波止浜公園から北へ来島海峡を望みます。写真右下ある波止浜港を出航した渡船は造船所脇から写真左手前の来島を経て、写真中央の小島、更に写真には写っていませんが右奥にある馬島を往復しています。海峡の潮流を楽しむには一度馬島まで行くと面白いです。

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しまなみ海道上にある大島からは一日に何度か、潮流体験の船が運航されています。観潮船の向こうに見えるのが小島の船着き場です。

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 小島の船着き場は島の南東にあります。島内の要塞跡は北部、中部、南部の三か所に分かれて残されています。小さな島全体が要塞になっており、一番重要な司令塔は島の北部(小島の写真の右側の一番高い所)にありました。

 要塞見学の前に海岸沿いを回ってみようと思い、船着き場から島の南端の岬から西側へ時計回りに堤防沿いに走ってみました。↓渡船から見た小島の南端。

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 南端の岬の直ぐ目の前を川のように潮が流れています。

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 島の西側には砂浜が広がっています。夏は「風の顔らんど小島」としてキャンプ場も開設され、多くの人が家族連れで訪れているようです。

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 浜の北側にある岩場。突端へは潮が満ちていると歩いて渡れないようです。今は丁度、干潮時。周囲には誰もいないので、童心に返り突端まで行ってみることにしました。

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岩場の突端からは、とびしま海道の島々が望めます。
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私以外にも先に浜へ降りた人がいるようです。左が私のゲソ痕。

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潮流や岩場を楽しむには引き潮の時の方が良いかもしれません。

岩場近くで見つけました。下顎が突き出た魚。釣り上げられて情けなさそうな顔に見えるのは私だけ?

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他にもこんな魚を見つけました。

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 この後、島を横切って先ず、南部砲台跡へ向かいます(続く)。

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 愛媛県今治市の来島海峡に浮かぶ小島(オシマ)。その名の通り周囲3㎞程の小さな島ですが、古より海上交通の要所にある島には、穏やかな見た目からは及びもつかない軍事施設の跡が残されています。1900年(明治33年)に完成した芸予要塞です。日清戦争中、次の日露戦争を予感した明治政府は、ロシア海軍 (バルチック艦隊)の侵攻を防ぐために築きました。結局、愛媛県松山市出身の秋山真之(「天気晴朗なれど波高し」の台詞でも知られています)の活躍などにより、ロシア海軍は日本海で殲滅され、瀬戸内海までは入って来ることはなく、この要塞は大正15年に廃止されました。その小島に今でも、複数の砲台跡や発電所、また司令塔、兵舎・地下倉庫の跡が残されています。そのような歴史とは対象に、島には豊かな自然も残されており、歴史の勉強も兼ねて、一日を過ごすには適した島です。

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 小島へ渡るには、今治市の波止浜(ハシハマ)~来島(クルシマ)~小島~馬島(ウマシマ)を結ぶ定員20人程の渡船を利用します。波止浜と馬島の間は20分ほどの短い航路ですが、とても変化に富み、瀬戸内海の迫力のある潮流と穏やかな潮風を感じることができます。波止浜港は今治の中心地から車で15分位、バス便もあります。一方の馬島はしまなみ海道から直接降りることができます。市街地~波止浜~来島~小島~馬島~来島海峡大橋~糸山のウォーキングも楽しめます。この船は自転車も乗せられます(台数に限りはあります)。

 今回は波止浜から乗船、一度馬島まで行った後、小島に引き返しました。乗船地の波止浜湾には今治の基幹産業の一つ、造船所が立ち並んでいます。船上からは建造中の大きな船を目の前にすることができます。

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 巨大クレーンが林立する湾を出て瀬戸内海へ。自然豊かな海の風景に一変します。その瀬戸内海も来島海峡では違った顔を見せます。時間帯によっては川の急流を思わせるような潮が流れ、時折小さな渦も巻きます。

