今年もお世話になりました。

 平成28年のブログ更新も今日が最後になります。今年も拙いブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 秋から年末にかけ、愛媛から幾つかの届きものがありました。
 
 その一つは、愛媛県産玄米。トライアスロン中島大会で知り合った方から送っていただきました。しかも30kg。大食漢の私たちにはとても嬉しく、有り難いお米です。この玄米を食べるようになって、体調も良くなったように感じます。それ以上に、新しい出会いに喜びを感じています。長いお付き合いをさせていただきたいです。
 
1612281.jpg

 そして、その中島から送られた蜜柑。

 こちらは、中島にお住いの方から送っていただきました。昨年、ヨーコの走る姿を見て、応援して下さるようになった方からです。景色だけでなく、人情の篤い島の人たちには感謝しかありません。

1612282.jpg


 こちらは、8月の中島トライアスロン大会の参加賞。毎年、クリスマス前に送られてくるのを楽しみにしています。これが届くと年の瀬を感じます。

1612283.jpg

1612284.jpg


 年の瀬と言えば、この時期、スイマーやトライアスリートの多くが挑戦している煩悩払いスイム。各々が決めた距離をプールで108回泳ぎます。108は言わずと知れた除夜の鐘、煩悩の数。1往復(又は片道)の距離はそれぞれの泳力に応じ25~100m、中にはそれ以上の猛者もいます。キヨタは25mを108往復、トータル5,400mを泳ぎました。ただ、終わった後の達成感は殆どありませんでした。おそらく、キヨタの煩悩は108回払ったくらいでは無くならない、もっと多くの煩悩があるからかも知れません。

 とは言え、今年一年も恙なく終えることができそうです。皆様も、どうぞ良いお年をお迎えください。


にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログへ
にほんブログ村

古いギター

1612233.jpg

1612231.jpg


この方が70歳。キヨタも歳を取るわけですね。

それで思いついて久しぶりにギターを引っ張り出してきました。
今治を離れ一人暮らしを始めた18歳。その時からの付き合いです。ですからこのギターも41歳になりました。
流石に弦も錆びついていたので、新しい弦を買ってきました。
手に触れるのも十数年振り。Eマイナーですら指先が痛くて抑えられません。
Fメジャーで行き詰るのは40年経っても変わりません。

1612232.jpg

当時はフォークからニューミュージックへの移行期。一人下宿で授業をサボってギターを弾いていました。
中でもギターを弾く女性ミュージシャンには憧れに近い感情を持っていました。
今治に帰った時にお邪魔している「もんじゃ居酒屋 だんさん」さんの店内には多数のギターが並べられ、40年前に戻って行ける雰囲気です。年末に帰る時にもお伺いしてみたい、と思っています。

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログへ
にほんブログ村

「いざ鎌倉」(稲村ケ崎)

 鎌倉の稲村ケ崎から、相模湾と江の島越しの富士山を見たくて往復約100㎞のサイクリングに出かけました。 

1612183.jpg

『真白き富士の根 緑の江の島』。この詩の通りの景色を期待していましたが、生憎の曇り空。それでも何とか雲の合間から冠雪した富士の山頂を見ることができました。ところで、この歌をご存知の方はかなりのご高齢でしょうか。

1612184.jpg

1612185.jpg

1930年(明治43年)1月23日。鎌倉市の稲村ケ崎沖で、旧制「逗子開成中学」の生徒11人と小学生1人が乗ったボートが転覆し全員が命を落としました。それを追悼して作られた歌です。6番まであり若くて帰らぬ人となった子どもたちへの哀歌になっています。しかし、この事故の原因。不良生徒が学校所有のボートを無断で持ち出したうえ、天候の急変を恐れた地元の漁師さんの制止も聞かず漕ぎだしたことだそうです。

1612186.jpg

 この稲村ケ崎に纏わる歌がもう一つ、あります。これもまた、ある程度の年齢以上の方でなければご存じないかも知れません。
『七里ヶ浜の 磯伝い
 稲村ケ崎の 名将の
 剣投ぜし 古戦場』

