日中の残暑はまだまだ厳しいものの、朝夕は少し涼しくなったような気もします。単に暑さに慣れただけかもしれません。ただ、夕方、日の暮れる時刻は確実に早くなってきているので、間違いなく秋は近いのでしょう。我が家の狭い庭の木で鳴く蝉の数も減ってきています。

 今年の夏は随分遊び回りました。理由は有給休暇の消化です。ここ数年、有給休暇を全く取っていなかったので毎年度初めの未消化の休暇日数が40日に達し続けておりました。そして毎年繰り越せない20日分は消え続けて行っていました。それは流石にまずいだろうということで、40日の内来年度に繰り越せない20日は何とか消化しておきなさい、とのお上からのお達しで8,9月の2カ月で使う予定を立てました(期限は9月30日)。それでもお盆の休みを含めてもまだ8日しか使っていません。

 そして8月最後の夏旅のため、今日と明日、2日間使います。目的地は神津島。伊豆諸島の南部にある島です。ここには10年余り前に一度行ったことがあります。季節も丁度8月でした。家族連れやカップルの多い中、40歳代半ばの男性4人で何とも寂しいバカンスでした。それでも海や海岸線の景色は美しく、もう一度行ってみたいと思いつつも機会がありませんでした。

 毎年、東京アイランドシリーズと呼ばれる、トライアスロンやアクアスロンの大会が伊豆諸島で行われています。その内、昨年まで式根島で行われていたアクアスロン(スイム+ラン)大会が、今年は神津島で行われることになりました。その参加も兼ねての旅です。大会は9月1日(土)に行われるので、本来は金曜日夜に東京の竹芝桟橋から出航する船に乗ればいいのですが、神津島の海を満喫するため、一日早く、今夜(30日)に出かけます。アイランドシリーズで知り合った友達とも楽しい時間を過ごせそうです。

 そして、これが今夏最後の旅です。有給休暇は消化しきれないのですが、遊びに行く資金が枯渇したので、会社には勘弁してもらいます。

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2012.08.28 文楽
文楽とは、そもそも人形浄瑠璃が演じられる劇場の中の一つの場所「文楽座」のことだったのですが、現代では一般的に人形浄瑠璃の代名詞として用いられるようになっています。人形浄瑠璃は、江戸時代初期に人形芝居に、三味線、浄瑠璃が合わさってできたそうです。近松門左衛門や竹本義太夫によって人気が高まり、江戸浄瑠璃は平賀源内が広めたそうです。その人形浄瑠璃を演じる場所の一つが、第三代植村文楽軒が大坂で開いた文楽座だったのです。

 人形浄瑠璃の演目の内、「阿波の鳴門」、「熊谷陣屋」、「野崎村」の一場面が図柄になっている切手があります。

『阿波の鳴門』
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 「ととさん(父)の名は、十郎兵衛、かかさん(母)名は、お弓と申します。」の台詞は良く知られています。徳島藩士の十郎兵衛と妻のお弓は、盗まれた主君の刀の詮議のため大阪で盗賊に身を窶していました。そこに巡礼姿のお鶴が訪ねてきた時、両親の名を尋ねられての返答。二人はお鶴が自分たちの実の子と分かりながらも盗賊姿の自分たちの子と分かれば、お鶴にどのような災難が降りかかるか分かりません。泣く泣く分かれていく場面です。
 その後、お弓と別れた十郎兵衛は、金のためお鶴を殺してしまうことになります。

『熊谷陣屋』
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 平家物語の聞かせどころの一つ、一の谷の合戦で、熊谷直実が平敦盛を討ち取った後の場面です。直実は源義経から、天皇の血統を引く敦盛は殺してはならないと密命を帯びていたのですが、討ち取ってしまいました。そして引き揚げてきた陣屋に直実の妻が息子・小次郎の安否を、そして敦盛の母親も息子の安否を尋ねに来ます。そこで敦盛が直実によって討ち取られたと知った敦盛の母は子の仇を取ろうとします。直実は若干十六歳だった敦盛の最期がどれ程潔かったかを敦盛の母親に語り聞かせ、その場は収まりました。
 その後、義経が敦盛の首実検に現れますが、敦盛を打ち取ってしまった直実は、敦盛の首の代わりに我が子小次郎を殺しその首を差し出しました。そして世を儚んだ直実は武士の身を捨て仏門に入り我が子の供養を続けることになった。その陣屋での場面が図柄になっています。

