2016年第1回鶴見川デュアスロン

 4月24日(日)。横浜地方は朝11時頃まで小雨が降り続いていたので、自転車での遠出は諦め、代わりに2016年第1回目の鶴見川デュアスロン(自転車+ランニングの二種目連続)に切り替えました。ヨーコは仕事のためエントリーはキヨタ一人

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 普段の練習場である鶴見川沿いのサイクリングコース。距離は自転車40㎞、ラン10㎞。一ヶ月後のの新島トライアスロン大会と同じ距離で、これに向けての現状確認でもあります。この出来が大会での完走目標タイムになります。

 スタートは自宅近くの0㎞地点。ここから上流に向け5㎞地点を折りて来ます。コース上にいは1㎞毎に距離表示がありますので、タイムトライアルやペース走には適しています。ただ、散歩する人や河川敷のグランドに出入りする子供たちも多くいるため、自転車で走る時は所々でスピードを控えめにしなければなりません。尤も、キヨタのレベルでは全力で漕いでも他の人たちのサイクリングレベルでしかないのですが。いつもは多くいる自転車ライダーも、この日は天候が悪かったせいもあるのでしょうが、いつもの休日ほどはいませんでした。

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5㎞の折り返し地点からは新横浜駅付近のホテルやオフィスビルが見えます。冬の天気の良い日には雪を被った富士山も望めます。
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 タイムは自転車40㎞が1時間25分44秒、ランニングは54分29秒。冬場に例年以上のトレーニングをした割には目標タイムに遠く及びませんでした。ただ、昨年の同時期と比べますと、ランが6分ほど速くなっていますので目標タイムは2時間45分(昨年の完走タイムは2時間52分34秒)。ラン練習の質量が高まったのと、自転車も速くはならないものの足に負担を掛けない漕ぎ方が少しできるようになった気がします。自転車はサドルの高さと位置が若干しっくりきません。少しずつ調整して行けばもう少し楽に乗れるようになれるでしょう。

 来週末は、私たちが所属しているトライアスロンチームの合宿、その後のGWは実家に帰り「しまなみ海道」で練習をしてこようと思っています。


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今週のサラメシ 「ロコモコ丼」と「オロチョンラーメン」

 勤務先の社員食堂では毎日出される定食などの他に、不定期で各地の一品物の名物料理が出されます。今週は木曜日にハワイの「ロコモコ丼」、金曜日に北海道網走の「オロチョンラーメン」でした。

 「ロコモコ丼」は、ご飯の上のハンバーグと目玉焼きを乗せ、それに肉汁から作ったグレイビーソースをかけられています。今回、社食で出された物は、これにキャベツの千切りと玉ねぎの天ぷら一切れが添えられていました。「ロコモコ丼」は一説によりますと、1949年に、ハワイ島でレストランを営んでいた日系人によって若者向けの安価な食事として発案されたそうです。太平洋戦争が終わって僅か4年後。日系人として苦労されていた時期だったと思います。ロコ(Loco)とは、イカれた奴、若しくは地元(Local)、モコ(moko)は混じるという意味があるそうです。
 ただ、不確かな情報ですので、どなたかご存知の方がおられましたらお教えください。
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 「オロチョンラーメン」のオロチョンは、アイヌ語「勇敢な」という意味があるそうです。写真を通じても真っ赤なスープからとても辛いイメージがあるかと思います。実際も味噌と唐辛子で味付けされているようです。これほど辛いスープに挑戦するのは勇敢なのでしょうか。ただ、社食で出された物は見た目ほど辛くはありませんでした。

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 日常で、特に服装などで「TPO」=時と場所と場合を考えるべきと言われますが、食事も同じかも知れません。
 ロコモコ丼は、やはりハワイの開放的な青空と海辺で味わって初めて美味しく感じることができるのでしょう。こんな社食の窓から望む景色を見ながらでは、残念ながら期待していたほどの感激はありませんでした。

