岡村島の南東端にある小さな突端。ゆっくり歩いても15分ほどで1周できます。名前は観音崎。言い伝えでは、この突端は牛ヶ崎と呼ばれていましたが、激しい風雨により船の往き来が困難だったため、弘法大師が観音像を安置されたことから、この名が付いたそうです。

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案内板の島の地図では真ん中下の突端が観音崎です。

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 その観音崎、夏休み最終日の朝、散歩しました。突端に至るまでは細い急坂や石段が続き、周囲は木立に覆われています。落ち葉などもあるため、注意して登って行かなければなりません。昨年は雨のため断念した散歩、今年の朝は快晴。先端から眺める瀬戸内は穏やかでした。

岡村港から1㎞余りに、観音崎への登り口があります。
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遊歩道の木立の合間からは瀬戸内海が望めます。
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桜並木に挟まれた歩道には、至る所に小さな祠やお地蔵さんが並んでいました。
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岬の突端には、岡村島を始め、とびしま海道の島々の風情や人情を唄った「安芸灘の風」の歌碑があります。
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2泊3日の8回目の瀬戸内夏休み。翌日からは都会の生活に戻らなければなりません。外周道路10㎞弱の岡村島。まだまだご紹介できなかった所もたくさんあります。また来年、戻って来られるかな。

今年も大変お世話になった宿です。
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 大崎下島から戻り、宿から徒歩1分の海水浴場で体を冷やしました。私達以外には誰もおらず、プライベートビーチ状態です。シーズン前には島の方々が清掃をされているそうです。白砂と透明度の高い水質は海水浴にとどまらず、遠泳のトレーニングも気持ちよくできます。

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 午後遅くからは、お楽しみの釣り。昨年は雨に祟られたこともあり、瀬戸内で釣りをするのも5年ぶりでしょうか。大きさは手のひらサイズくらいでしたが、バケツ一杯になるくらい釣れました。長い時間をかけて大物を一匹釣り上げるより、小さくても何度も釣り上げられる方が、私たちのレベルでは楽しめます。釣りの合間には、島影を見え隠れしながら行き交う船を眺めながら、のんびり時間を過ごしました。

釣れたよ
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三匹、一気に釣れました。
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右の人、餌を探しています?
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釣り糸が絡まっちゃいましたか?
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夜は、宿のご主人が手を奮って下さる魚料理に舌鼓を打ち、二日目の夜は更けて行きました。

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 大崎下島(オオサキシモジマ)は瀬戸内海の中央やや西寄りにある芸予(ゲイヨ)諸島の中にあります。行政区では広島県になります。なお、諸島名の芸予は、広島県の旧国名である安芸と、同じく愛媛県の伊予の間にあることから、その国名から一字ずつ取られたようです。周囲凡そ26㎞。ミカンやレモンなどの果樹栽培と漁業の盛んな島です。
瀬戸内海の交通の要所にあり、この島の御手洗(ミタライ)地区は、江戸時代から汐待ち、風待ちの港町として栄えていました。今でも御手洗地区には当時からの建物が残されていて伝統的建物群保存地区になっています。
今は、本州の呉からこの島を通って岡村島までの大小7つの島と橋で結ばれ、「とびしま海道」と呼ばれています。このとびしま海道を走るサイクリング大会やマラソン大会も開催され、観光客のみならずスポーツ愛好者も多く訪れています。本州から大崎下島までは、とびしま海道を路線バスが走っていますが、今治からは訪ねるには岡村島まで車か自転車でフェリーを使う、または自力で歩く(走る)しかありません。岡村港から御手洗地区までは
凡そ8㎞です。短い橋を3つ渡り小さな島を二つ越えて行きます。

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地区の中心地にある観光案内所です。
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昭和初期の劇場「乙女座」。
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お茶屋跡が宿泊所等に活用されています。
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昭和初期の劇場「乙女座」
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海辺沿いには灯篭や神社が残されています。
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島特産のレモン、300円詰め放題
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 「とびしま海道」は、本州側は広島県呉市を起点に、南東方向へ大小七つの島を橋で結ぶルートです。終点は愛媛県今治市の岡村島。広島県と愛媛県を結ぶ海道としては「しまなみ海道」が知られていますが、「とびしま海道」はその西側にあります。ただ、終点の岡村島は瀬戸内海に浮かぶ島で、「しまなみ海道」と異なり四国本土とは橋で結ばれていません。ですから本州から四国へ渡るには岡村島から船で今治へ向かうことになります。キヨタは「とびしま海道」の方が海を身近に感じることができ、瀬戸内のゆったりした時間の流れの中に身を置くことができる、と思っています。
「とびしま海道」もサイクリングロードとしても整備されつつあり、私たちが滞在している間も多くのサイクリストが駆け抜けて行きました。七つの島の外周をぐるっと回ると凡そ96㎞。一日かけてのんびりサイクリングするのには適した距離でしょう。
 