『野崎村』
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 江戸に丁稚奉公に出ていた息子・久松が奉公先のお店の金を盗んだ疑いをかけられ、実家に戻って着ました。これを機に、久松の父親・久作は考えました。久作には妻の連れ子であるおみつと言う娘がいました。そして久松も久作の養子であったため、血の繋がりのない久松をおみつを結婚させようとしたのです。ところが、久松の奉公先の娘・お染が久松を追いかけてきました。これを見たおみつは髪を落とし尼になり、久松とお染を結ばせようとしました。そしてお染の母親も久松との結婚を認めました。久松とお染は、それぞれ海路と陸路に分かれて江戸へと戻っていきました。ラストシーンはその二人の後姿を見送りながらおみつが泣き崩れて行きます。
 因みに、逢瀬を重ねた男女が、何らかの事情で別々の帰路につくことを「お染久松」と言いましたが、今では殆ど使われていないようです。

このような伝統芸能、一人の為政者の好みで廃れさせて欲しくはないです。

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 歴史は巡る、と言いますか、戦国時代の長浜城の盛衰が、時を経て文明開化を目指す明治から昭和にかけて長浜は鉄道交通の要所として盛衰を重ねたようです。

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 「長浜鉄道スクエア」。長浜市の現在のJR長浜駅南にある鉄道博物館です。長浜を訪ねるまではそのような博物館があることは知らず、現地の観光案内で見つけました。博物館を訪ねるまでは、あまり大したことはないだろうと、期待はしていませんでした。ところが博物館の建物は、現存最古の駅舎として1958年に鉄道記念物に指定された旧長浜駅舎と利用したもので、中の展示物などにも貴重な物がありました。そして長浜駅の歴史を知り、改めて長浜の地に思いを寄せました。

 日本の鉄道が最初に開通したのは1872年の新橋~横浜間。これに続くのが1874年の神戸~大阪間、1877年に、大阪~京都間、1880年には京都~大津間と北海道の手宮~札幌間です。さらに1882年釜石製鉄所専用鉄道に続いて開通したのが現在の北陸線になる長浜~柳ケ瀬間と柳ケ瀬トンネル西口~金ケ先(敦賀)間です。当時の明治政府は鉄道網の整備に当たり、東京・京都を結ぶことと太平洋と日本海を結ぶことを重視しました。このため長浜は重要な地点になっていました。東京・京都間の鉄道路線から琵琶湖東北岸を通り福井県敦賀市へ抜ける路線が計画・建設されたのです。長浜は日本で7番目の鉄道路線の起点となりました。なお、金ケ崎トンネルが完成し、長浜と敦賀が結ばれたのは1884年。新橋~長浜までが開通する5年も前のことです。

 ところで、この鉄道網の広がりの中で、現在の東海道線が新橋~神戸間が全線開通するのは1889年7月です。それまで神戸~大津、長浜~金ケ崎は開通済みでしたが、大津~長浜間は未開通でした。このため大津~長浜間は、1882年5月から1889年7月の7年間、日本初の鉄道連絡船(太湖汽船)が運行されていました。当に、秀吉が琵琶湖の水運の利便さに目をつけ長浜に城を築いたことの先見性が証明されたようなものでした。鉄道連絡船には日本初の鉄船が用いられ、総トン数500、350人乗りで、長浜~大津間を3時間半で結んでいたそうです。この当時は、長浜駅周辺には28件の宿が軒を連ねていたほか、15の運送店、4軒の飛脚業があったそうです。また陸蒸気を観たい、乗りたいという人も多く訪れ、カフェーや料理店も増え、鉄道の町として活気に溢れていたそうです。

 ところがその長浜駅も、現在の東海道線が長浜の南を通り関ケ原から米原、彦根へのルートになったことで東海道線からは外れてしまいました。更に1920年代になり琵琶湖の西岸で江若鉄道の建設が進み、1974年にはJR湖西線が開業、京阪神~敦賀間の所要時間が短縮されることになり、現在では京阪神~北陸間の特急電車は全て湖西線を走るようになりました。一方、琵琶湖北東岸の長浜駅は、名古屋・米原間と北陸を結ぶ特急や敦賀・米原・彦根・大津を利用する乗客の為の各駅停車が停まる程度になりました。

 その長浜駅舎を利用した博物館には、大人も子供も楽しめる展示やジオラマが設けられています。

1.2等乗客待合室と駅長室。
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D51型蒸気機関車793号機
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1957年に北陸本線が電化された当時活躍していたED70型電気機関車1号機(日本で唯一現存するED70型だそうです)。
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長浜駅を模ったジオラマ。ブルートレインや国鉄時代の特急電車の模型が走り回っています。
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待合室には,茶々、初、江の浅井三姉妹も座っています。
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2012.08.26 長浜城
 日にちは前後しますが、Big Lake合宿二日目の8月12日。朝、琵琶湖でスイム練習後、他のメンバーはバイクの練習へ。その間、キヨタはサボって城下町観光。