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渡船は小さな小さな船ですから、外のデッキに座ると、迫力ある水面は手を伸ばせば届くくらいです(危険ですから、実際には手を出さないでくださいね)。
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 狭い海峡を多くの船が行き来しますから、時には目の前を大きな船が横切るスリルも味わえます。

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 馬島まで行くと、来島海峡大橋の下を潜ります。これもまた違った迫力のある光景です。

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 (小島上陸編へ続く)


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 スタートから2時間15分、23㎞地点の玉川湖畔の里を出て玉川湖沿いの道を走ります。玉川湖はダムによって作られた人造湖で、湖畔にはキャンプ場や市内の高校や実業団のボート部の艇庫もあります。湖沿いのコースは平坦ですが道幅が狭いうえに曲がりくねっているため注意が必要です。今回の試走時は雨上がりだったこともあり、路面は濡れた落ち葉で埋まっている所も多々あり、タイヤの太いママチャリで良かったようです。大会当日は、ボランティアの皆様によって道路が掃き清められ、ロードレーサーでも安全に走行できたようです。

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 3㎞程で、鈍川温泉を通過。この温泉には子供の頃に何度か家族で行った記憶はあります。温泉旅館が立ち並び、旅一座の興業などもあって今治の奥座敷とでも呼べる所だったのですが、当時と比べるとかなり寂しくなったような気がします。今治市内に日帰り温泉が幾つかできたことも響いているのでしょうか。

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 温泉街を通り抜け、鈍川渓谷沿いを進みます。28㎞付近から8㎞の間に200m上ります。渓流のせせらぎの音が心を動かしてくれます。

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そして36㎞付近からこのコース最大の難所『千疋の峠』への上りが始まります。向かいます。この先2kmの間に標高373mからコース中の最高地点561mへ190mほど登らなければなりません。平均斜度凡そ10%。さすがに峠500m手前からはママチャリでは上りきれず押して登りました。千疋の峠を越えると4㎞で250m下り、されに292mと307mの峠を二つ越えます。この間は、写真を撮る余裕もありませんでした。下の写真はその二つ目の峠『窓の峠』から上ってきた道を振り返ったものです。ここまで来るとコースの約3分の2。大きな峠は後一つ残すだけ。少し余裕ができてきました。スタートから既に3時間50分。この辺りは、写真を撮る余裕などありません。

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44㎞地点の窓の峠から8㎞程は下り、目の前に笠松山が見えてくると後15㎞程になります。

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56㎞地点で二度目の小休止をし、最後の峠、標高271mの『さやの峠』を目指します。5㎞で180m程、普通なら何のことはない上りですが、やっとのことで上りきりました。スタートから5時間48分経過。因みに、ママチャリなら買い物籠の中に着替えや防寒着、補給飲食を沢山入れられるので便利です。

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この峠を越えると後7㎞。概ね下り基調の快適な道を一気に下ります。歌仙の滝の見学時間なども含め6時間15分のサイクリング苦行が終わりました。今回は、走るだけで精いっぱいでしたので、次回はもう少し人との触れ合いを楽しみたいと思います。もちろんママチャリで。

なお、私がママチャリ試走をしたのは11月11日。このブログを書いている前日、11月22日に第2回ツール・ド・玉川が開催されました。500人余りの参加者の方々が無事完走されたようです。

現在、今治市及び近隣では、しまなみ海道を中心に、とびしま海道、ゆめしま海道、さざなみ海道など何ルートかのサイクリングロードが整備され、また自転車のイベントも多く開催されています。イベントに絡めたり複数の海道を組み合わせますと、海、山、人と触れ合うコースを存分に走ることができます。地元の方との語らいや、地元の魚や焼き鳥も楽しみの一つです。
全国の、サイクリスト、チャリダー、そしてトライアスリートの皆様、是非一度、今治へお越しください。



