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 冬季オリンピックの記念切手は他国でも発行されています。上の5枚は「MAGAR」=国名はハンガリー。主要民族がマジャール人です。1960年のスコーバレー大会の切手です。

 次の3枚はインスブルック大会。上からポーランド、ハンガリー、ブルガリアの切手です。
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ここからは1968年、フランスのグルノーブル大会の切手。
SHARJAHは、アラブ首長国連邦の一つ。
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AJMANも、同じアラブ首長国連邦の一つ。
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下の5枚はハンガリー。
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UMMALQIWAIN、これまたアラブ首長国連邦の一つ。
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さらにアラブ首長国連邦から、RASALKHAIMA。
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冬季五輪には縁の薄いアラビア半島の国々(地域)から多く切手が発行されているのは、切手を輸出して外貨を獲得するも目的の一つでした。

もう1か国、冬には縁遠いパナマも切手を出しています。
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 1944年に予定されていて中止になったイタリアのコルチナダンペッツォで開催された1956年の大会。32か国820人が参加しました。日本は男子のみ10が参加、この大会で冬季大会における日本初のメダリストが誕生しました。アルペン回転競技で猪谷千春選手が銀メダルを獲得したのです。今、ソチ五輪が開催中ですが、アルペン種目でのメダリストは今のところ、この猪谷選手ただ一人だけです。因みにこの時の金メダリストは、あのトニー・ザイラー(と言ってもある程度の年齢以上の方しかご存知ないでしょうか)。

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 1960年はアメリカのスコーバレーでの開催。30か国665人が参加。アメリカ大陸で開催されるとヨーロッパからの参加が減るのでしょうか。前回大会より参加国、参加者とも減少。日本は男子36人、女子5人が参加。旗手は女子フィギュアの選手が務めました。3人が入賞しましたがメダルはなし。

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 1964年、オーストリアのインスブルック36か国1091人が参加。日本は34種目に男子42人、女子6人が参加しました。

 以上が私の持っているイエメン発行の冬季オリンピックの開催国に関する切手です。多分、開催された都度に記念として発行された物ではないと思われます。いつ、どのような理由でシリーズ化されたのか、またインスブルック以降の大会分も発行されたのか、分かりません。
 
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 前回の続きです。何故、1936年にドイツで開催された冬季オリンピックの切手だけ、開催地のある国の国旗ではなく五輪旗が描かれているのでしょうか。

 先ず、当時の日本の国情。1936年は昭和昭和11年です。この5年前に満州事変が起こり、1933年に日本は国際連盟を脱退しました。そして1936年には二・二六事件、翌1937年に日中戦争が勃発し、1941年の太平洋戦争へとつながって行きます。

 一方、ドイツでは1933年はヒトラーが首相に任命された年です。その3年後にドイツで開催されたのがガルミッシュパルテンキルヘン大会でした。ヒトラーとオリンピックと言えば、ベルリン大会の方が知られていますが、同じ年の1月に開かれた冬季大会の方で先にヒトラーはオリンピックの開会宣言を行いました。

 ヒトラーといえば、ナチスドイツ。ナチスドイツと言えばユダヤ人への迫害。アラビア半島にあるイエメンとしては他の切手で描いている開催地のある国の国旗同様にナチスドイツの国旗を載せるわけには行かず、かと言って実際に開催されたオリンピックを省くこともできずの中での判断だったのではないでしょうか。

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 そのガルミッシュパルテンキルヘンの次の大会の切手はスイスのサンモリッツ大会の物です。開催年は1948年、前回大会から12年後です。オリンピックが4年に一度開催されることを考えますと間に2回分、空いています。切手をなくした訳ではありません。オリンピックそのものが開催されなかったのです。

 1940年は札幌での開催が決まっていました。ところが日本は先の事情のとおり太平洋戦争前夜。とてもオリンピック開催どころではありません。国際的世論もあり中止となりました。1944年はイタリアのコルチナダンペッツォでの開催が決まっていましたが、第2次世界大戦真っ只中。2大会続けての中止になりました。ドイツの後、日本、イタリアと何故か三国同盟を結んだ国での連続開催が決定されていたのですね。

 第2次世界大戦後、初めて開催されたサンモリッツ大会には28か国が参加しましたが、日本やドイツは第2次世界大戦の戦争責任を問われ、オリンピック委員会から招待されず参加できませんでした。スポーツに限らず好きなことを存分にやることも叶わず、それどころか明日もどうなるか分からなかったこの頃を思いますと、努力は必ず報われるとか、想い続ければ夢は叶うなどと言う言葉が空虚に感じられます。