 先ずは、豊臣秀吉の出世城と言われ、秀吉が一国一城の主となった最初の拠点である長浜城の天守閣に登城。
 1573年に浅井長政が滅亡した後、滋賀県北部の湖北地方を支配したのが秀吉。姉川の合戦や小谷城攻めで功績のあった秀吉が浅井氏の領国の大半を与えられ、最初は小谷城に入りました。その翌年に湖岸に面した現在の場所(当時の地名は今浜)に築城を開始しました。これは琵琶湖の舟運を重視したことが理由と考えられています。そして1575年に城が完成、地名を長浜に改めて1582年まで在城しました。
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天守閣は再建されたもので中の階段などは鉄筋コンクリート造りです。当時の天守閣からは少し北側に建てられているそうです。当時の城に関する絵図や古文書が殆ど伝来されておらず、1983年に再建された天守閣は当時の物ではなく、当時の城郭を想定して建築されたとのことです。
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天守閣最上階の回廊からは、琵琶湖をはじめ、姉川や賤ヶ岳合戦場、小谷城、関ケ原、更には石田三成の居城だった佐和山城などを望むことができます。琵琶湖の水運を利用すれば陸上よりも便利に大津に出ることもでき、そこから京都は目と鼻の先。戦国時代にはかなり重要な場所にあったこことを感じさせられます。
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 秀吉後は、1582年の清州会議で柴田勝家に譲られ、勝家の甥である勝豊が入城しました。しかしその年の12月に、秀吉は勝豊を攻め翌年4月に行われた賤ヶ岳での柴田勝家との合戦では長浜城を軍事拠点としました。
 1685年から山内一豊が城主となりなしたが、その移封後は廃れ、湖北地方は石田三成の支配下になって行きました。
 1606年には徳川家康の異母弟の内藤信成が城主となり大改築が行われましたが、1615年に城主となっていた信成の子、信正が摂津高槻城に移封によって、湖北支配の役割は彦根城に移り、石垣や櫓材は彦根城などに運ばれ廃城となりました。

また、長浜は京都と北陸を結ぶ「北国街道」が通っており、旧街道沿いにはその名残があります。市内には「黒壁スクエァ」と呼ばれる地区や、戦国時代をテーマにした展示館があります。
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この建物は「舟板べい」と呼ばれ、木造の舟の板材が利用されています。
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写真では分かりづらいですが、道が少し曲がっていて、道に面する建物が一軒ずつ少し凸凹しています。これは武者隠しと言って、敵に追われたり迎え撃つときに武士が建物の凹みに隠れて待ち伏せするために敢えてそのような並びになっているのだそうです。
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長浜城公園内でラン練習するBig Lakeメンバー
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 城下町を見物した後は、長浜のもう一つの見どころ、「長浜鉄道スクエァ」に向かいました(続く)。

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 8月25日(土)、横浜市の日産スタジアムで第28回全国小学生陸上競技交流会が開催されました。全国の各都道府県の予選を勝ち抜いてきた小学生が集いました。サッカーのワールドカップの決勝の舞台でもあり、国際的な陸上競技が開催されるスタジアムで行われる晴れ舞台です。

 ブログをリンクさせていただいている波っ子ランナーズの女子チームが愛媛県代表で400mリレーに臨みました。残念ながら準決勝へは進めませんでしたが、良く健闘しました。何と言っても小学生。これから先、もっと大きな舞台で活躍できるチャンスがあるでしょう。

 波っ子ランナーズにはトライアスロンに取り組んでいる小学生も多くいます。楽しみです。

私たちが小学生の頃は、せいぜい市内の学校の対抗戦があったくらいでした。
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小学生からこんな立派な競技場で走れるなんて羨ましい。
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波っ子ランナーズは、愛媛県今治市波方(ナミカタ)町を拠点に活動しています。
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小学生とは言え、しっかりとトレーニングと積んできているのが分かります。
女子の400mリレーでは54秒台でなければ準決勝に行けません。一人平均して100mを13秒台で走らなければなりません。
男子では予選から50秒を切るチームもありました。
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 ランの2㎞地点。暑い。どれくらい暑いかと言えば、口で息を吸うと空気が熱い。口腔内体温より外気温の方が高いのだろう。今年のレースは、スイム1.5㎞を25分、スイムからバイクへのトランジッション(移動時間)5分、バイク40㎞は1時間30分、最後のランは確実にキロ6分で走って1時間、合計3時間以内でのゴールを目指していたが、既に2時間20分は過ぎてしまった。バイクが終わった時には、もう力が無くなっていた。ランコースは片道5㎞の往復で、途中で帰って来るヨーコと擦れ違うだろうからそこでリタイアして引き返そうかな、と考えていた。多分2~3㎞地点になるだろう。中島大会には第1回から参加しているが、過去1度だけバイクのパンクが原因での途中リタイアの経験がある。この1回がこれまで参加してきたトライアスロンレース全44回の内、唯一のリタイアだ。今日が2回目になるかな。前日までは快調だったのに。