ボート遭難事故からさらに遡ること600年。鎌倉時代末期の1333年(元弘3年)5月21日、後醍醐天皇の綸旨を受けた新田義貞が討幕のため鎌倉を攻めました。しかし鎌倉は東・北・西の三方を山に囲まれ、南は相模湾が広がる難攻不落の場所。義貞は鎌倉の相模湾に面す七里ヶ浜の西端にある稲村ケ崎から攻撃を仕掛けました。しかし、海岸までせり出した小高い岬を越えての進撃は難航します。そこで義貞は相模湾に剣を投げ龍神に祈願したところ潮が引き岬伝いに干潟ができました。その干潟を伝って鎌倉に攻め込み、また相模湾に浮かべられていた幕府方の船も引き潮のため沖に流されたこともあり幕府を倒すことに成功しました。恐らく義貞は潮の干満を予め知っていたうえでの大芝居だったのかも知れません。

平氏から源氏、そして北条氏へと目まぐるしく移り変わった武士政権。後醍醐天皇の勅命を受け建武新政の中心を担った義貞も、その後、足利尊氏と対立し最期は越前の国で戦死してしまいます。

鎌倉側から見た稲村ケ崎。小さいながらも海にせり出した小高い丘になっており、向こう側から攻めるには大きな壁になっていることが分かります。

16121810.jpg


この地に立ちますと、人生の儚さも感じさせられます。

江の島の向こうに見えるのは伊豆の山々です。

1612187.jpg

今日の相模湾は、そのような過酷な歴史の面影も感じさせないような穏やかさでした。

1612188.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログへ
にほんブログ村

市が尾横穴古墳群(横浜市青葉区)

1612071.jpg

東京の渋谷と神奈川県中部を結ぶ東急田園都市線。その沿線の中でも人気の高い横浜市青葉区は、古代より人の住みやすい土地柄だったのでしょうか、幾つかの古墳が点在しています。その一つが市が尾(イチガオ)横穴古墳群。田園都市線市が尾駅やら徒歩15分ほどの小高い丘の中腹に19基の横穴式の墳墓があります。

1612075.jpg

1612079.jpg

市が尾横穴古墳は6世紀後半から7世紀後半の古墳時代に造られたとみられています。
古墳言えば、前方後円墳が思い浮かびますが、前方後円墳は3世紀から7世紀初めの頃に築かれていました。感覚的には簡素な横穴式の方が、前方後円墳より以前に造られていたように思います。しかし横穴式が造られるようになったのは前方後円墳がより後、5世紀後半の九州北部からです。その後6世紀に山陰山陽、さらには近畿・東海地方に広まり、7世紀初頭には関東から東北南部にまで造られるようになりました。特に大化の改新による薄葬令により大規模な古墳が制限されるようになり一気に広まったようです。埼玉県にある吉見百穴は歴史の教科書にも出てくる横穴式墳墓の代表です。200基以上ある吉見に比べますと規模は小さいですが、全国的に見て19基は決して少ない数ではありません。ここに埋葬されているのは地元の有力な農民だとされています。
墳墓は西向きに造られており、天気の良い日(特に冬)には富士山、更には南アルプスまで望めますから、この地に墳墓を造ることができた、と言うのはその裏付けにもなるでしょう。この辺り一帯は、現在の東京湾(横浜港)から北へ20㎞余りですが、鶴見川さらにはその支流の谷本川が流れる平地も広がり、良好な農耕地だった、と推測できます。
副葬品の金環や勾玉などの装身具や須恵器なども発見されました。

1612074.jpg

現地は、墳墓の前の斜面には雑木が多い茂り、眺望が遮られてしまっています。

墳墓の入り口は高さ1m弱。内部を見学することができます。腰をかがめて入って行くと5m先に玄室(被葬者を安置する場所)があります。
1612073.jpg

1612072.jpg

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログへ
にほんブログ村

せとうち旬彩館で今治タオル購入

久しぶりに会社帰りに新橋駅前にある愛媛県と香川県合同のアンテナショップ「せとうち旬彩館」へ行って来ました。
今回の目的は、ランニング仲間との忘年会での景品の用意。

アウトドアのみならず室内でも使用できるネックスポーツタオルバリィさんがあしらわれたハンドタオルとはんかちタオル。
今治タオルは東京でも好評です。

1612031.jpg

1612034.jpg

1612035.jpg

1612032.jpg

1612033.jpg



にほんブログ村
プロフィール

kiyo & yoko

Author:kiyo & yoko
努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR