断だったのかも知れません。野球でもしかり。試合の流れというのか、一度失った勢いは、実力以上の差をもたらします。私は最後の80mをどのように走ったのか、ライバルの背中がどのように見えていたのか、全く覚えていません。終わった後もそれほどの悔しさは感じた記憶がありません。それは、おそらく高校生の時には、まだ先がある、機会はまた巡ってくるという甘い気持ちがあったためでしょう。
 
 結局、そのような機会が再び巡ってくることないまま年齢を重ねるにつれ、悔しさが増してきているように思います。いつまでも将来に向けた時間がある訳ではないことを、今さらながら感じています。
 

関 行男

 愛媛県西条市。北は瀬戸内海に面し、南は石鎚山を仰ぎ見る、愛媛県東部にある地方都市である。江戸時代は松平家の陣屋のあった城下町。そんな穏やかな町で一人暮らしをしていた46歳の女性の人生が、太平洋戦争末期の1944年10月25日を境に、一変する。ひっそりと暮らしていた家に、全国各地から人が訪ねて来るようになった。普段会うこともない親戚から見知らぬ人まで。そして彼女の狭い家は供花や香典などで溢れかえったという。彼女自身には思いもよらぬ、23歳にして新婚僅か6ヶ月の我が息子の功績によって。

 「戦闘第三〇一飛行隊分隊長 海軍大尉 関 行男」。これが彼女の人生が変わる前日までの息子の肩書きと名前だ。大尉というと軍隊の位としては重そうに思えるのだが、その割には分隊長というのは軽いのではないか、という気がしないでもない。果たして、その日から肩書きは二階級特進し少佐に。しかも「軍神」という誉れまで付いた。その理由は、彼に1944年10月19日に与えられた任務を同月25日に遂行された(とされる)からだ。その任務とは…。
 250キロ爆弾を装着した戦闘機の編隊を指揮し、アメリカ軍をめがけて体当たり攻撃を決行すること。即ち下士官4名を率いて神風特別攻撃隊の第一陣(敷島隊)を指揮し、自らの命と引き換えにアメリカ軍に打撃を与えること、だった。今から見れば、既に戦況は極めて悪化し日本に勝ち目はなくなっていた時期。軍上層部の自暴自棄としか思えないような暴挙。それでも関行男以降、終戦までの10ヶ月の間に多くの特攻隊が飛び立った。昨今、自爆テロが世界各地で発生しているが、日本も僅か66年前に同じように、自らの命と引き換えに成果を求めた数多くの20歳にも満たない少年兵も含めた特攻隊員がいた。自爆テロと違うとすれば、被害者に一般市民を巻き込んでいないことと、成功率の低いことだろうか。彼らの命は悉く空しく沖縄の海に沈んだ。

 ただ、戦争を知らない私が、戦争について何を表現しても、それはそれこそ成りすましであり、声色を使っていることに他ならない。だから私が関母子で思うことは、戦争の悲惨さや特攻隊員の思いではない。

 関サカエさん。「軍神の母」と讃えられて僅か1年。彼女の境遇は、世間によって再び激変させられる。敗戦によって特攻隊員やその遺族を見る世間の目が変わった。犯罪者のような扱いを受け、住んでいる家からも、文字通り石もて追われ出て行かざるをえなかった。その後彼女は3年間、知人宅の物置にかくまってもらった、という。軍神の母として当時大卒銀行員の凡そ9年分に相当する弔慰金を貰いながらも息子の墓さえも作ることもできず、息子が逝って9年後に他界した。
 
 私が彼女で思うことは、今も変わらぬ、世間の人が自身の掌をたった1日でいとも簡単に反してしまうことの恐ろしさ、である。

   (参考:「指揮官たちの特攻」 城山三郎 著 )

