4月20日 今治城その1

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4月19日と20日、今治に帰省しました。

さて、今治城は何度か紹介させていただいるので、これまでとは少し別の角度から。
今治城の最大の特徴は内堀が海とつながていることろです。
その海とつながっている水路が↓ 右奥に天守閣が見えます。
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この位置から振り返ると今治港の内港越しに瀬戸内海に浮かぶ大島が望めます。海に近いことがお分かり頂けるかと。
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北側から橋を渡って本丸へ入って行きます。子供の頃はこの坂を自転車で登るのが一苦労だった記憶があるのですが、今見ると大したことはないなぁ、と思ってしまいます。ただ、今は坂の突き当りを右に曲がると門があるのですが、子供の頃は、そのまま真っ直ぐもう少し坂が続いていたのではないか、と思います。
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天守閣や櫓が再建されるまでは石垣しか残っていませんでした。
本丸には吹揚(フキアゲ)神社があり、子供の頃は、今治城というより「吹揚さん」と呼び馴染んでいました。
吹揚神社は近隣では初詣客の最も多い神社だったと思います。
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塀も再建され、狭間(サマ)と呼ばれる穴も再現されています。狭間は敵から姿を隠してこの窓から矢を放ったり鉄砲を撃ったりしていたのですね。
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左の正方形が鉄砲用、右の縦長が弓用でしょうね。
狭間からはこんな風に見えるのですね。これで相手に命中させられたのでしょうか。
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なお、一番上の写真は南東の方向から見た城跡です。かっては手前の堀端に手漕ぎボート乗り場がありました。

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4月17日

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 今時こんなことを言っていると、時代錯誤も甚だしいとか、ブラック企業の考え方だと言われるのでしょうけれど、私が社会人になった当時は「親の死に目にも会えない覚悟で仕事をしている」人も少なからずいたように思います。

 先日の新聞記事。教師が自分の子どもの高校の入学式に出席するため、自身が勤める高校の入学式を新入生の担任だったにも拘らず欠席したとか。それに対して教育長だか誰だかが批判したことに対し、高校教師を擁護する声も多いようです。まぁ、人それぞれの考え方があっていいのでしょうけれど、ふと自分の父親を思い出しました。

 私の父は、私が小学2年の途中まで外国航路の船乗りで一年の大半、家を空けておりました。ですから子どもの学校行事に参加することはできません。そんな父は時折仕事先から子供あてに何通もの手紙を送っていました。中には運動会を見に行けず寂しいという手紙も残っています。わが子に対する愛情の表し方はいろいろあるのでしょうけれど、親から子への手書きの手紙というのはとても深いものがあるように思います。その場に立ち会うことができなくても、むしろ立ち会えないからこその強い思いが伝わってきます。
それらの手紙を読んでいると、その頃、私が父にねだっていたのでしょう。外国のバッチを幾つも送ってきたようですが、今手元に残っている遺品は冒頭の写真にある一つだけです。デザインと右下にロシア語の表示があるので樺太南部のスキーリゾート地のようです。それが縁かどうかは分かりませんが高校卒業前に、一時は某大学のロシア語学科への道が決まっていました。結局は進学直前に別の大学学部を選び直したためロシア語とは縁のない生活になってしまいました。

ただ20歳の時、横浜からナホトカ行きの船に乗りシベリア鉄道でモスクワへ、そこからさらに国際列車を乗り継いだ旅の中で、ロシア語の「スパシーボ」という言葉だけは耳に残っています。専門にされた方からすれば妙なカタカナ表示かも知れませんが、「ありがとう」という意味の言葉です。どこの国に行っても「ありがとう」と現地の言葉で言えたら諍いも少しはなくなるのでしょうか。

