大手町で出会った人

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東京駅近くの大手町で時空を超えて(?)出会った人たち。何故ここに、この人たちが。人選の理由を知りたいです。さて、何人の名前が分かりますか?

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東京駅から徒歩5分くらいの所にも、こんな路地裏があります。こちらの方が落ち着きます。

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29日、無事仕事が終われば職場から東京駅へ直行。新幹線は始発の東京駅から乗るので自由席でも大丈夫でしょうが、岡山からの最終の「しおかぜ」の指定は取れず、どうなることやら。今治へは深夜0時20分頃の到着予定。
ということで、ブログは1月5日頃までお休みします。しまなみ海道や今治市内をチャリやランで走り回った報告をさせていただきたいと思います。今年一年、拙ブログを訪問して下さり、お読みいただいた皆様、ありがとうございます。来年も皆様にとられまして、より一層、良い年であられますように。


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出会った人たち。上から、黄門様、マー君、遠藤憲一、羽生選手、テリー伊藤、澤選手、漱石です。
友達情報では、ラグビーで時の人となった、五郎丸選手もいたそうですが、私は出会えませんでした。


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愛媛中島から届いた便り

 今年も愛媛中島から、みかんが届きました。しかも二つ。一つは待ち遠しかったみかん。そしてもう一つは、思いもよらない方からのみかんでした。

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 8月に開催されるトライアスロン中島大会。参加賞として、大会当日にはTシャツやボトルなど受け取れます。そして毎年、それ以上に楽しみにしている参加賞があります。それは12月に送られてくる中島産のみかん。中島にはトライアスロンのコース上に距離表示などの立て看板が常設されています。その中には、この島のキャッチフレーズでもあります『みかんと太陽とトライアスロンの島』との表示もあります。

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その名の通り、瀬戸内に浮かぶ中島は太陽に溢れ、島の至る所に段々になったみかん畑が広がっています。私たちは今までトライアスロンの時期にしか訪ねたことはないのですが、蜜柑の実る頃は、島中が黄金色に輝いているのだろう、と思っています。キヨタは愛媛で育ちましたから、みかんは常に身近にありましたが、中島から送られて来るみかんを味わいますと改めて蜜柑の美味しさに気づかされます。その味は、ご近所さんにお裾分けしても好評です。ですから、例年12月になりますと、「今日か、今日か」と思い焦がれてみかんが届くのを待っています。

 そして今年はもう一つ、とても嬉しいみかんが届きました。送り主は中島に住んでおられる方。私たちはその方とは面識はありません。これまで30年、中島大会に参加してきましたが、お言葉を交わしたこともありません。そんな方から送っていただいたみかん。

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その方からのお便りを抜粋しますと、「中島大会でヨーコが頑張っている姿を見て応援していた。見ていて元気が出た。」と書かれていました。これまでトライアスロンやマラソン大会に二人合わせますと100回以上は出ているでしょう。沿道からの応援は沢山いただきましたが、大会が終わってなお贈り物を下さる方は初めてでした。自分が好きで走っているだけなのですが、それを見て応援して下さり、しかもみかんまで送っていただける方がおられるとは思いもよらないことでした。
 お便りを拝読しますと、ご年齢は80歳代半ばくらい。私達の父は二人とも既に他界していますが、父に近い年代の方のようです。中島で生まれ育たれたそうです。ただ70年前の夏の一時期、勤労学生として今治におられたそうです。任地を移って終戦を迎え、帰路に今治を通った時、空襲で今治の町が亡くなってしまっていて涙が流れたそうです。

 このような方が住んでおられる中島。トライアスロン大会がなければ、おそらく訪れることはなかったでしょう。地域おこしとか移住とかがクローズアップされている現代ですが、行政主導や地方生活への憧れだけではない、地元に長く住んでおられる方々の優しい心根に触れられることで初めて知ることのできるその場所の良さが、心を動かしてくれるのでしょう。また来年の夏が待ち遠しくなりました。お父さんと話がしてみたい。

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横浜のんびりサイクリング その2

 山下公園の南に隣接する埠頭の入口にある食堂。日本全国の港町にも波止場食堂はあるのでしょうかね。左奥に見えるのはマリンタワーです。

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 横浜港の入口にある灯台。シンボルタワーと呼ばれています。