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 今年で27回目のトライアスロン中島大会。中島は松山市の三津浜港から北西へフェリーで1時間、広島県境に近い周囲40㎞弱のミカンの産地として知られる島です。周辺にある幾つかの島と合わせ、中世より海上交通の要所でもありました。

中島に向かうフェリーから見える四十島。坊っちゃんが赤シャツと釣りに行った「ターナーの画にありそうな島」は、この島です。
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その中島で第1回のトライアスロンが開催させたのが1986年7月6日。スイム1.5㎞+第1ラン2.5㎞+バイク54㎞+第2ラン14キロという変則コースでしたが総距離72㎞に男女合わせて165名が挑戦し144名が完走しました。今年は北は新潟、南は石垣島から、年齢層は20~74歳の総勢487名(男性429名、女性58名)がエントリーしました。8月18日(土)が競技説明会と開会式兼前夜祭。翌19日がレースです。

開会式の前に毎年、地元中学生による水軍太鼓が披露されます。この中学生たちはレース前2回にわたり浜辺の清掃をし、レース当日は猛暑の中ボランティアとして走者を支えてくれます。ここ数年、中学生当時にボランティアを経験した人がレースにも参加しているそうです。
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選手宣誓の後は前夜祭。中島の前夜祭ではビールは飲み放題です。だからと言って翌日のレースに差し支える程まで飲む人はいません(多分)。他に、ヒラメの刺身や、地元の方が作ってくださったうどんやカレーなどが振る舞われます。
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 レース当日、朝から快晴過ぎるほどの青空。暑いレースが予想される。バイクをセットした後、思わぬ人と出会った。東京アイランドシリーズなどを通じて知り合ったジンさん。遠路東京から、マーシャルのボランティアとして駆け付けたそうだ。
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トランジッション(スイムからバイク、バイクに移る為にバイクを置いている)エリアは、神社の境内前の広場です。
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スイムコースは浜辺に並行して並んで浮かべられているブイを、浜辺から向って右端から左端へ泳ぐ片道375mを2往復する1.5㎞。スタート位置は浜辺から海に向かってブイの右端までの直線状にロープが張られている。スイムに自信のある人はブイ近くからスタートする。それならブイに沿ってロスなく泳げる。。あまり自信のない人は浜辺からスタートする。中間層はロープの浜辺近くからスタート、ブイの左端(向こう側の折り返し地点)に向けて左斜めに泳ぐ位置取りをする。私たちはいつも通りロープの浜辺近くからスタートした。この位置から斜め右に向かって最初の折り返しを目指せばそれほどバトルに巻き込まれることは少ない。ただスタート前のウォーミングアップでは昨日まで程体が軽くない。


 10時30分、スタート。スタートダッシュは調子が良くない中でも上手く周囲の人たちから抜け出すことができた。最初の折り返しまでは殆どバトルに巻き込まれることもなく、全体でも上の下くらいの順位で泳げているように感じる。中島はロープ沿いを往復するため端のブイは180度で折り返すことになり、例年ここでもたつくのだが、今回はそれもなかった。最初の折り返しを過ぎた辺り(1.5㎞の内0.5㎞位)からは周囲は泳力がほぼ同じ程度と思われる人ばかりになった。ここで無駄な力を使うわけにはいかないので、全体の流れの中で泳ぐ。無理にでも追い越したい人は先に行かせ、こちらも敢えて追いかけたりはしない。折り返しコースなので先頭の位置と離されている距離は確認でき、また周囲の混雑具合からみても順位は悪くはないようだ。ところがスイムが終わって浜辺に上がった時は既に28分を越えていた。想像もしない悪いタイムだった。中島のスイムコースは海流が年によって変わるので、例年と比較するのは難しいが、それでもタイムは悪い。ここで予定より3分の遅れ。結果論だけで言ってしまえば、周囲に合わせて少し楽に泳ぎ過ぎたのかもしれない。順位は40~50番くらいだったようだ。トランジッションはほぼ予定通り4分49秒で通過しバイクコースに出た。

バイクのスタート地点は神社の鳥居の下です。
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 ただ、今年は2,3分をどうこう言える程の練習は積めてないのでスイムの3分の遅れを無理して取り戻すこともない。1時間30分の設定タイムも無理せずランに移れるため余裕をもってのことだった(はず)。

 さてその頃ヨーコはスイムを26分28秒の女性4位で終え、バイクを順調に漕いでいた。1週間前のBig Lakeでの合宿でも、彼女なりには良いペースで練習できたとのこと。3位入賞が目標だ。

 バイクコースは片道10㎞を2往復、計40㎞。コースの9割方以上が海岸沿いになっている。瀬戸内海越しに四国の山並みや周囲の島々が望め、レースでなければとても良いサイクリングコースだ。それでもレースともなれば、小さな岬を回るごとに風向きが変わったり、コース取りを考えたりと、息が抜けない。1往復目は予定より少し良くスイムの遅れを丁度取り戻したくらいで終えた。無理はしないつもりでいたのだが、気持ちよく走っている間にオーバーペースだったかもしれない。その分2往復目途中からバテ気味。バイク終了時は1週目でできた貯金を吐き出してしまったばかりか、更に30秒程、借金を増やしてしまった。スイムと合わせてほぼ4分遅れ。