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ツールド多摩川

ツールド玉川

 「ツール・ド・○○」と言えば、自転車の長距離レース。一番有名なのは「ツール・ド・フランス」でしょう。日本国内でも、最近の自転車ブームもあり全国で数多くの「ツールド・○○」が開催されるようになりました。今治でも昨年、第1回玉川が開催されました。ただ第1回大会の距離46㎞しかなく、今年は距離が68.6㎞、最大標高差537m、獲得標高(登った高さの合計)1,604mになったとは言え、いささか「ツール・ド」と冠を付けるのは大げさではないの、と言う感じでした。ただ感想は「一度は自分で走ってみてから。」と思いママチャリで試走チャレンジしてみました。走り終わっての感想は、「距離は短いということだけで舐めてかかってはいけなかった。」でした。途中の6か所の峠越えの他、途中の細かいアップダウンもあり、ママチャリにはかなり厳しいコースでした。それでも、長閑な里山や渓流沿いで、所々から望める瀬戸内の風景を望めるコースを楽しめました。

 先ず、実家からスタート地点まで7.5㎞はウォーミングアップ。スタート地点から田園地帯を抜け最初の峠「重茂山峠」を目指します。なお、「ツール・ド・玉川」は、順位やタイムを競う競技ではなく、参加者全員が楽しく、無事完走することが目的です。また所どことに設けられたエイドステーションでは地元の方々との交流も楽しみの一つです。ロードレーサーでしか参加できませんが、下りでも最高速度は30㎞/H以内と定められています。

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 峠を越えると、瀬戸内の海が目の前に開けます。急カーブの続く下りでは、景色に捉われずスピードの出し過ぎにも注意が必要です。

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 5㎞過ぎから13㎞付近までは広域農道の細かいアップダウンが続き、インターバルトレーニングをしている気分です。所々で木々の間から瀬戸内が望めます。

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 鉄道ではたまにあるループ状の登り。自転車で走るのも楽しいものです。短いトンネルを潜り、反時計回りにぐるっと回り、トンネルの上を写真上では左から右へ走ります。

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 コース脇では、農家の方々が蜜柑の採り入れに追われていました。

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 13㎞地点に「歌仙の滝」の入口があり、駐車場には大会当日には最初のエイドステーションが設けられます。歌仙の滝は駐車場から坂道を上って5分弱。何段にも屈曲しながら流れ落ちてきます。その屈曲の数が大小合わせ36か所あるため、三十六歌仙になじんで「歌仙の滝」と名付けられたそうです。

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 歌仙の滝を過ぎて直ぐ、コース脇に霧合(ムゴウ)の滝があります。古滝とも呼ばれ、水行の滝でもあったそうです。確かに霧合の滝の方が幅は広く、歌仙の滝の繊細さに比べ、勇ましさを感じます。

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 この後は19㎞付近まで、6㎞の間に標高差244mを登ります。峠越えは、特に初めての道で先の見えないカーブが続くと、どこに峠の頂上があるのか分からない苦しさがあります。ここを回ると終わりかな、と何度も思ってしまいます。唯一、峠の頂上を示してくれそうなのは、町境の看板です。普通、町境は川や峠の頂上など、分かりやすい所にあります。この看板が標高328mの「石坂養鶏峠」の頂です。

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石坂養鶏峠を越えると、4㎞程は快適な片側1車線の下り坂です。高速で下るのがもったいないような農村地帯を走ります。

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23㎞地点に「玉川湖畔の里」があります。地元で採れた農産物や食料品を販売しています。ここで小休止。塩と砂糖と小豆入りの餅、伯方の塩と夏みかん使用の飲料は、長時間の運動中の補給には最適です。漸く3分の1。これからが本当の苦しみが始まりました。

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 (続く)