 なお、この切手の図柄に描かれているスケートは、冬の間、凍った運河の移動手段としてオランダで生まれたのだそうです。

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 1952年、ノルウェーのオスロ大会で、日本が冬のオリンピックに復帰しました。30か国が参加、日本からは男性13人が参加しました。そして次の1956年大会では日本人初の快挙が達成されることになります。(続く)

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これは1972年に札幌で開催された時に、日本で発行された記念切手です。冬季オリンピックとは縁の薄いイエメン共和国から、第1回大会からの開催地を表した切手が発行されています。昨日は五輪種目に採用される直前に活躍した女性ジャンパーのことを書きましたが、オリンピックにも歴史はあります。

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初めての冬季オリンピックは、1924年(大正13年)、フランスのシャモニーで開催されました。16か国から258人が参加しました。日本は関東大震災直後による混乱や遠征費が調達できなかったことから参加していません。実施された種目は、スキー(距離・ジャンプ・ノルディック複合)、スケート(スピード・フィギュア)、アイスホッケー、ボブスレー(4人乗り)の他、デモンストレーションとしてカーリング、バイアスロンの前身であるミリタリー・パトロールでした。女性選手はフィギュアにだけ13人が参加したそうです。
スキーの内、ノルディック種目と言われる距離やジャンプは北欧発祥で、ノルディックとはドイツ語の「北」から生まれたそうです。

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1928年はスイスのサンモリッツで開催されました。25カ国から464人、日本も男子6人が初めて参加しました。切手の図柄はスキーの滑降。ノルディック種目に対し、アルプスのある中欧諸国では斜面を滑り降りるアルペン種目が発達しました。アルペンとはフランス語の「アルプス」から生まれたそうです。

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1932年はアメリカのレークプラシッド。欧州以外で開催されたためでしょうか、参加国は17に減りました。日本は男性17人が参加しました。切手図柄のアイスホッケーは第1回から実施されていますが、それ以前の1920年のアントワープの夏季大会でも実施されています。女子のアイスホッケーは1998年の長野大会から実施されるようになりました。

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1936年はドイツのがルメッシュ・パルテンキルヘンで開催されました。28か国646人が参加。日本からは初めての女性1人を含め35人が参加しました。図柄はリュージュですが、上の3枚は左上に開催国の国旗が描かれているのに対しこの切手だけ五輪旗が描かれています。これには重大な歴史的背景があります。さて、その背景とは。(続く)

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2014.02.10 時を得る
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 「加茂川の水、双六の賽、山法師」。平安時代に第72代の天皇になった白河天皇、その後院政を敷き都合43年間、時代の中枢にいた白河法皇にしてもなお、我が意のままにならないものが三つあったとか。それが氾濫を繰り返す加茂川、双六のサイコロが出す目、そして当時、都で教祖を繰り返していたという比叡山の僧兵のことで、三不如意と言われたそうです。現代では僧兵はおりませんが、自然災害やサイコロの目(宝くじの当選番号等も)は誰の意にも沿わないとことがあります。もっとも、今は不如意と言いますと、しばしば手元不如意と言って「今お金の持ち合わせがありません。」と言う意味で使われもしています。キヨタは年柄年中、手元不如意でございます。
 
 しかし、他にも我が意のままにならないものもありそうです。それは『時を得る』こと。これだけはタイムマシンでもできない限り難しいかも知れません。

 白河法皇が亡って丁度920年後の、1998年2月17日。長野で開かれた冬季オリンピック大会のジャンプ競技ラージヒル団体戦が行われました。この試合は各国4人ずつが全員2回ずつ飛び、その合計得点で順位が決まるというもの。ただ生憎当日は吹雪に見舞われ1回目が終わった時点で競技は一時中断。2回目を行うかどうかの検討が始りました。金メダルが期待された日本はその時点で4位。このまま終われば表彰台にも上がれません。何としても2回目を行いたい開催国日本。この時、ジャンプ台やランディングゾーンの整備に懸命になっていた係員やボランティア、そしてテストジャンパー達の縁の下の力持ちとしての活躍は、今もなお繰り返し報道されていますので、改めて紹介することでもないでしょう。ただ、キヨタがどうしても気になってしまうテストジャンパーが一人、います。