連夜のナイター

8月11日は、横浜鉄人クラブの仲間8人で、スイム練習。場所は横浜市内にある元町公園プールです。公営の施設で、夜間の利用料は300円/時間。港の見える丘公園と、洋館の立ち並ぶ山手地区の谷間にある緑に囲まれた屋外プールで、夕涼みも兼ねての練習ができます。18時30分から、ドリル練習やリレーその他、1時間半余り泳ぎました。練習後は、近くの中華街で乾杯と夕食。
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8月12日は、神宮球場で、今年初めてのプロ野球観戦。阪神対ヤクルト。バックネット裏で、本来はヤクルトファンの席なのですが、半数以上は阪神ファンが陣取っていました。試合は、3回表に新井貴の3ランホームランもあり阪神が4点を先取。先発の久保も安定した投球をしていたので安心して観ていることができました。5回終了時には、打ち上げ花火もあり、最後は藤川を見ることができ、ヨーコと二人で大いに盛り上がりました。
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201108123.jpg陽気な阪神ファン

社会人も頑張っています。

 例年、ただでさえ暑い時期に、熱い社会人向け通信教育の添削業務が増えてきます。4月に社会人になった人、人事異動で新しい部署で新しい仕事に取り組み始めた人、役職が変わった人。それぞれの立場の人たちが、それぞれの新しい仕事の中で必要と思う知識を得るために始めた通信教育の成果を測る為に課題を提出する時期が丁度、今頃になるのです。
 私が担当しているのは、直接資格(例えば、簿記検定、宅建主任資格など)に結びつく物ではなく、人事管理や、コーチング、部下の褒め方叱り方、企業の社会的責任、といったような物が多いです。年齢的には20歳前半から50歳くらいまで。業種や職種は様々です。1週間に40枚くらいを添削しています。解答は選択式だけでなく、記述式のものも多いので、それぞれ個性が溢れた回答が多く、画一的に評価できない難しさと面白さが同居しています。
 最近の人事管理やコーチングの特徴は、相手の話を良く聴く、ということが求められていることです。特にコーチングや部下・後輩への指導の場面では、えてして自分の経験や意見、感想、解決策などを言いたくなるものですが、先ず相手の真意や状況を良く聴きいたうえで、主体性を持たせて前向きな思考へ導くことが大切だ、と言われています。
 全てが全て、私個人の価値観や考え方と合致するということはないのですが、添削業務にはトライアスロン遠征費を稼ぐ、という一面もあるため、テキストに従った採点をしています。

 受講者には、今、世間から厳しい目で見られている企業の社員や公務員の方も少なくありません。けれど、一人ひとりの答案を拝見していると、そのような立場に立たされている人の方が、熱意をもって取り組んでいる様子がよく分かります。自分自身のレベルアップだけでなく、所属している企業の信頼回復に向け、努力されています。

 今日、新しくリンクしたのは、若い男性です。いろいろな所を旅して、様々な経験を積み重ねられようとしています。エースや、CoC二人もそうですが、若い人たちから教えられる物も少なくありません。

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 8月9日の練習
  スイム1,500m。
  

コメ先物市場復活

 原発、政治、円高ドル安、高校野球…。いろいろなニュースが飛び交う中で、ひっそりと、何時の間にか、それでもとても重要な出来事が始まっていました。2011年8月8日、72年ぶりにコメの先物市場が復活したことです。

 お米の価格は政府が決めたり、JAが主体になっていたのを、先物取引を通じて、活性化したり明確化しようというのが狙いのようです。それだけを考えれば、消費者にとって好ましいことではあるでしょう。
 しかし反面、お米が金儲けの材料にされかねない、という懸念もあります。
 取引初日は、基準値を大きく上回る買い注文が入り、取引は成立しなかったそうです。放射能汚染や水害の影響で今年の供給が減ることが予想されることが原因で、投資家や販売業者が高値での買い付けようとしているのでしょう。一部の資本家によって、私たちの食生活が脅かされないこともありえます。小さな扱いの割には、大きな問題です。

 かって、「お金を儲けることは悪いことですか。」と言い放った経営者がいました。お金を儲けること自体は悪いことではありませんが、儲け方や儲けたお金をどうするか、という視点がなかったように思います。