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今治市の南東部から、北西部へ引き返します。次の目的地は市街地から凡そ6㎞、標高244mの近見(チカミ)山。市内の学校の遠足の定番地。キヨタの高校三年の遠足もここでした。今ではどうなのでしょうかね。山頂からは瀬戸内から四国の山並みまでぐるっと360度見渡せます。写真の地は標高200m弱の展望台。来島海峡大橋が開通している以外、海も島も変わりません。展望台からは瀬戸内海側しか望めませんが、朝、昼、夕そして夜景。それぞれの時間帯の今治、瀬戸内の顔を見させてくれます。ママチャリで登って来た甲斐がありました。山頂まで道幅は広くはありませが、舗装道路が続きヒルクライムのトレーニングには適しています。
 四国八十八か所の54番札所の延命寺の山号である「近見山」はここから来ているそうです。聖武天皇の勅願により近見山に伽藍を建立したのが始まりで、弘法大師によって再興されたそうです。盛隆時に山頂付近の七堂伽藍の他、100程の坊があったそうです。その後、何度か火災に遭い、焼け残った本尊と共に、江戸時代中期に近見山からほぼ南へ10㎞弱の今の地に移されたそうです。
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近見山を下り、更に北へ進みます。今治市が越智郡波方(ナミカタ)町と合併するまでは、市の最北端だった波止浜(ハシハマ)。瀬戸内の街だけあって『シ(さんずい)』の付く地名が多いです。彼方からくる波を止める浜ですね。かっては塩田で栄え、今は今治の基幹産業の一つである造船の町です。写真の地は、その町と海と島を見下ろす波止浜公園。高さは70m弱しかありませんが、高浜虚子他の句碑もあり、桜の名所でもあります。

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これで今治今昔写真撮影のサイクリングは終了、一日かけて約50kmの楽しいママチャリサイクリングでした。夜は旧友(級友)と2年ぶりの再会。地元で活躍している友には、地元を離れ生活しているこちらも元気を貰えます。その後は、一人でこの写真近くにある今治で一番美人(あくまでも、個人的感想です)のいるお店でカラオケに興じました。

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下の写真はキヨタが3歳くらいの時です。自身の記憶にはありませんが、石井に住んでいたそうです。前列真ん中が私ですが、近所のお兄ちゃんに囲まれ、楽しそうに笑っています。周りのお兄ちゃんたちの笑顔をもはじけています。私の一番好きな写真です。今回、その場所を探してみましたが、痕跡すら見つけられませんでした。
今治に生まれたのが58年前。18歳で郷関を出て、何年も帰ってこなかった時期もありました。父が亡くなり、母が一人暮らしをしている今は年に3~4回、帰っています。変わった所、変わらない所、それぞれあります。今治の町が、いつまでもこんなお兄ちゃんたちのような笑顔の絶えない子供たちに溢れていますように。そして、そんな子供たちの笑顔が世界に繋がりますように。
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市役所前からメイン通り(広小路)を通って今治港へ向かいます。
今治センターのあった所です。昔の写真は45年くらい前だと思います。海洋少年団に所属していましたが、港祭りか何かのパレードの時だと思います。
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これも昔の写真は同じく45年ほど前。上の場所から50m程、港よりの場所。相互銀行がなくなっていますが、当時の人々の熱気は感じられます。
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今治港。4,50年前から真ん中に見える港湾ビルは変わりません。ただ、本州と四国を結ぶ橋が3ルートできて以来、阪神-今治-別府を結ぶフェリー航路や、今治-尾道便などがなくなり出船入船の賑わいはかなりなくなってしまいました。船便で帰省していた頃は、港湾ビルが見えると今治に帰って来たな、という感慨が湧いたものです。
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かって尾道と今治を結んでいた水中翼船の乗船券。関東の人に水中翼船と言っても、どの様な形状の船なのかなかなか理解してもらえませんでした。
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港湾ビルの裏側に新しく交流センターが建設されています。完成し、老朽化した港湾ビルが取り壊されると港の様子も一変してしまうでしょう。
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ここから海岸線沿いに市内を南東へ進みます。今回の今昔写真撮影に当たり、一番変わった場所です。50年余り前に住んでいた家の直ぐ近くです。当時の面影は全くありません。同じ場所と言っても信じてもらえないでしょう。蒼社川河口の東側です。当時の川原も掘削され、工場地帯になっていました。
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更に南東へ進みます。唐子浜です。遊園地がありました。こんなに多くの人々で賑わっていたのですね。今は松林の続く静かな浜辺になっています。
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当時の300円、今なら幾らくらいなのでしょう。
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ミニ蒸気機関車も走っていたのですね。
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唐子浜から更に東へ進みます。志々満原の海水浴場。唐子浜よりは落ち着いた雰囲気のようです。こちらは今も飲食店等が残っており、休日や夏季には訪れる人もいると思われました。
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 (続く)