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いつかハワイで食べてみたいものです。
 オロチョンラーメンもそうでした。厳しい冬の寒さの中で、もっと辛い汁をすすりながら汗を掻きながら食べてみたいものです。

 各地の名物料理は、その土地に行って、その土地の方々と味わうのが一番なんだな、と改めて感じました。ただ、これからも社食でたまに出る各地の料理は試してみたいと思います。


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司令塔跡(今治市小島)

今治市内で今、私が一番好きな場所です。小島の頂きにある司令塔跡からの眺めです。標高は80m位しかありませんが、それがむしろ海が真下に見え、天気の良い日には瀬戸内の島々だけでなく、西日本最高峰の石鎚山系など四国の山並みも望めます。360度遮るものがありません。ここに立ちますと、来島海峡が水運の地としてどれほど重要だったのか、改めて感じることができます。日露戦争当時に要塞がここに築かれたのも納得できます。さらに歴史を遡りますと、村上水軍の拠点、北前船の航路、道真左遷の旅路、遣唐使や遣隋使もここを通ったのではないでしょうか。神代の時代には神武東遷もここ?景観だけでなく、小島を訪れますと、長い長い時の流れを感じることもできます。
天気の良い日にはお弁当とビール、お気に入りの本の一冊も持ってひねもすのんびり過ごすのもよいでしょう。

南東方向、来島海峡大橋越しに今治市内、更に遠く、石鎚山が聳え立ちます。
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南南東方向には湾の奥に波止浜の街並み、そして高縄山が望めます。
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南には波止浜から波方への道。
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灯台の向こうにある小さな島は、村上水軍の居城の遭った来島(くるしま)。
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北西方向は安芸灘。広島県の島々です。
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東方向は来島海峡大橋越しに大島が目の前に見えます。
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ここが司令塔跡。ここに立ちますと、まさに気分は司令官。
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中部砲台跡(今治市小島)

今治市の来島海峡には小さな島が幾つかあります。その中の一つ、小島(おしま)は周囲3㎞ほどの、その名の通りの小さな島です。しかし、この小さな島には、日露戦争に備えた要塞が築かれていました。日本海海戦で日本が勝利したため、実戦でつかわれることはありませんでしたが、その要塞跡が残されています。北部、中部、そして南部。以前、北部と南部につきましては紹介させていただきましたが、一番大きくて、そして司令塔が造られていた中部はご紹介できませんでした。今回は、その中部要塞と司令塔跡のご案内です。

 小島へは渡るには渡船に乗ります。その渡船は、今治の北部にある波止浜(はしはま)と来島海峡に浮かぶ馬島を結んでいます。片道20分で一日10往復程度、運行されています。馬島はしまなみ海道の来島海峡大橋が通っており、市内から路線バスで島の頂上部近くにある馬島バスストップまで行き、船着き場まで降りて行けば渡船乗り場があります。波止浜へもバス便はあります。また、この渡船は自転車を載せてもらえますので、しまなみ海道サイクリングと組み合わせても面白いかと思います。航路の途中には、小島の他、村上水軍の砦があった来島(くるしま)にも立ち寄りますので、歴史散歩にもなります。

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小島の全景です。
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 さて、小島へ上陸しますと、先ず目に入るのが砲台のレプリカ。島の中を縫うように続く小道を10分ほど登ると中部要塞跡に着きます。ここには砲台跡の他、兵舎や倉庫跡が残されています。こんな小さな島によくもまあ、これだけの施設が造られたものだと思います。

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中部砲台跡の入り口です。

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これは、弾薬庫跡。
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円形になっている所に砲台が設置されていました。

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将校用の地下室。間口5m、奥行き10m程の広さです。
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 この要塞跡から更に高さ20m程の石段(写真左側に斜め左向きの木製の標があり、石段の下部が見えます)を上った島の頂に司令塔が造られていました。その様子は次回に。