 バカと鋏は使いよう、と言われていましたが、お金も使いよう次第です。もっとも使えるほどのお金のない私には縁のないことですが。

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 8月8日の練習
  バイク 40km (鶴見川5kmコース×4往復=サイクリング程度)
  ラン  2.5km (スイム往路)
  スイム 1,500m (500m×2=7′55″、8′02″ + その他)
  ラン  2.5km (スイム復路)

甲子園、健闘を讃えて

 高校野球のステージが甲子園に移りました。が、初日第一試合で、私の出身地にある今治西高校が早々と敗れてしまいました。8回終了時に2点リードしていたのが、9回表に逆転され、そのまま負けました。スポーツに限らず、何事も結果から物を言うというのは好きではないのですが、勝てるチャンスも十分あっただけに残念です。

 テレビ観戦していましたが、先取点は2ランスクイズで取られました。サードランナーは致しかたないとしても、セカンドランナーのホームインは、守っているキャッチャーやベンチのメンバーがその動きを見ていれば2点目は防げたはずです。野球では、ボールから目を離すなと言われますが、ランナーや野手の動きから、風向きまで、グランドのありとあらゆる所に目を配っていなければなりません。ベンチの控え選手も含め。
 その後、一度逆転したのですが、その回は逆転した後、さらにランナー2塁からヒットが出てホームへ突入しましたがアウト。タイミングや相手ピッチャーの動揺からみて、自重して次のバッターに期待しても良かったかも。
 9回の守りは、今治西の投手には余力はなかったように思いました。ファーストの守備に廻っていた先発投手をもう一度登板させる手もあったと思います。
 ただ、これは全て第三者の感想にしか過ぎません。

 私の出身高校は旧制の県立女学校だったのに対し、今治西は旧制の今治中学。愛媛県内では、夏目漱石が赴任し坊っちゃんの舞台にもなった旧制松山中学(現:松山東高)に次ぐくらいの進学校です。甲子園では確か3度、ベスト4にまで進出しています。他にボート部も全国レベルにある文武両道の学校です。女子学生の制服は、文字通りセーラー服そのものです。校章は蛍雪にちなんで、雪の結晶と蛍があしらわれています。

 負けてはしまいましたが、その健闘を讃えて校歌を紹介させていただきます。
 「朝夕仰ぎて 胸ぬちに
  深く刻める 石鎚の
  無言の教訓(おしえ)か 剛健を
  杖としたゆまず 登れよと」
 
 石鎚と言うのは、愛媛県東部、高知県境近くにある、西日本最高峰の山です。
 愛媛県東部(地元では東予=愛媛県の昔の国名:伊予の国の東=と呼んでいます)にあるかなり多くの学校に出てくる山です。私の母校の校歌にも勿論出ています。
 
 因みに、今治西に勝ったのは、群馬県の高崎健康福祉大学高崎高校。馴染みのない校名ですが、前身は群馬女子短大付属高校だったそうで、女子高だったのが10年程前に共学になり、校名も変更されたとか。群馬女子短大付属高は、女子の高校駅伝の初期の頃、全国制覇をしたことがあり、その後名前を聞かなくなったと思っていたら、こうなっていたのですね。
 
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 8月6日の練習
  スイム 2,100m 
    アップ  500m 7′40″
    ハード  500m 7′37″
    その他  500m
    イージー 500m 8′00″
    ダウン  100m

 8月7日 休み

ピンコロリ

 おじさんになった私だが、今、中高年には回りに迷惑をかけず最後まで人生を楽しみたいという、ピンコロリ願望が広がっているそうだ。だが、ピンコロリは古今東西、それほど簡単なことではなさそうだ。

 山田風太郎さんは『人間ラストシーン』(角川文庫『風眼抄』収録、初出「現代」79年2月号)の中で、「人間はラクには死ねないものだ、と改めて感じ」いっている。徳川無声、フロイト、安藤広重等の例を出して、「生きながら暗澹たる業苦の無明世界のうちに、息をひきとっていくのである。」と結んでいる。