 この時のテストジャンパーは25人。その方たちの役割は、中断になっている間、何度もジャンプを行い競技続行ができることを確認してもらうことです。飛べなかったり失敗してしまうと競技は1回目で終わってしまいます。どれ程の思いで飛ばれたか、想像に絶しますが、その中にお一人だけ女性ジャンパー、しかも高校生がいました。今開かれているソチ五輪から女性のジャンプも正式な競技として認められ、金メダル最右翼として日本人選手の名もあげられていますが、当時は女性選手は殆どおらず、オリンピックはおろか、女性だけの大会も開かれていませんでした。無事、長野のテストジャンパーを務められた後も競技を続けられました。
 
 その後、女性選手による大会も多く開催されるようになり、2003~2007年にかけ活躍されました。そして漸く世界選手権に女性のジャンプ競技が初めて採用されたのが2009年。残念ながらこの時は参加できませんでしたが、2011年の世界選手権に日本代表として参加、ノーマルヒルで12位の成績を収められました。ただ、もしかしたらこの辺りがこの方の競技者としてのピークだったかもしれません。この方の背中を追いかけてきた若い選手たちにも、いつしかこの方を追い越して行きました。そして、今回、初めて五輪の正式競技となったソチへの参加をかけてのシーズンも振るわず、結局、選手としてはオリンピックのジャンプ台にはたてませんでした。もしも、が許されるなら、前回のオリンピックから女性ジャンプが正式競技になっていたら、との思いです。この方は、ほんの少しだけ、時の流れの先を飛んでいたのでしょうか。時が人を招き入れるのか、人が時を呼び寄せるのか。

 時と言えば、光秀。「とき(時)は今 あめがしたしる 五月哉」。その時彼は時を得たと思ったのでしょうか。なかなか時を得ることは難しいのかも知れません。

 今日から冬季オリンピックをテーマにした切手を紹介していきます(と言っても、40年位前の物ばかりです)。
 今回はジャンプ。
一番上は1968年のグルノーブル大会(アラブ首長国連邦のアスアルクハイマで発行された物です)。

左:同じくグルノーブル大会。発行はなんとパナマです。
右:グルノーブル大会。こちらもアラブ首長国連邦の一つシャルジャー発行です。飛び方が今様ではないですね。
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左:1964年(前回の東京五輪開催の年)、オーストリアのインスブルック大会の切手。発行はブルガリアです。
右:グルノーブル大会記念切手で、アラブ首長国連邦のウンム・アル=カインが発行しています。
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冒頭から石狩鍋の写真ですが、これがメインの記事ではありません。

2月1日、トライアスロンチーム Big Lake の関東地区在住のメンバー7人で、ラン、スイムの練習会を行いました。参加者は茨城から1人、埼玉から2人、東京から2人、神奈川から2人。この内5人は、5月10日の新島トライアスロン大会、1名は東京マラソンに参加予定です。

午前11時、総武線千駄ヶ谷駅集合、ロッカーに荷物を預けた後、駅からジョグで5分ほどのラン練習場所である絵画館前周回道路に向かいました。この周回道路は陸上競技場のトラックと同じ形で1周1.375mで100m毎に距離表示があります。コース途中に信号はありません。皇居周辺とまではいきませんが、都内でも人気の高いランニングコースの一つです。数多くのランナー、ジョガーが集っていました。私たちは11時半過ぎから2時間を目標にそれぞれのペースでスタート。一番早い人は28㎞を走りました。

その後は、東京体育館内にあるプールでスイム練習。土曜日の午後と言うこともあってでしょうか、かなり混み合っていて、なかなか長い距離をマイペースで泳ぐことはできませんでしたが、久しぶりの長水路(50mプール)を楽しみました。後半は何故か、トライアスロンチームにも拘らず、ドーバー海峡単独横断経験者よるクイックターンの練習会。水中でのバランス感覚はレースでバトルに巻き込まれた時に役立つかな。

締めは宴会、ではなく新島トライアスロン対策会議。ネット上の地図で、一応コースの説明(をしたような記憶もあります)。それ以上に、メンバーがトライアスロンを始めたきっかけ、Big Lake のメンバーになった経緯、そしてどーば海峡挑戦物語等、石狩鍋付き飲み放題3時間もあっという間に過ぎてしまいました。目標だった「終電までには帰ろう。」も達成できました。新島ではどんな騒ぎ、ではなくレースになるのか楽しみです。

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