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大人の夏休み、3年続けて、今治市岡村島へ。



 関東地区在住のランニング仲間と行っている夏の瀬戸内合宿。9回目の今年は、3年連続で今治市の岡村島を予定しました。
 一番の楽しみは、定宿にしているご主人が作って下さる魚料理です。そして、ずっと地元で暮らしておられるご夫婦の地元の言葉でのお話を聞きながら、ゆったりとした瀬戸内の時間を過ごせるのは嬉しいことです。都会から瀬戸内を訪ねる人には、都会にはない風情と、長年地元で暮らしておられる人々とのつながりが心を癒してくれます。

岡村港から歩いて10分ほどにある私たちの定宿「シーガル」。
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庭での解放感満載のバーベキュー。
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岡村島と隣の中ノ島は岡村大橋で結ばれています。岡村島は愛媛県、中ノ島は広島県。橋の真ん中が県境です。県境の白線を挟んで、愛媛VS広島の綱引き大会があっても面白いかもしれません。愛媛が勝てば鯛が大漁、広島が勝てば牡蠣の豊漁?
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一日中でも泳いでいられそうな海です。釣りにも絶好。
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楽しみの刺身。やはり、旅の大きな楽しみの一つは料理ですよね。
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煮魚も一人一匹。
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「散る桜」 不平を言っている暇はありません。


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今年の横浜の桜も見納めとなりました。それでも自転車トレーニングのつもりで出かけた途中、至る所で散り残った桜を見かけ、結局はのんびりサイクリングになってしまいました。

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 「散る桜 残る桜も 散る桜」。これは良寛の辞世の句と言われています。限られた命をいかに生きるか、という問いかけとも言われています。ただ勝手な解釈としては、良寛自身の辞世の句と言うより、親しい人の今際の際に贈った句だ、と考えます。未練や恐怖を抱きつつ悩む人に、「恐れることはない。生き残る自分も何れお前の後を追う。来世で会おう」と語りかけたのだ、という解釈です。
 いずれにしても、散る桜同士、いがみ合っている暇はないですね。社会に対して不平不満を言ってみても、社会から有形無形、有償無償に関わらず支援や恩恵は受けていることには違いはないのですから、それを忘れて自分は別、という訳にはいかないです。ましてや自分の選んだ道に対し不平を言うなんて、なんと贅沢なことかと、思ってしまいます。人の手によって植えられた桜が人の手によって伐採されようとしています。

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この辺りは、満開の時期なら桜のトンネルになります。
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桜を愛でながら、ひねもす釣りに興じるのも良いものですね。釣り堀ではなく、瀬戸内の海辺ならさぞかし気持ちよいでしょうね。
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鶴見川にも春の風が吹き始めました(横浜市)

 前回、春の瀬戸内に吹く風を紹介させていただきました。その瀬戸内の風には及びませんが、私達が住む横浜市の北部を流れる鶴見川にも季節を感じさせる風が吹いています。

 鶴見川は東京都町田市を源流とし、横浜市の北部を北西から北東部へ流れ東京湾に注いでいます。全長、凡そ42.5㎞。ほぼフルマラソンと同じ距離です。その河川敷にある歩行者・自転車専用道路が私たちのランニングのトレーニングコースです。その川沿いに吹く風が季節によって異なります。私達が走る時は、先ず自宅から上流に向け走り適当な所で折り返してきます。晩秋から早春にかけては往きが追い風、帰りが向かい風になります。春になるになるとその風向きが真逆になります。特に冬に吹く北風はかなり強いので帰りは結構キツイです。この風に向かって走っていると、その辺の風には負けない力が付きます。
 
 そして、この川沿いで季節を感じるのは風だけではありません。川沿いには桜並木が続いています。冬の間は、その蕾が少しずつ大きくなっていくのを感じながら春を待ちます。春になると桜の花が和ませてくれます。ただ、今年は、残念ながら満開の日が平日だったため満開の花の下を走ることはできませんでした。桜が散ると今年も本格的にトライアスロンシーズンが始まります。