今週末はその父の一周忌。土日だけの帰省です。


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4月12日

 コンビニの駐車場で屯し近隣や来店者に迷惑をかけている若者を立ち退かせるために店が採った方策。それは、若者にしか聞こえない周波数で不快な音を流し長時間いられないようにしたこと、と新聞記事で読んだことがあります。人に聞こえる音の範囲も年齢によって異なることが面白く思えました。人は歳を取るにつれ、高周波(高い音)が聴き取りにくくなっていくことを応用し、駐車場に若年層にしか聞こえないような高周波の不快音を流し若者の長居を防ごうとしたようです。
 一般的に、人間が聞こえる音の周波数は20ヘルツから2万ヘルツくらいだそうです(因みに2万ヘルツを超える周波を超音波と呼ぶのだそうです)。それが高齢になると1万ヘルツを超える音は聴こえにくくなるとか。数字で表してもピンとこないのですが、グランドピアノに例えると一番低い音は27.5ヘルツで、一番高いのは4,186ヘルツだそうです。でも何故、高齢化とともに高い方の音だけが聴き取り辛くなるのでしょうか。
また、人間に見える光の周波数にも範囲があるそうで、これは音より複雑で色によって少しずつ異なるようです。

 そうなると、この世の中(自然界)には、人間には聴こえない周波数の音や、目には見えない光(物体)も必ずあるはず。例えばこれからの季節、気になる紫外線。これは目には見えませんがお肌の大敵です。また、有名人や大人物に対し「あの人にはオーラがある」ということがありますが、オーラって何だろう、と思います。音では聴こえないし目にも見えないですし、その人の周りにいる人全てが同じレベルでオーラを感じているとも思いません。

そうすると心霊現象と言われるような音や物も、実際に存在していても不思議ではありません(と思います。飛躍し過ぎ?)。人間には一人ひとり個人差があるので、可聴領域も、可視領域も人によって差はあるでしょうから、人より優れた能力を持って、一般的に人の聞こえない音が聴こえ、見えない物が見える人もいるとは思いますよ(それを、超能力者というかどうかは別として)。ただ、UFOを見た、心霊現象をとらえたことを科学的に証明しろ、と言われても、超能力者にしか実体験できないこのですから「見えるものは見える」、「自分には聴こえる」としか言いようがないこともあるかも知れません。

 因みにキヨタは軽度の色覚異常です。ある年齢以上の方ならご経験があると思いますが、かつて色覚検査というのがありました。本の各ページに、様々な色の小さな丸が集まって大きな丸が表示されており、その大きな丸の中に小さな丸が描く数字を答えるという検査がありました。小さな丸の色の組み合わせによって数字が浮かびあがるのですが、正常な人には読めて異常があると数字が見えない、逆に正常な人には見えなくて異常があると見える、という結果が出ます。正常な人から見れば、「なんで読めるの?」ということになりますが、キヨタからすれば「読めるものは、読めるんだもん!」としか答えようがありません。良くとれば普通の人には見えない物も見えるんだよ、ということです。但し、世間からは「色覚異常」というレッテルは張られます。

 世の中には、いろいろな能力、もしかしたら科学とか生物学、医学などでは測れない力を持った人がいてもおかしくはないと思います。普通では考えられないこともできてしまう人もいるはずです。一方で、どうしても苦手な分野を克服できない人もいると思います。研究ノートを書くのは苦手でも、頭の中にレシピがあり、体でコツを掴むのは得意、という人もいるかもしれません。他の人に見えない細胞が見える人もいるのかも知れません。勿論、特定の人が結論を出すにいたった経緯や結果を、社会全般で受け入れられるかどうかを検討することは必要でしょう。しかし、その人個人の能力までは他者からは計れないかもしれません。

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4月5日

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4月5日。30年来のお付き合いのあるランニング仲間が、神奈川県内で立ち上げたこどもランニングクラブの開校式と第1回目の練習会があり、お手伝いに行ってきました。小学生14人が参加し、基礎練習と50m走を行いました。当面は奇数週の土曜日午前中に2時間の練習会を開催していく予定で、主宰の方は、行く行くは、地域総合型スポーツクラブに発展させたいとの構想を持っておられます。私達も何かしらのお役に立てれば、と思っています。

 終了後、都内へ移動。
 ↓東海道線大船駅近くにある観音像。
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午後からは、今年初めてのプロ野球観戦。神宮球場の阪神対ヤクルト戦。
野球の試合は8対7が一番面白い、と言われていますが、この試合は「喜怒哀楽」を2往復できるような試合内容でした。
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そのランニングスコアは
阪  神 303 040 001| 11
ヤクルト 420 121 02×| 12
 