 中島の制限時間は4時間。バイク終了時がスタート後2時間4分程だったから、10㎞歩いても時間内にゴールはできるだろう。が、そんな状態で完走してもなぁ。膝の痛みは余り感じないので、取りあえずはヨーコと擦れ違う所まで歩いてみようか。後はその時考えよう。
そして辿りついた2㎞地点だった。ヨーコは女性2位だった。1位とは10分以上離されていた。3位がすぐ後ろに見えたが、多分ヨーコの方がランで追い越したのだろう。後で聞くと、バイク終了時は4位。トランジッションで一人抜いて、ランで更に2位に上がったそうだ。
 それを見届けたうえで、さて自分はどうするか。ここで引き返しても4㎞走った(歩いた)ことになる。制限時間もあるし、幸いエードステーションでの補給で少し体力も戻ってきた。なにより、ここで止めたら恥ずかしい。

 結局、2~8㎞まではキロ6分、8~9.5㎞はほぼ歩き。残り0.5㎞だけ頑張ってダッシュ。ゴールタイムは3時間21分09秒。サブスリー復活は来年へ持越し。
 ヨーコは2時間33分00秒で、女性2位のままゴール。彼女も中島では常連になり周囲からは「女性中年の星」と言われるそうだ。本人は「私、中年?」とのこと。
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 8月11~12日、滋賀県長浜市周辺で、Triathlon TEAM Big Lake の夏合宿が開催されました。今年1月に発足して以降、滋賀県を中心に練習会が開催され、また全国の多くのメンバーが各地のレースで好成績を収めています。
 私たちは、ヨーコの帰省とキヨタの夏休みの日程とが合い、参加することが出来ました。チームのメンバーとは新島に一緒に参加した以外の方とはHPなどでの交流しかなく、またレベルの高い方々ばかりで、合流するまでは期待と同じくらいに不安もないわけではありませんでした。それでも初日にお会いできた時から愉しく会話をさせていただきました。

 11日は8時30分より、滋賀県彦根市の総合運動公園内の屋外50mプールを2コース借り切ってのスイム練習から始りました。
このプールは彦根城の北側にあり、プールサイドから天守閣を見上げることが出来ます。
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 凡そ1時間半ほどでしたが、キックに始まり、50~400mまでのインターバル練習と、中身の濃い練習でした。約20人が初中級と、上級のグループに分かれ、キヨタは上級者グループに入れてもらいましたが、付いて行くのがやっとというレベルでした。

 その後、拠点を琵琶湖北東端にある奥びわスポーツの森に移動、バイク練習に移りました。練習コースはかつて琵琶湖で開催されていたアイアンマンジャパンのバイクコース約100kmです。
 琵琶湖のアイアンマンジャパンはキヨタがトライアスロンを始めたころに開催されるようになりましたが、レース実績のないキヨタにとってはエントリーすらも躊躇われるもので、今のようにインターネットで誰でもエントリーできる状況ではありませんでした。

 そのバイクコースは滋賀県北部の山間にあります。途中、七本槍で知られる賤ケ岳の麓にある余呉湖(ヨゴコ)も廻ります。コース脇には稔りの近さを思わせる稲の緑の絨毯が広がり、青い空と白い雲、福井県境に連なる山々も眺めながら、懐かしい田園風景の中、苦しくも楽しい練習が出来ました。

 バイク後は10kmのラン練習。キヨタは膝の具合が心配だったため参加しませんでしたが、他のメンバーは暑い中、良く走りました。
 
 練習後は、滋賀県長浜市内へ戻り、男女総勢16名で宿泊先の国民宿舎豊公荘に入りました。豊臣秀吉の出世城とも言われる長浜城に隣接する豊公公園内にあります。

 一日の練習の汗を流し、明日に備えて皆、大人しく就寝しました(そんな訳、ないって? それはご想像にお任せします)。
2012.08.10 近いうち
 『芝居小屋に「近日開演」の札が掛かっているのを見た少しとぼけた息子。翌日、弁当まで用意して芝居小屋に向かったが、札は掛かったままで芝居が行われている様子は全くない。息子は近日とは一番近い日、つまり翌日だと思っていたのだ。家に戻って父親に報告すると、近日と言うのは、「近いうちにやります」という意味で、客の気を惹くための言葉だと教えられた。さらに、少しは機転を利かせ、常に先を読めと叱られた。
 後日、父親の体調が思わしくなかったのを見て、息子は医者を呼んだ。医者は大したことはないと言ったのだが、診察が終わった後、医者が少し首をかしげたのを見て本当は死にそうなのだろうと思い、葬儀屋まで呼んだ。それを見た近所の人は大騒ぎ。ところが父親の家へ行くと父親は悠然と煙管をふかしている。その姿を近所の人は、騙すのもいい加減にしろと怒った。
 すると息子は、平然として近所の人に言い返した。早合点しないでくれ。私は父に常に先を読めと叱られた。玄関に貼っている忌み札をよく読んでくれ。「近日 忌日」と書いてあるだろう、と。』
 