 つかこうへいさんには『生涯』(75年9月初演)という作品の中に「三途の川までぽっくりな ぽっくり死のう」という台詞が出てくる。

 自分が死を、これほどまで客観的に考えられれば羨ましいくらいである。
 
 ただでさえ暑いところに、暑苦しい話で申し訳ない。読み流してください。

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 8月5日の練習:
  ラン 10km 極めてゆっくりしたJOG
  鶴見川沿いでは蝉が騒がしく鳴いていた。
  久しぶりにヨーコと一緒に走ったが、途中からあっという間に先に行かれた。

欠伸とSF小説

前回、欠伸のことを書いた翌日、テレビで動物の生態に関する番組がありました。その中で、河馬は不審な生き物が近づいてくると大きく口を開ける習性があるということを知りました。口を開けた様はまるで欠伸をしている様なのですが、実際は、口の中にある鋭い牙を相手に見せつけて威嚇をしているのだそうです。
 これを例の女性になぞらえるなら、単なる欠伸ではなく「ワタクシに近づくと火傷をしますよ。」という警告だったのか?
 つまらない話を長々聞かされて、欠伸が出てしまうのは、相手に対しいい加減に止めなさい、という聞き手の意思表示なのかも。

 30年くらい前でしょうか、早川書房から出版された『SFマガジン』を愛読していました。自分の記憶では創刊号から買っていたはずなのですが、インターネットなので調べると、この雑誌が創刊された時と、私が創刊号だと思って読んいた時期が一致しません。実家かどこかに買った雑誌が残っているはずなので、今度探してみようと思っています。

 それはさておき、一口にSFと言っても、私にとってのSFは、空想科学の世界ではなく、幾つかの広がりをもっています。星新一さんや筒井康隆さんは、人間と人間の発明した文明との矛盾点、豊田有恒さんからは古代をモチーフにしたスペクタル、半村良さんからは、人間の存在に関する根源のような物、をそれぞれ知らされたような気がしています。

 と、なんだか、今日はかなり酔っ払っているので、意味不明でごめんなさい。横浜の中華街で、2時間飲み放題3,500円に、親しい人総勢8人で行ってきたばかりなので、こんな文章になってしまいました。欠伸とSFが何故つながるかと言えば、目の前に見える現象も、理解の仕方や深め方次第で、常識や知識、思い込みとは違った解釈の仕方でき、それが新しい世界を広げて行くことができるのではないか、という戯言でございます。

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 8月3日の練習
  スイム1,700m
   アップ350m
   平泳ぎキック300m
   平泳ぎハード100m 1′35″
   平泳ぎイージー400m 7′36″
   クロールイージー 500m 8′15″
   ダウン 50m
  2日の夜、両肩甲骨の奥の筋肉がとても痛くて1時間ごとに目が覚めるような状態だった。
  肩甲骨を大きく動かすことを意識していたので、痛みが出たこと自体は心配していない。
  それでも、今日は、普段と違った練習をしてみた。
 
 8月4日の練習
  ラン ジョグ4km=これを練習と言えるか甚だ疑問だが
     去年の今頃は500mで膝が痛くて走れなくなっていたのと比べると、
     まだ、良い方。
  スイム 1,100m
    500mペース泳(7′50″×2)
    ダウン 100m
    肩の痛みは殆ど感じなくなった。

さらば『金麦』

 先日、鶴見川沿いを歩いていたら、小学生の男児が「パパと同じようなおじさんがいる。」と私を指差してすれ違って行った。小学生は父親(と思われる男性)と一緒に歩いていたが、その男性は何も言わず、私から目をそらすようJに過ぎ去って行った。見知らぬ人を指差すことを叱らない男性の方に腹が立ったが、おじさんの機嫌は良かったので、何も言わずこちらも通り過ぎた。おじさん、と言われることには何も感じなかった。ただ、どの辺が「パパと同じような」のか、尋ねては見たかった。その男性は、外観からは40歳代前半に見えたから。