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こちらは自宅近くの桜ですが、鶴見川沿いではありません。
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春の瀬戸内に吹く風

今治に住む同級生やFBを通じて、今治の桜の写真を沢山見ることができました。故郷の桜は良いですね。

 しかし、春の瀬戸内海を彩るのは桜だけではありません。瀬戸内には昔から伝えられている春の風を表す言葉があります。私が知っているのは二つだけですが、その風からは穏かな瀬戸内を思い浮かべることができます。

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 「黒髪を 梳く油風に 頬染める」
 油風(あぶらかぜ)は4月の頃、晴天の日に吹く緩やかな南風のことです。東海から近畿、瀬戸内一帯の舟人が使う風の呼び名です。油を流したような静かな風だそうです。
春の海辺に佇む少女の長い黒髪が風に揺れ、白いうなじが見え隠れ。その恥じらいが頬を染めました。

「真風(まじ)に乗り 軽やかに漕ぐ 島海道」
真風もまた、南の風です。こちらは四国や瀬戸内海の沿岸で使われています。
春のしまなみ海道を南からの風に押され、心地良いサイクリングを楽しんでいます。

この他にも、春を感じさせる風の言葉は多くあると思います。天気の良い日には、サイクリングや散歩、そして島を巡る小さな船旅。瀬戸内の風を感じてみませんか。


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中学の恩師の思いも越えてしまった人工知能

 このところ、人工知能に関するニュースが増えてきています。専門的な知識は持を合わせまんが、人工知能とは人間の知能を持つ機能を備えたコンピュータ・システムだそうです。かなりの勢いで発達してきているようです。今年の3月には難しいとされていた囲碁で世界最強の棋士の一人に4勝1敗で勝ち、大きな話題になりました。囲碁に関しても知識もありませんので、それがどれの出来事なのか実感はできませんが、とにかく「とんでもない出来事」ではあったようです。
  しかし、キヨタにとっては、囲碁の話題よりも、先日、朝日新聞に掲載されたこの記事の方に現実もを持つ大きな衝撃を受けました。それによると、人工知能によって小説を創作する研究が進められているとのことです。そして既に、8割方人が手を加えたとは言え人工知能を使って創作された短編小説4編が文学賞に応募され、内1篇以上が一次審査を通過したそうです。そして研究者によると、将来的には人工知能だけで、ある水準の物は作れるようになる、とのこと。

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 私が中学の時の恩師は言いました。「これからの時代、コンピュータや機械が人間のやることは全てできるようになる。ただ、文章を作ることだけは人間にしかできない。だから文章作成の能力だけは高めて行きなさい。」と。
 その言葉が妙に胸に残り、以来、作文や論文は意識して書くようにしてきました。高いレベルまで到達できませんでしたが、今、サブ業務でビジネス文章やプレゼンテーション用の文章作成に関する通信教育の添削業務を担当させてもらえるくらいにはなりました。文章作成だけならコンピュータに負けない。恩師の言葉は、私にとっては学生時代のみならず社会人になってからも大きな指針になってきました。今から半世紀近くも前に、コンピュータが何でもできるようになると言いった恩師も凄いと思います。ところが、その恩師の想像すら超えて、文章を人工知能が作るようになるとは。

 機械やコンピュータの発展は、人間の役にも立っては来たでしょう。一方で、人間の活躍できる場を奪ったり機会に人間が追い立てられるようになってしまったのも事実だと思います。さらに人間の感情を理解し、感情を返せるまでになってしまうと、何れは人間を人工知能が越えてしまうかもしれません。チャップリンが描いた時代はまだ笑える所もあったでしょうが、現代は、無人爆撃機が人の命を奪う時代にまでなってしまいました。それでも、やはり私たち夫婦は仕事などを通じ、言葉で伝えることだけは大切にしていきたいと、想っています。


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線路のない踏切(今治市波止浜)