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 キヨタの故郷は、愛媛県今治市。四国の北東部にあり広島県に向け三角形に突き出た高縄(タカナワ)半島の北端にあります。平成の市町村合併により、以前の行政区域が越智郡だった周辺町村やしまなみ海道上にある島を合併し、現在の人口は15万人ほどです。
 盛衰の時期はありましたが、造船やタオル製造が基幹産業です。他に高校野球でご存知の方もおられると思います。近年ではゆるキャラ「バリィさん」や、サイクリストに人気のしまなみ海道でも知られるようになりました。島嶼部では柑橘類栽培や漁業も盛んです。
 一地方都市ですが、ここ50年の間で変わった所、変わらない所もあります。古い写真をもとに今治の今昔を比べてみました。

50年近く前の今治市の航空写真。右端近くに縦に黒いラインが見えますが、国鉄(JR)予讃(ヨサン)線。その真ん中近く今治駅が映っています。駅前を写真右(東)へ2km程で瀬戸内海に出ます。駅と港の間が市の中心部です。写真では分かりづらいですが白い部分は学校の校庭。ここに写っているだけでも小学校4校、中学校2校、さらに高校が5校あり、さながら文教都市の様相です。私が卒業した小中高全て写っています。現在は小学校の内2校は統合されなくなっています。写真の右上の辺りはしまなみ海道開通後にバイパスが出来、宅地開発が進み様相はかなり変わって入ます。
 左下に流れているのは蒼社(ソウジャ)川。私の小学校の校歌にも出てきます。当時は滔々と流れていましたが、上流にダムが出来てからは、平時の水量はかなり減っているように思います。
 写真上の方を横に流れているのが浅川(アサガワ)。高校の校歌に出てきます。この二つの川の間に開けた町です。
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小学校の児童で作った人文字。私はどこに並んでいたのかな、忘れてしまいました。
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46年前の小学校卒業写真。木造校舎はありません。
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52年前の実家前。田んぼに囲まれ、遠くには三角屋根のタオル工場が見えます。当時は市内の至る所で機織り機の音が響いていたように思います。
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 今は前をバイパスが走り、住宅が立ち並んでいます。
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43年前の中学の運動会。木造モルタル2階建ての校舎は鉄筋4かいに変わりました。校舎の写真だけでは全く別の学校、思い出も湧いてきません。
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それでも校庭に立てば当時を思い出します。中学から陸上部員で、この校庭を何百周走ったことでしょうか。
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国鉄(JR)今治駅前。一番上の写真では右から左に向いて撮影しています。今は高架駅になり当時はなかった西(写真左側)にも出入り口が出来ています。
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今治市役所から今治港へ繋がるメイン通り(広小路)。駅前もそうですが、市役所前のロータリーには信号がありません。今、注目されている「ラウンドアバウト」方式が、今治では既に40年位前から取り入れられています。進取の町です。
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(続く)