 ところが今日、つくづく自分もおじさんになったのだな、と感じさせられる場面に遭遇した。仕事で訪ねて行った誰でも知っている大企業の、とても立派なオフィスビルのエレベーターで、その会社の女性社員と乗り合わせた。私が先に乗っていたところ、後から女性社員がハイヒールの音を響かせながら乗ってきたのだ。とても綺麗な人だった。6人ほど乗れる広さの中に、私と女性社員の二人きり。ところがエレベーターが動き出して直ぐに、その女性が大きな欠伸をした。その時、自分はその女性から見れば、存在感の全くないおじさんなのだろう、と感じさせられた。きっと乗り合わせた男性が福山雅治なら、いくらなんでも欠伸はしないんだろうから。

 エレベーターで女性と二人きりになるというのは、結構緊張する。立つ場所に困るのだ。奥に詰めて女性の後ろに立つのも危ぶまれそうだし、入口を塞ぐ形で立つのもどうかと思うし。なかなか、難しい。おろおろしていると益々怪しまれそうだし。まぁ、目の前で欠伸をしても恥ずかしくないくらいにしか見られていないのであれば、こちらからそこまで気をまわす必要もないようだ。

 そんなこんなで、おじさんであることを改めて認識させられたが、CMに出ていた女優さんが好ましく、それだけが理由で選んでいた『金麦』も、その女優さんが結婚したと聞いて、二度とそのビールを飲むことはあるまい、などと思ってしまうのは、果たして「おじさん」なのか、血の気のある若者なのか。

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 8月1日の練習
  ラン 11km(鶴見川沿い、超スロージョグ)
  スイム 1,500m
       ペース泳 1,000m 16分06秒
       ダウン    500m  8分05秒
 8月2日の練習
  スイム 3,000m
       ペース泳 500m×3
            7分48秒、7分53秒、7分47秒。
       イージー 300m 
       ハード  350m 5分43秒
       イージー 200m
       ハード  500m 7分35秒
       ダウン  150m


 

 先日、高校野球の応援風景で朋優学院のことを書いたら、親しい方の娘さんがその学校の卒業生だったと言う連絡を頂きました。そのような繋がりがあるとは知りませんでした。

 7月30日は、港区スポーツセンター・ランニングクラブの仲間の男性3名、女性2名で、新横浜公園でラン練習。雨は降らず、蒸し暑い中、ラン練習は1時間ほどで切り上げました。その後男性2名、女性1名が加わり12時半頃から5時頃まで綱島温泉の個室を借りての宴会。ここは横浜鉄人クラブでも時折利用するため、予約の電話を入ると、私の苗字だけで従業員さんには分かってもらえるようになりました(ありふれた苗字なのに)。平均年齢は50歳半ば。30年近くの付き合いになります。他愛のない四方山話で、楽しく時間を過ごしました。酒量は横鉄に比べると、随分可愛い物です。

 7月31日は仕事。横浜市内には大型ショッピングモールが増えたこともあり、土日は交通量が多いです。渋滞だと思って我慢して並んでいたら、実はショッピングモールの駐車場への車列だった、と言うこともあります。ロスタイムも多く、イライラも募ります。近隣では渋滞の煽りを受けて、普段は周辺住民以外の人通りの少ない住宅街も、抜け道として利用される為、事故や騒音問題も起きているようです。もう少し、町や地域全体を考えた開発と言うのもができないのでしょうかね。

 また、この日、JUNさんが参加を予定されていた渡良瀬でのトライアスロン大会が中止になったそうです。スイム会場の遊水地が危険水域を越えた為のようです。屋外のスポーツは自然相手なので、このようなこともおこりえます。私は非常に運が良いのか、トライアスロンを始めて26年、40回ほどレースに出ましたが、レースそのものはおろか、一部種目だけでも中止になったことはありません(スイムの距離が短くなったことはあります)。気象条件だけでなく、開催してくださる地元の方々のご尽力の賜物でもあります。

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 7月29日 練習休み
 7月30日 ラン8km
 7月31日 練習休み
 月末モード終了。8月1日から再開です。
 
 
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kiyo & yoko

Author:kiyo & yoko
努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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