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 タワーの近くには海釣り公園があり、多くの人で賑わっていました。

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 工場・倉庫街には、こんなレトロな踏切もあります。電線はありません。貨物専用線で運が良ければディーゼル機関車に曳かれる貨物列車と遭遇できます。

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 横浜市南東部の高台にあるレストラン。ユーミン(荒井(松任谷)由美)のファンでしたらご存知の「ドルフィン」。『海を見ていた午後』に出てきます。横浜を知らなかった頃は架空の店だと思っていたのですが、実在しています。歌詞の通り、坂の上にある静かなレストランで、お店の窓越しに東京湾を行き来する貨物船、遠くには三浦岬が見えます。

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 市の中心部に戻り、山手地区には洋館が立ち並んでいます。この近くには女子校も何校かあり、小沢昭一さんが好む(?)地区です。
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ここからも富士山が望めます。
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 港の見える丘公園から少し南の道路上から、横浜港を横断するベイブリッジ。ここからの眺めが好きだったのですが、近年、中層のマンションや商業施設が建つようになり少し景色が変わってしまっています。

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 初冬の午前中、ちょうど60㎞、写真を撮ったり、市場を巡ったりと3時間半ほどののんびりサイクリングでした。




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横浜のんびりサイクリング その1

12月19日、冬ばれの横浜。市内中心部のサイクリングを楽しんで来ました。
先ずは自宅から6㎞程の鶴見。箱根駅伝の1区から2区へ襷が渡される中継所です。

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 そこから西へ10㎞程。横浜の台所を賄う中央卸売市場。年末年始の準備のために来場した家族連れでごった返していました。市場内にある食堂では、新鮮な魚を中心に美味しくて格安な料理を味わえます。

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 魚市場では、江戸前だけでなく各地から仕入れられた魚介類が並べられていました。

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しかし、鯛だけは来島海峡の鯛には敵いませんね。
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市場近くからは、みなとみらい地区が望めます。

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横浜中心部にも自転車専用レーンはありますが、距離は短く、どれほど実用に役立つか、やや疑問。

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赤レンガ倉庫もお洒落になってしまいました。以前の様に倉庫街の日陰にあった方が風情を感じられ好きでした。
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全国高校駅伝、愛比売男児の健闘に期待

 古事記に残された国生みの伝説。日本で最初に生まれたのは淡路島(淡道之穂の狭別島。そして2番目が四国(伊予之二島)。その後、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島と続き、本州は8番目に生まれました。古事記に書かれていることは必ずしも史実ではないかも知れません。確かに、とてつもなく誇張されていることやあり得ないような比喩、そして何より作られた当時の権力者の意向などが盛り込まれていることは間違いないでしょう。
 だからと言って、全てが作り事(フィックション)で、歴史書としては偽書で価値のないものとして片づけられるのもでもないように思います。国生みの順番だけでなく、その他の神話にしても何かしらの真実が隠されているのではないか、と思います。さて、その国生みの順番。何故、淡路は一番、四国は二番?そしてキヨタの生まれ故郷の四国が伊予之二名島と名付けられたのは何故?
 
 古事記では、四国は体一つで四つの顔を持つ、と記されています。そしてそれぞれの顔に名前が付けられました。その意味と現在の県名を繋げると、次の通りです。
1、愛比売(えひめ)=麗しい乙女=現在の愛媛県
2、飯依比古(いいよりひこ)=飯を造る(農作業に励む)男性=現在の香川県
3、大宣都比売(おおげつひめ)=五穀を産む女性=現在の徳島県
4、建依別(たけよりわけ)=雄々しき男性=現在の高知県
 名前から分かるように、四つの顔は男女2組に分けられ、それぞれの組み合わせに名前が付けられ二名島になったと推測されます(ただ、これを現在の夫婦同姓問題に繋げますと話が複雑になってしまいます)。では、誰と誰がペアになったのでしょう。因みに、夏の高校野球が各都道府県で1校ずつ出場できるようになるまでは、四国地区は北四国(香川と愛媛)と南四国(徳島と香川)で各1校ずつしか出られませんでした。四国の中央を東西に縦走する四国山地を考えますと妥当かも知れません。ただ、上の名前からですと、飯を造り五穀を産む香川と徳島、乙女と勇猛な男性である愛媛と高知のような気もします。いずれにしても愛媛は古来より女性の国だったようです。愛媛県北条市(現松山市)出身の早坂暁さんによれば、愛媛の男性は温泉に浸かり過ぎてふやけているとか。ただ、これ以上突き詰めようとすると、それこそライフワークにまでなりかねませんから、ここではこれくらいに。と言うか、何故、このような話から始まってしまったのでしょう。