 これは上方落語にある「近日息子」のあらすじです。
 映画館などで次回上映作品の紹介時に近日公開とテロップが流れたり、新しい店の完成前には近日開店の看板が立てられています。近日と言うのは、予定が決まっているけれど期待を持たせるために敢えて日にちを確定させなかったり、万一にも予定がずれてしまった時の為に明記しなかったのかも知れません。

 似たような言葉で「近い将来」と「近いうち」。
言葉のニュアンスでは「近いうち」の方が早いような気がします。時の首相の「近い将来」から「近いうち」に信を問う、と言葉が変わったのを受け、今日8月10日、消費税増税法案が可決されそうです。けれど永田町の言葉は額面通りには受け止めにくいです。落語なら笑って済ませられるのですが、困ったものです。首相も解散の期日を明言することができないのなら、いっそ「近日解散」と言ってしまえばいいのに。

 ところで、この1,2日、愛媛県男児には辛い日が続きました。オリンピックのやり投げではメダルを期待された村上選手が予選落ち。普段通りなら間違いなく通過できたでしょうに。そして9日は甲子園で今治西高校が昨年に続き初戦敗退。しかも22個も三振を奪われるという新記録まで作られてしまいました。相手の桐光学園の投手は神奈川県大会の時、2度ほどテレビで観ていました。この時から三振奪取率は高かったのですが、ここまでやられてしまうとは。

 それでも共に実績のある選手と高校。近いうちに必ず復活してくれるでしょう。

 それよりも気になるのが11,12日の関西地方の天気。琵琶湖の北で「Big Lake」の合宿があるのですが、一時雨の予報も出ています。2日間ともスイム、バイク、ランの練習予定が組まれています。一泊二日の参加が16人。他に日帰りのメンバーも数名いて、賑やかかつハードな合宿になりそうです。

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 弓削島から高速艇で南東へ10分程。南北凡そ1㎞、東西300m程の小さな島、豊島(トヨシマ)へ向かいました。豊島コミュニティハウスが4日の宿泊場所です。

コミュニティハウスの船が弓削港まで送迎してくれます。
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宿泊施設です。利用料金は1泊2食で6,000円~10,000円。
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今、豊島には旅人以外は、コミュニティハウスの管理人しか住んでいないそうですが、以前には小学校もあったそうで、その小学校の正門跡です。
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桟橋から瀬戸内海を眺める。
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弓削島が堤防の向こうに見えます。4日は弓削島で地元のお祭りがあり、盛大な打ち上げ花火が豊島からも見えました。
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宿泊施設の崖を降りたところに砂浜があります。施設利用者のプライベートビーチのようなものです。ここが今回のスイム練習場です。
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ランニングクラブのメンバーですが、水泳部出身が3人いて、海での泳ぎもお手の物です。
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豊島にある「船の見える丘」からの眺め。その名のとおり。瀬戸内海を行き来する船が見えます。
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夜は船盛や、蛸しゃぶなど、新鮮な魚介類を堪能しました。酒量は7人で瓶ビール7本と可愛いものでした。

最終日の朝は、童心に帰って凧揚げで戯れました。
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今年は現地での移動距離が少し長く、慌ただしい感じもありました。それでも初めて瀬戸内の島に来られた方もおられ、弓削島では「こんな素敵な島で育った方は良い人ばかりなんでしょうね。羨ましい。」と言っていました。次回はもう少し余裕のある行程で、釣りなども楽しめる時間を設けたいと思っています。

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 8月4日早朝、最後の合流者が大阪から駆け付け総勢7名が揃いました。今回のメンバーは例年とは異なり、大酒飲みがいません。3日夜もアルコールを口にしたのは4人で、それぞれ生ビール中ジョッキ1杯と180㏄の日本酒を3人で飲んだだけ。23時前には就寝しました。ですから翌朝にはアルコールは全く残っておらず朝飯前に先ず、来島海峡大橋でラン練習もこなしました。健全な合宿です。
 
 今治港9時発の高速船で瀬戸内の島々を経由して弓削(ユゲ)島へ向かいました。
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弓削島へは凡そ1時間の船旅です。