 私たちは、ランニングを共通の趣味としていますので、「とびしま海道」を走ることも夏休みの予定の中には入れています。昨年は雨に祟られ、岡村島を1周走ることしかできませんでした。今年は一転猛暑日。先発隊は7日に既に岡村島1周を終えていました。8日は岡村島から大小5つの橋を越え片道20㎞のコースを予定していましたが、あまりの暑さと高齢化している仲間の状況から、それは無理と判断。小さな橋を3つ渡るだけの片道8㎞で、広島県の大崎下島(オオサキシモジマ)の御手洗(ミタライ)地区を目指すことにしました。
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岡村島から「とびしま海道」の最初の橋には、愛媛県と広島県の県境があります。道路上に線が引かれています。ここで綱引きをして、広島が勝つと牡蠣の豊漁、愛媛が勝つと蜜柑が豊作?
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大崎下島のご紹介は次回。

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今年も来ました、岡村島。東京都内のスポーツクラブで知り合った、年齢も職業も異なる関東在住のランニング仲間7人の夏休みの舞台です。
仲間の酔い話から出た「瀬戸内海の島で、終の棲家を見つけよう。」と始めた島巡り。第1回は2000年、香川県塩飽諸島にある広島へ行きました。広島へは第2回目の2002年にも行きました。第3回目の2006年からは愛媛県内に場所を移し2年ごとに瀬戸内を訪れています。2006年は大三島、2008年は大島と馬島、2010年は松山の中島、2012年は弓削島と豊島。そして昨年2014年に岡村島を訪ねました。参加メンバーは年によって異なりますが、毎回5~10人程が参加しています。その瀬戸内紀行も本来ですと次は2016年になる予定でした。しかし昨年、岡村島に行ったメンバーの中の最高齢者が岡村島をとても気に入ってくれ、また年齢的に来年まで待てない(?)こともあり、2年連続で岡村島を目指すこととなりました。
 その最高齢者を含む先発隊5人が夜行バスで新宿を出発したのは、6日夜。翌早朝に広島県福山市で、しまなみ海道のバスに乗り換え、今治に着いたのは8時半。午前中に今治城を見学した後、今治港からフェリーで岡村島へ向かいました。昨年もお世話になった宿で、夜は星空の下、バーベキューを楽しみました。
 一方、後発隊2人は7日に仕事を終えてから都内を出発、夜10時半頃に今治に到着。市内で魚料理を堪能した後、今治で一番美人のいる店(あくまでもキヨタの個人的感想です)でカラオケに興じました。そして8日朝、客船で岡村島へ。ここで今回のメンバー7人全員が揃いました。一泊二日の短いながらも、男女7人物語の始まりです。平均年齢は50歳代半ばです。
 
 先発隊が訪ねた今治城。
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 キヨタが子供の頃から見慣れた、今治港の港湾事務所の建物。老朽化に伴い廃改築が進められているようです。しまなみ海道が出来ていなかった頃、尾道や三原から船で帰省する度に、この建物が見えると「今治に帰って来た。」と実感できたものです。

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 今治からフェリーで凡そ1時間、岡村島が見えてきました。
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『日本国民は(中略)政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し(後略)。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。(中略) 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』

これは、日本国憲法前文の一部です。キヨタには、哀し過ぎるほどの性善説によって成り立っているとしか思えません。日本を含む世界中の人々が平和を愛し、他国を攻撃することがない、と信じています。その中で、日本国民が占めたいと思う名誉ある地位とはなんでしょうか。

 これを表したのが第9条でしょう。
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
単に、武力を行使しない、国際紛争の解決に寄与しないという消極的な態度ではありません。国際紛争を解決するためには、武力以外のあらゆる方策と叡智を駆使しなければならない。これこそが本当の積極的平和維持活動ではないでしょうか。

なお、この憲法前文を改正するとすれば、憲法改正手続きによらなければ改正できない、とするのが通説・判例です。

平和を願う気持ちは誰にでもあるのでしょう。

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若き日のガンジーの肖像画です。

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 「もはや戦後ではない」。これは1956年の経済白書に記述された文言。1人当たり実質国民総生産が1955年に戦前の水準を超えたことから、この表現が用いられたそうです。この頃から高度経済成長が始まり、家庭の三種の神器として「冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ」が取り上げられるようになったそうです。
 キヨタはその翌年に生まれました。更にそれから15年後、フォークソング『戦争を知らない子供たち』が大ヒット。世代を表す言葉として「戦前派」「戦中派」「戦後派」に区分され「あの時、何故戦争への道を進んでしまったのか。」、「どうして誰も止めることができなかったのか。」と戦前派への疑問は付きまといます。そんな「もはや戦後ではない派」は、決して「新たなる戦前派」になってはならない、と思うのです。
 
 文化やスポーツを通じての国際交流に異を唱える人は少ないでしょう。観光地では外国人の誘致も積極的に進めています。日本にとっての友好国は地球上の全ての国と地域。特定の国を友好国・敵対国と決めつけるわけにはいきません。紛争の解決手段として武力だけでもないはずです。

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