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 今回も私たちに案内をいただきました。来年1月10日開催予定の横浜市港北区駅伝大会にて自転車で伴走をするボランティア。キヨタは先導で先頭の前を、ヨーコは後尾で最終ランナーに付いて走ります。今回で7回目になりますが、大会主催者から毎年この時期にご連絡をいただきます。また、私たちも楽しみにしている大会です。伴走と言っても、陸上競技場と公園内が走路ですから、コースそのものは難しい伴走ではありません。それでもレースで伴走をするという緊張感や晴れがましさは心地よいものです。 

 東日本大震災以降、「ボランティア活動」が注目され、活動範囲が広がりつつあるようです。そのようなボランティアに比べますと、私たちの伴走は半日ほどで終わりますから、ボランティアと呼ぶには恥ずかしいくらいです。それでも私たちの好きなことを活かし、細やかながらも地域活動のお手伝いをさせていただくことを楽しみにしています。昨今は自転車好きの人が増えてきていますから伴走ボランティアを募集するとかなりのライダーが興味をもたれるのではないか、と思います。ですから、私たちに毎回お声を掛けていただくことをうれしく思っています。ただ、これまでも、安全かつ快適に走っていただけるような伴走を心がけてはいますが、なかなか自分自身ですら100点満点の伴走はできません。いつも「今回こそは。」とは思うのですが。

 ボランティアに対する取り組み方や考え方には人それぞれあると思います。私はボランティアとは、「するもの」ではなく「させていただくこと」だと思っています。ボランティアは、自分自身の思いや行動よりも、相手方(ボランティアを要請してきた側やボランティア活動を受ける側)の期待を優先すべきなのだろう、と思います。ボランティアとして、建設的な意見や改善策を提言することはありますが、それを受けて「どうするか」は相手側が決めることで、ボランティアはその指示や方針には全面的に従うべき、と考えます。時には過大な要請もあるかも知れません。それに対しその範囲の中で自分のベストを尽くすだけのことです。ましてや相手方の考えや行動・決定に対し不平不満を言ってはならない、と思っています。主役は相手方であって、ボランティアはその意思を受けて行動すべきで、それが自分の意思や考えに添わないからと言って相手方を批評できる立場にはないと思います。その意味で、ボランティアは「無料奉仕」ではなく「滅私奉公」だと思っていますし、その思いを持てなければボランティアは止めた方がいいと思っています。ボランティアをやろう、と決めたのは自分自身ですから。いやなら、そしてできないことなら黙って辞めればよいのです。

 今回の駅伝は1部2部を合わせて42㎞。自分たちのレース以上に緊張します。体調を整えて伴走に臨みたいと思っています。

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 「舟木一夫」→「高校三年生」→「フォークダンス」。昭和中ごろ生まれにとってのは定番の連想?

『第31回尾山台地域体育館まつり』のフィナーレはフォークダンスでした。フォークダンス教室に通っておられる皆様は西洋の民族衣装を身に纏い、颯爽とアリーナに入場して来られました。1曲目は教室メンバーの方による踊りの披露。2曲目からメンバー以外の方々も参加して踊りの輪が広がりました。

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 半世紀以上前の女子高三年生と一昔前の高校三年生、その輪に未来の高校三年生が加わる。同じ地域に住んではいるけれど日常では接点がないであろう人たちがフォークダンスで手を取り合う。地域社会のつながりの薄さや子育ての難しさが取りざたされる現代ですが、都会の真ん中で繰り広げられた、時空を超えた舟木一夫の世界であります。『世界平和には集団的自衛権よりもフォークダンスを』。そこまで大それたことは言いません。せめて『地域おこしにはフォークダンス』くらいかな。境内での盆踊りや氏神様の祭礼も、住んでいる地域を改めて感じさせてくれる行事ですが、フォークダンスで手を取り合って老若男女が踊る。まだまだ日本の未来は明るいぞ、なんて思わずほほ笑んでしまったフィナーレでした。

 ほっこりした気分で、帰りは少し遠回りしてジョグ10km。帰り着く頃には東の空に月が。今日はとても良い一日でした。

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