船上から来島海峡大橋を見渡せます。
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最初の寄港地は大島の友浦港。村上水軍の拠点にも近い港です。大島は水産業、特に春の鯛網漁は有名です。他に石材業も盛んで、島内で切り出された石は大阪城の石垣にも用いられたそうです。今でも墓石などを中心に作られています。
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高速船の2階はオープンデッキになっていますので、潮風を受けながら長閑な瀬戸内の海の景色を楽しめます。
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2番目の寄港地は、伯方(ハカタ)港。伯方の塩で有名ですが、造船所もいくつかあります。
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伯方港を出て更に北へ向かいます。右に見えるのが広島県の生口(イグチ)島。多々羅(タタラ)大橋を挟んだ左は愛媛県の大三島(オオミシマ)。橋の上が両県の県境になっています。この辺りも潮の流れは速いです。
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3番目は岩城(イワギ)島。「青いレモンの島」と呼ばれ、レモンやライムの栽培が盛んです。
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4番目は佐島(サシマ)。
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佐島と生名島(イキナジマ)を結ぶ生名橋を潜って弓削島に到着です。
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弓削島の地名は、中世、物部氏の一族の弓削部の荘園があったことから名づけられたというのが通説です。一方で島内には知る人ぞ知る弓削道鏡も祭られていたといわれる弓削神社があります。これは弓削部と同姓だったっことから後付されたとも言われています。ただ、神社の境内には「道鏡の金玉石」も残っているそうです。

港の直ぐ前にある施設です。島内の観光案内をしてくださったり、レンタサイクルもあります。ここを拠点にして、真昼間のラン練習に出かけました。
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先ほど、高速艇で下をくぐった生名橋より、瀬戸内海を眺めています。
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多少暑さでバテてきました。
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橋の上からは、こんな景色が眺められます。
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弓削島と佐島を結ぶ弓削大橋。
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弓削島には松原海水浴場と言われる、とても綺麗な砂浜がありスイム練習をする予定でしたが、余りの暑さに予定変更。14時には4日夜の宿泊先である豊島(トヨシマ)へ向かいました(続く)。

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 神奈川在住のご夫妻と合流後、向かったのは「テクスポート今治」。SN3R0053.jpg
 ここは、タオル産業の情報発信施設です。今治は全国でも有数のタオル生産地で、生産量は全国の凡そ5割を占めます。以前は7~8割くらいを生産していましたが、中国産などに押され、また市内の工場も海外へ工場を移転するなどして減少しているようです。子供の頃は、町の至る所で機織りの機械の音が聞こえていました。
 歴史的には、奈良の正倉院に保存されている御物の中に、西暦745年(天平18年)に伊予国越智郡(=現在の今治市)で造られた織物があります。西暦1600年には綿花の栽培と白木綿の生産が始まっているようです。タオルとしては明治時代から歴史を刻んでいます。
 今は、今治タオルをブランドとして広めつつあります。
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 テクスポート今治の中には、タオル製品の販売店の他、タオルが手作りされていた頃の機械の展示や、製造工程を見学できるコーナーもあります。
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 テクスポート見学後は、JR今治駅へ戻り、6人目の方と合流、3日の宿泊場所である「サンライズ糸山」へ向かいました。

JR今治駅前。ここから今治港は北東へ凡そ2㎞です。
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 サンライズ糸山。
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 本州からはしまなみ海道の終点近くにあります。しまなみ海道でサイクリングを楽しむ人の為の施設で、レンタサイクルや、小ぢんまりしたレストラン、そして宿泊用の部屋があります。レンタサイクルも、いわゆるままチャリからクロスバイク、本格的なロードレーサー(多分、私たちがレースで使っている自転車より高級車)、そしてタンデム車(二人用自転車)まで備えられています。レンタル料は、車種によっても異なりますが1日500~1,000円(返却時に戻ってくる補償金を除く)。しまなみ海道は自動車専用道路の脇にガードレールで区切られた、自転車や歩行者専用レーンが設けられています。途中の島々も道路が整備されており、本州から四国まで凡そ80㎞、歩いても走っても、自転車でも渡ることができます。しまなみ海道の途中には10か所ほどサイクリングターミナルがあり、それぞれのターミナルでレンタサイクルを乗り捨てできますので、全行程を乗らなくても、体力や日程によっていろいろコースを選択することもできます。

 宿泊用の部屋は、全室、来島海峡に面していて、部屋からはこのような景色を眺めることができます。
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室内はホテル並みで、洋室と和室があり、使用人数にもよりますが、素泊まりで一人3,000円未満です。サイクリスト以外でも利用可能です。

 到着後、早速、来島海峡大橋を走りました。来島海峡大橋は吊り橋形式ですが、途中の小さな島を結ぶ三つの橋が連続しています。向かいの大島まではサンライズ糸山から往復で凡そ10㎞です。
 橋の上からは、午前中に観潮船から見た来島海峡や造船所に夕日が照っていました。
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 3日の夜は、十六夜。ライトアップされた来島海峡大橋の上に、綺麗に月が出ていました。
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 4日はいよいよ弓削島へ向かいます(続く)。