1回表に阪神が3点を先取。阪神の先発は愛媛西条高校出身の秋山。そのピッチングを応援しつつ、ビールを飲みながら観戦できそうだ、と「」びまさいた。
ところが、その秋山がいきなり逆転され、「」。
3回一度は追いついたところが、4回裏に追加点を奪われ、「」。
ところが、5回に再逆転し「」。
ところが、その後、追いすがられ追い越され、再び「」。9回に1点差に追いつき更にツーアウトながら1,3塁のチャンスに「喜」んだのも束の間、そのまま逃げ切られ「」。
それでも、今まで目の前で見た試合の中では、『ところが』という接続詞を4回も使えるほど(?)阪神ファンの私達でも一番「」しい試合展開でした(草野球並みのプレーもない訳ではありませんでしたが、)。


試合後は、30年来のお付き合いのあるランニング仲間(先ほどの方とは別の方でスポーツビジネスで活躍されています)と、赤坂という普段立ち入ることのない街で、スポーツ選手のセカンドキャリア他をテーマに真面目な酒場談義。夜は更けていきました。

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4月4日

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今日の話題は「悪意はありませんでした」。

その前に、これは4月1日の写真です。横浜市の鶴見川沿いのラン練習コースにある桜。この時はまだ8~9分咲きで週末が見ごろかなと思っていましたが、その後の雨で満開になる前に既に散り始めています。雨に悪意はありません。
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練習コースのスタート地点近くにある『一本桜』(勝手に名付けました)。
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隣接する団地の灯りに映えるので夜桜見物には最適です。
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水温む鶴見川の照り返しも、春の陽光。
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 さて、本題。例えば…。
ある人から品物を買いました。ところが後になって、その品物はその人が盗んだ物だったと分かりました。盗まれた元の持ち主が、「それは盗まれた物だから、本当の持ち主の私に帰して下さい。」と言ってきました。さて、あなたはその品物を返さなければならないのでしょうか。

 近頃の話題に絡んで「悪意はなかった。」という言葉を聞きましたので少し気になりました。日常、悪意と言うのは、周囲に害を与えようとする気持ちに対して使われます。それで言えば「悪意がなかった」というのは、わざと人をだまそうとしたのではない、ということになります。多少の情状酌量の余地があるかも知れません。ただ、法律上での『悪意』は日常の悪意とはやや異なります。これは悪意に対する善意と言う言葉も同じです。日常使われる善意は、周囲のことを思い善い行いをしようとする気持ちや、周囲の言動を善いようにとらえようとする時に使われると思います。

 ところが法律上では、悪意と善意は、「知っていたか」、「知らなかったか」で分けられます。知っていたなら「悪意の第三者」、知らなかったなら「善意の第三者」として使われます。先の例で言えば、あなたが、その品物が盗品と知っていながら買ったとしたら、あなたは「悪意の第三者」となり品物を返さなけえればなりません。一方、盗品とは知らなかった(普通に注意していても気づかなかった)場合は「善意の第三者」となり返す義務はありません(勿論、日常使われる善意と言う意味で返すのは別です)。(※ご参照)

 今回の騒動。弁護士が「悪意はなかった」と言っているので、法律上の悪意として使っている言葉だと思います。日常の悪意とは区別して受け止めた方がいいのかもしれません。ただ、知っていながら過ちを犯したのか、本当に気づかなかったのか(普通の注意を払っていても間違えたのか)、またどの時点で誤りに気付いたのか。ご本人にしか分からないことでしょう(若しかしたら、ご本人にも分からなくなっているのかも知れません)。冷静に客観的な判断を待ちたいものです。

 (※)これはあくまでも、大まかな解釈としてご理解ください。裁判に限らず、テレビなどの法律相談でもありますように、同じ行為でも法律家一人ひとりによって、法律の解釈や考え方、またその時々の状況で結果は異なりますので、全ての場合に当てはまるものではありません。

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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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