 12月20日、京都で全国高校駅伝競走大会が開催されます。男子は66回目、女子は27回目です。全国大会では現在は上位8位までが入賞です(かつては10位までが入賞だった頃もあります)。通常の年は47都道府県から各1校が参加するのですから、8位入賞はかなり高いハードルです。因みに5年ごとの記念大会にはそれに加えて全国を11の地区に分けて大会が開催され、都道府県代表以外で最上位になると地区代表として参加することができますから、もっと熾烈な争いになります。
 過去、男子65回の大会を通じて、まだ入賞した学校のない県が6県あります。北陸4県(新潟、富山、石川、福井)と沖縄。そしてもう一つがなんと、愛媛です。過去の県代表の最高順位は16位(宇和1回、今治北2回)です。入賞にほど遠いどころか、近年ますます、全国との差が広がっているようにも感じます。高校野球の甲子園に例えると、まだ準々決勝に進出したことがない、となります。キヨタの母校、今治北も全国大会に出られなくなって10年余りになります。毎年「今年こそは」と期待するのですが、大相撲の稀勢の里みたいなものです。ただ、私が41年前に愛媛県大会に出た時の結果と比べますと、大したものです。
 その男子の愛媛代表、今年は宇和島東、そして記念大会の地区代表として八幡浜の2校です。県予選では4校が2時間10分以内という、私の知る限りでは今までにない高いレベルだったようです。ただ、その分、選手が分散してしまっているのかも知れません。
 それでも両校には期待したいです。全国の県予選のタイム順ですと30位、八高も39位。全国大会では、出場校のゼッケンは北から順に付けられます。愛媛は38。このところ、このゼッケン番号より速い順位でゴールできません。予選会は各地によって、コース状況や天候、ライバル校の有無によって一概に同じ土俵で比べられるものではありませんが、それでも予選記録30位と言うのは楽しみです。入賞は無理でも20位前後は狙って欲しいものです。愛比売男児、頑張れ。因みに、各地の予選会で2時間8分以内が22校。宇東は2時間9分00秒です。
 
2年の時、県大会で1区(10㎞)を走りました。当時の専門種目は400m。それが1区を走るのですから、チーム成績は推して知るべし、です。1,2年生ばかりで、他のメンバーも、短距離から投擲、跳躍が専門ばかり。3年生の時こそは、と意気込んだのですが、学校から許可がでませんでした。左側が私です。

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それでも、学校の名前を背負って走るのは楽しいものでした。

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この写真のポイントは、フィールドで待機している女子選手の視線の先?
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Triathlon Team Big Lake での私の愛称の由来です。
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龍神社(今治市波止浜)

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 今治市の北部にある波止浜(ハシハマ)。かつては塩田で栄えていました。今治市の地図でJR予讃線のルートを辿られるとお気づきになられるかと思いますが、今治駅から北上して波止浜へ、そこから西へ転換した後、南下して大西駅へ向かっています。大西から先は瀬内海沿いに松山まで繋がっています。鉄道は公共機関なので合理性よりも住民の利便性を優先せざるを得ないこともありますが、今治から松山まで少しでも短い行程を考えるなら、波止浜の一駅だけのために遠回りをせず、今治から大西まで真っ直ぐ西へ進む方がより良いルートのはずです。ところが、大正年間に予讃線をこ開通させる際、波止浜には塩田開発による大富豪が多く住んでいたため、遠回りルートが設定されたそうです。

↓ クリックすると地図が出ます。
http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.11001650&lon=132.96870364&ac=38202&az=76.4&z=16&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E5%B8%82%E6%B3%A2%E6%AD%A2%E6%B5%9C4%E4%B8%81%E7%9B%AE 今では、塩田跡は自動車教習所やゴルフ場になっています。そして塩田に代わる産業として、造船が盛んになっています。地図でもお分かりのとおり、波止浜駅の北側は深く湾か切れ込んでいます。これも造船所には適地なのでしょう。
 