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 8月3日(金)の朝、前夜に東京浜松町発の夜行バスで出発した先遣隊3名は今治に到着しました。私たち二人と千葉在住の女性です。この日午前中は、来島海峡の観潮船に乗っての渦潮急流見物です。観潮船乗船には千葉の方のご希望もありましたが、私たちも乗船は初めてでした。キヨタは地元で育ちいつも陸地や本州に渡る船から見ていましたので観潮船に乗ったことはありませんでした。(と言いますか、子供の頃には観潮船はなかったように思います。しまなみ海道が出来て以来、観光目的で運行されるようになったようです)。小中学生の頃は、海洋少年団と言う団体に所属していて、カッター(6人で漕ぐボート)の訓練で急流の中を漕いでいました。

今治城天守閣から望む今治市街地と来島海峡。海の向こう側の右に見えるのが大島。左端が糸山。大島と糸山の間を吊り橋3連橋で結ばれています。その吊り橋の下は流れが急で幅も狭いため、海運の難所になっています。その天然の要害を利用して、かつて村上水軍が栄えました。藤堂高虎もその制海権を握るため海に面した場所に今治城を築きました。写真手前に見える細長い内堀は海と直接繋がっており、水は海水です。
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急流観潮船。大人一人1,000円。観潮所要時間は凡そ40分です。
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観潮船は大島の下田水(シタダミ)港から出港します。
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 来島海峡は、鳴門海峡、関門海峡と並ぶ急流の一つですが、鳴門の渦潮ほど知られてはないようです(全くの余談ですが、今年の夏の甲子園には、徳島代表で鳴門高校、愛媛代表で今治西高校が出場します。どちらも甲子園には何度も出場していますが、鳴門は代名詞として渦潮打線と言われるような強力打線が有名です。一方、今治西高はどちらかと言えば投手を中心とした守備の堅さが伝統で、来島海峡打線と呼ばれるようなことはありません)。

 屋形船のような観潮船の座席は海面から1mもありません。間近で見るとやはり迫力はあります。千葉在住の方は以前から一度乗ってみたかったそうです。

観潮船は下田水を出港し、最初は穏やかな海を走ります。
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来島海峡大橋を下から。この辺りは例年6月に開催されるウルトラマラソン「しまなみ100㎞」のコースで、ゴールまで後8㎞位です。
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潮の流れ。航跡や風による波ではありません。最大時速18㎞程になるそうです。
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来島。周囲800m程です。村上水軍一族の来島氏の拠点でした。
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来島海峡に面した入江は波がとても穏やかで、造船業が盛んです。子供のころから、キリンの首のようなクレーンをいつも見ていました。

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球状船首。写真を拡大していただくと分かり易いかと思いますが、船の前方下の赤い所が瘤のように膨らんでいます。球状船首と言います。通常、船を運航する場合、赤い部分が海面下になる程度に人や荷物を積み込みます。その時、赤い膨らみは水面下で波を起こします。膨らみで起こす波の方が、喫水線(黒と赤の境目)で船全体が起こす波より早いため、球状船首で起こす波と船全体で起こす波とが相殺され、抵抗を減らすことができます。スイムのフォームにも応用できるかな。
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 昼過ぎに第2陣、神奈川在住のご夫妻と合流、奥様ご希望によるタオル館へ向かいました(続く)。

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 今年の8月は毎週末、イベントが続きます。

 その第1弾。8月3~5日の3日間、港区SC.ランニングクラブの仲間との合宿です。2年に1度、瀬戸内海のどこかの島を走っています。今年は初日は、愛媛県今治市で来島海峡の潮流観光と、同市の地場産業であるタオルの製造工程の見学をした後、宿泊先のサンライズ糸山」に移動、来島海峡大橋を走る予定でです。サンライズ糸山は、レンタサイクルの拠点ですが、宿泊施設もありリーズナブルに利用できる施設です。

 2日目は、しまなみ海道から少し離れた、弓削島に移動。小さな島を結んでいる橋の端を走って、綺麗な海で泳ぎます。レンタサイクルもあるのでトライアスロンもできます。夜は弓削島から船で20分ほどの豊島コミュニティセンターに宿泊。豊島はこのコミュニティーセンターの管理者以外の定住者はいない小さな島ですが、都会の喧騒を離れて、ゆったりとした時間が過ごせそうです。明日から3日間、インターネットのない所で、汗を沢山掻いて、美味しい魚とお酒を堪能してきます。

 因みに、11,12日は、Big Lake の 滋賀県での合宿。その後、京都、今治再帰省。
 18,19日は、中島トライアスロン大会。
 26日は日産スタジアムで、「波っ子ランナーズ」の皆さんが参加される陸上全国大会日清カップの応援。
 31~9月2日は、神津島アクアスロン。
 
 体力より、経済力の方がピンチです。

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