 今治市の北部にある波止浜(はしはま)地区。かつては塩田、今は造船の町です。その波止浜に、線路のない踏切があります。

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 最近は、北陸新幹線や北海道新幹線が開通する一方で、ローカル線の廃止が相次ぎ、その廃線跡には幾多の踏切が残されているかもしれません。しかし、この波止浜にある踏切は元から線路は通っていません。瀬戸内海と波止浜湾を区切る水門の通路に設けられています。正確には「踏切」ではなく「警報機と遮断機」と言うべきかも知れません。

向かって左側は波止浜湾の奥。さらにその奥に塩田が広がっていました。
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 波止浜では戦前、瀬取船と呼ばれる浅瀬でも使える底の浅い船が用いられていました。九州から瀬戸内海を渡って来て波止浜の沖合に停泊した大きな船に積み込まれた石炭をを瀬取船に積み替え陸地まで運んでいたそうです。その石炭は、塩田の石炭小屋に運ばれ釜焚きの燃料に使われたそうです。帰りは瀬取船に塩を積んで(当時の)専売公社の倉庫まで運んだそうです。当時、波止浜には瀬取船で働く人たちが利用できる食堂やお店が立ち並んでかなり賑わっていたようです。

 その塩田は、時には民家が床下浸水するほどの高潮の被害に遭ったため、民家や塩田を守るために水門が設けられました。完成は1957年。何と、キヨタと同じ年の生まれなのです。水門は潮の満ち引きに合わせ開け閉めしたり、橋を上下に動かして下を船が潜れる構造になっています。この警報機と遮断機は橋が動く時に通行を止めるために設けられたようです。ただ、見た限りではありますが、今では使われているようには思えませんでした。もし、使われる機会を捉えられたらスクープかも?

水門の全景です。
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風雨に晒されていますが「はしはま すいもん」と彫られています。
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水門の目の前で建造中の大型船には圧倒されます。
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高校野球雑感(今治市内4高、親善野球大会)

 キヨタが高校在学当時、今治市内で野球部のある高校は4校でした。その4校が集まり、毎年、親善野球大会が開催されていました。5月だったと思います。新入生(新入部員)が入り7月の夏の甲子園の県予選が始まる前でした。毎年、対戦校を変えて2試合行われていました。ここまででしたら、何処にでもある部活動の一環としての近隣校による練習試合のようなものでしょう。ところが今治で行われたのは単に野球部同士だけの親善試合ではなく、各校とも学校行事として行われました。全校生徒が応援に駆け付け、市営球場に集ったのです。勿論、平日。授業を休んでの行事で、各校生徒の親善を野球を通して行うという意義があったようです。愛媛県内の他の市でも行われていたのかどうかは分かりませんが、私が大学や社会人になった時に県外の知人友人に尋ねてみても、少なくとも知人友人の住んでいた他の都道府県でこのように学校行事として親善野球試合が行われている所はありませんでした。
 実家の近所には甲子園に出る選手の家に幟が立てられる年も多く、子供心にも高校野球選手への憧れはありました。ただ小学校の野球部にも入部テストがあり、野球選手になりたくてもなれず他のスポーツに行かざるを得なかった子もいました。私もその一人です。
 また、夏の甲子園大会の県予選も1回戦から全校応援。当時の松山市営球場で試合がある時は学校前から貸し切りバスを連ねて行きました。私の在学していた高校は当時、県予選でもせいぜい3回戦止まり、3年生の時は1回戦敗退。そんな野球弱小校でも当たり前の応援風景でした。私が今住んでいる神奈川県も愛媛県に劣らない(むしろ近年では神奈川の方が優れているかな)高校野球のレベルと熱の高い所ですが、全校応援になるのは準決勝以降くらい。普通の公立高校の1、2回戦では野球部員の友達十数名、先生数名、後は部員の父母だけという応援席も珍しくありません。これにブラスバンド部員とチアリーダーが数名いればかなり目立った応援団になります。校旗も掲げられず、応援団長もおらず試合前後のエールの交換もなされない、という試合も少なくありません。それに比べますと、やはり今治は野球の街だった(過去形?)と、改めて感じます。今でも、親善野球大会は行われているのでしょうか。