 その波止浜にある龍神社。本殿の周囲は100m余り。大きさだけなら何の変哲もないお社です。でも、その佇まいには何か惹かれるものがあります。地元の方には「龍神さん」で親しまれているようです。1683年に塩田築造の功労者たちが、塩田の無事完成と繁栄を祈願して近江勢田の八大龍神を勧請したとのことで、かつての塩田から町の入口に建っていたそうです。境内にはウバメガシが群生しています。

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 神社の本殿。普通の本殿前と何か異なる雰囲気を感じませんか。お賽銭箱がありません。よくよく探してみると、格子戸越に本殿の中に置かれていました。その理由をしりたくて社務所を訪ねたのですが、生憎どなたもいらっしゃいませんでした。

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 本殿の裏側に石造りの「新明橋」が残されています。明治33年に造られたメガネ橋でしたが、道路拡張のため取り壊しを余儀なくされました。ただ住民の愛着が深く1981年にこの場所に復元されたそうです。

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義士祭

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これじゃあ、山鹿流の陣太鼓もかき消されてしまいますね。

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12月14日、東京都港区にある泉岳寺で義士祭が行われるとのことで、仕事帰りに寄り道してみました。313年前に主君の敵を討った赤穂浪士四十七士を偲んで、厳かな雰囲気の中で行われているのだろう、と期待していました。ところが、この有り様。浪士の墓前には長蛇の人の列で、待っていても埒があきそうにありませんでした。日中は義士にふんした人たちのパレードも行われたようですが、今度は何でもない日に訪ねてこようと思いました。

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 忠臣蔵も、最近では浪士の様々な思惑があったとか、徳川幕府の意向が渦巻いていたとか、純粋な敵討ちという側面だけではないとの説の方が一般的になっているようでもあります。確かに、自分の人生の拠り所であった藩が取り潰されてしまったのですから、主君の仇を討つこともさることながら、自身のこの先をどうするかと言うことも大切だったでしょう。そのための手段としての討ち入りだったとしても、致し方ない所もあるでしょう。
幕府にしても、義士の命を助けてしまうと、それはそれで上野介の遺臣たちが黙っていないでしょうから、敵討ちの敵討ちが始まるかもしれません。それを防ぐためには悪役になったとしても、義士に切腹を命じるしかなかったでしょう。吉良邸討ち入りは今の法律でいえば、騒乱罪に該当するのでしょうか。
江戸時代から明治、大正、更に昭和を経て平成まで。この間の日本人の価値観や歴史観などは劇的に変化したのでしょうが、今もって衰えない人の心を掴んでいる討ち入りに、理屈はいらないでしょう。


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忘年の友との忘年会

この年になるまで「忘年の交わり」という言葉を知りませんでした。忘年というと、忘年会しか思い浮かばなかったのですが、忘年の交わりとは、年齢を越えて(年の差に関係なく)、親しく交際することだそうです。私たちにとって「忘年の交わり」とは、このブログに何度も出てくる港区スポーツセンターランニングクラブの仲間との交わりです。キヨタがこの仲間と初めて知り合ったのは30年前。仕事帰りに走っていたスポーツセンター内のランニングコース。ほぼ毎日走っているうちに、メンバーから声を掛けられたのが切っ掛けでした。どうやら声を掛けられたのは、ランニングだけでなく酒も好きそうな顔をしていたのが理由のようです。ヨーコも初めて顔を出してから15年ほどになります。
社会人になると、仕事を離れて忘年の交わりを続けるのは難しいところもあるのでしょうが、同じ趣味を通じて利害関係も何もない仲間と同じ時間を過ごせることは楽しいものです。もっとも今ではランニング仲間と言うよりも、単なる飲み仲間と言う感じになってしまっています。

 その仲間との忘年会が今年も都内であり、79歳の長老は所用で参加できなかったものの、年齢差40歳ほどの老若男女20人程が集まりました。この仲間の大半は関東出身ですが、その内何人かは毎夏、四国(主に今治市内)の島で大人の夏休みを過ごしています。終の棲家を見つけるのが目的です。ここ2年は連続して岡村島へ行きました。来年夏は久しぶりに大三島の廃校になった小学校の木造校舎を宿泊施設として利用している憩いの家へ行ってみようかと、思っています。幾つになっても、少年少女の心を持った人たちとの楽しみは、まだまだ続きます。


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『木綿のハンカチーフ』世代

12月も半ば。それなのに年の瀬の押し迫った感じが湧いてきません。師走の慌ただしさ、そしてそれと背中合わせの新年に向けてのわくわくした気持ち。いつ頃からか感じなくなりました。

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それでも都会は「木綿のハンカチーフ」を思い起こさせる風情です。故郷を離れ木枯らしのビル街で働く恋人を思う気持ち、都会のネオンに慣れ故郷に帰れなくなる恋人。キヨタはこの歌がヒットした翌年の3月に高校を卒業し今治を出て、大学卒業時にも今治で就職することありませんでした。年代的にも当にぴったり。この歌のような思いでもないわけでもありません。
プロ野球では、○○世代、というのが良く言われます。松坂世代はその代表でしょうか。ハンカチ世代と言うのもありましたか。それに準えは、さしずめ『木綿のハンカチーフ』世代とでも言いましょうか。

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 近年は冬のイルミネーションが各地で人気になっています。職場のある東京駅周辺でも様々な光に溢れています。それはそれで楽しいのですが、どうしても思い浮かべるのは瀬戸内の海に照り返す漁火、そして見上げる満天の星。どれほど華やかな電飾も、これに勝る光はない、と思います。

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 後3週間、仕事が終われば東京駅から新幹線に飛び乗り今治へ帰ります。

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今治小島(オシマ) その3 芸予要塞跡

 小島は、元禄時代に隣の来島(クルシマ)から、村上水軍の末裔8世帯が移り住み開拓されたそうです。急流に囲まれているとは言え穏やかな瀬戸内の島には、その佇まいからは想像もできない要塞跡があります。日露戦争に備え瀬戸内海防備のために築かれた芸予要塞の跡です。1898(明治31)年に着工され1902年に完成したそうです。周囲僅か3㎞の島の中には、北部・中部・南部の3か所に司令塔や砲台、兵舎、発電所などが造られました。しかし日露戦争は1905年9月に日本の勝利で終わり、小島要塞は実戦で使われることはないまま、1924(大正4)年に廃止されました。

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 ところが、1927年に北部砲台は日本軍の爆撃演習の標的になります。陸軍立川飛行隊と海軍霞ヶ浦航空隊により1週間にわたり爆弾投下が続けられました。当時の新聞によると、演習はさながら陸海両軍の腕比べの要素もあり、周囲の島々には多くの見物客も集まったそうです。ただ、投下された爆弾は思ったほど命中せず、一部が破壊された程度で終わり要塞跡はそのまま現在に残っています。

 3か所の要塞跡を巡るのにはゆっくり歩いても2時間もあれば十分でしょう。ただ島内には迷路のような小道やあぜ道があり、木々の間を辿って行くとちょっとした探検家気分にもなれます。また、短い距離ながらも登り下りも多くあり、歩いて回るかなりの運動量にもなります。私は最初に南部砲台跡を訪ねました。そこから中部、北部と回るつもりでしたが、途中で道を間違え先に北部砲台跡へ出てしまいました。けれど怪我の功名とでも言いましょうか、中部砲台跡が最後になったおかげで最後に一番良い眺めに出会うことができました。
中部砲台跡の司令塔があった所からの景色です。高さ100m島の頂にあった司令塔の今は建物の痕跡はなく、10m四方ほどの草地になっています。そこからは周囲360度、瀬戸内の海や島々、そして四国の山並みが見渡せます。気分はまさに司令官。息を飲むほどの景色は、ここ来島海峡が古来より海上交通の要所であったことが手に取るように分かります。

今治の友達からの情報では、椿が満開になる頃はとても良いそうです。桟橋近くでは釣り糸を垂れている人たちもいました。その1、その2でご紹介させていただいたように、小島にはたくさんの魅力があります。天気の良い日には、お弁当とビール、そしてお気に入りの本の一冊、そして釣竿を持ってのんびり過ごすのも良いでしょう。

下の2枚は南部砲台の発電所跡です。
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地下室跡
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 なお、司令塔後からの写真は敢えて載せません。是非一度、足を運んで実際に目にされてください(急な石段を上らなければなりませんので、訪ねることのできない方のためには今度、写真を撮って来ます)。

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kiyo & yoko

Author:kiyo & yoko
努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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