「格差を受け入れてでも、秀でた者を育てる必要がある」。橋下大阪府知事が率いる大阪維新の会が「教育基本条例案」を提出している。その立案者の一人の発言だ。この条例案に関しては、様々な論議すべき問題があるが、今日はこの発言に関しての私見。

 ヨーコは40歳を過ぎて改めて教職をめざし大学に再入学した。おそらく彼女は、元裁判官で自身エリートであっただろう立案者の基準でいえば、決して「秀でた者」ではないだろう。教員に採用される可能性も極めて少ない。採用されても、この条例案にある「相対評価として最低評価をつけられる5%」になるかもしれない。それでも、夢を実現させるために挑戦を続けている。

 「躓いた経験のある者は、躓く子供が理解できるはず」。それが彼女の目標とする教師像。そして、仮に躓いてしまっても、何歳になっても目標をもって、やり直しのできる人生を送ろう。それを自身の姿で見せること。

 子供たちの才能や適性、希望は様々だ。それなのに、子供たちを学力だけで計るのか。格差を生んでまでエリートを育てなければならないのか。

 大阪府の教員採用試験の受験資格の内、年齢制限は60歳までといいうのは、ヨーコにとっては全国でも数少ない受験可能な都道府県だったのだけれど、残念です。
Secret

TrackBackURL
→http://kiyoandoyoko.blog137.fc2.com/tb.php/220-ebdbb442