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高校野球雑感 (3時代制覇を目指して)

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 今年、最初のプロ野球観戦は、昨年同様、神宮球場開幕試合でもある阪神対ヤクルト戦。阪神先発は今年も藤浪。昨年は初回に阪神が3点先取しながら、逆転負けでした。今年も阪神が先行。調子が上がらない藤浪に心配していましたが、何とか粘り逃げ切りました。

 そのプロ野球開幕に先立ち開催された第88回回選抜高校野球大会は、高松商業が準優勝で幕を閉じました。四国の公立高校の活躍には心弾みます。しかも伝統校ですからね。キヨタと同年代の知り合いには、甲子園で高松商を応援したくて鳥取県から高松商に進学した人もいるくらいです。それでも決勝戦前、高松商に勝ってほしい気持ちが4分、勝たなくても良い気持ち6分の割合でした。それは、高校(中等学校)野球の記録に関わることだったからです。

 高校野球の前身である旧制中学の野球全国大会が初めて開催されたのは大正4年(1915年)でした。それから昭和を経て平成まで三つの時代に亘り続いています。その間、春と夏の大会に全国から多くの学校が参加し、強豪校が優勝の栄冠に輝いてきました。その中で、大正、昭和、平成とそれぞれの三つの時代に優勝を果たしている学校は、今のところ、ただ一校しかありません。
さて、それはどこでしょうか。答えはCMの後で?
 
 その資格を持つ大前提は、何と言っても大正時代に優勝した学校に限られます。そこから絞って行きますと、大正時代に優勝したのは12校。更にその中で、昭和でも優勝したとなると5校に絞られます。その一つが高松商。ただ、高松商は平成になってはまだ甲子園では優勝していませんから外れます。とは言え、第1回選抜大会優勝の高松商は翌年の夏の大会でも優勝し、春と夏の大会でそれぞれ優勝した初めての学校、しかも一度だけ昭和2年に開催されたその年の春と夏の大会で優勝した学校同士の対戦(言わば、その年のナンバー1を決める決戦試合)で、夏に優勝した高松商は春優勝の和歌山中(現在の桐蔭高校)を破って日本一になっています。それ程の実績を持つ高松商でも、平成ではまだ優勝できず今回はその最大のチャンスでもありました。
 
 そして残った候補の4校とは。桐蔭高、関西学院高、広島商、そして松山商です。高松商も含め何れも瀬戸内海に面した県にある学校ばかりです。さらに4校から絞って行きますと、桐蔭は昭和2年、関西学院は昭和3年が最後の優勝です。そして広島商の一番最近の優勝は昭和63年。そして残ったのは野球王国愛媛の松山商。唯一、大正、昭和、平成の時代で優勝を果たした学校です。

 松山商の初優勝は大正14年の春、昭和7年に二度目の優勝。その後、昭和で4度優勝するも、暫く低迷しました。四国全体のレベルも高く、特に夏の大会は、愛媛と香川両県で北四国代表として1校しか出られない時期も長かったのも原因でしょう。それでも平成8年の夏、「奇跡のバックホーム」として語り継がれる熊本工との死闘を制し3時代での優勝を果たしました。通算優勝回数や勝利数などが話題にはなりますが、これも立派な記録だと思います。この先、優勝回数や勝利数を伸ばすことは全ての学校にチャンスはありますが、過去のからの記録は変えられませんから。ですから、今大会、高松商が決勝に進出した時、松山商の記録に並ばれる可能性があることに、愛媛出身者として、そして四国出身者として複雑な気持ちが湧いたのです。

 平成が長く続いて、残り4校の中から史上2校目の3時代制覇の学校がでるのでしょうか。そして20年優勝から遠ざかっている松山商が次の時代に向かって駆けて行くのでしょうか。楽しみです。


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Author:kiyo & yoko
努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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