今、テレビを見ながら書いています。
 今日のテーマは、お城。少し、オタク的な内容です。

 私の趣味の一つにお城巡り、というのがあります。と言っても、全国全てのお城を見たわけではありません。それでも、私が一番好きな城は『松本城』です。その松本城がテレビで取り上げられているので、思いついて書いています。そのため、写真が用意できず、残念です。が、有名な城なので、写真やテレビでご覧になられた方も多いとは思います。

 松本城は、信州にあります。天守閣の外壁は黒漆と白漆喰のツートンカラー。早春の頃は、黒漆と北アルプスの雪が絶妙なコントラストを描きます。石垣の高さは、各地の城と比べて低いです。それによって安定感が醸し出されるうえに、天守閣を囲むお堀までの距離も近いため、天守閣の全景が美しく水面に映えています。これが、私が松本城を一番好きだと思う理由です。

 築城されたのは今から410年前。関が原の戦いの少し前です。戦国時代の真っ只中、しかも、鉄砲が普及し、それまでの戦とは異なった戦い方や防御が求められる時代でもありました。それに備えて様々な工夫が築城に当たり施されています。また、天守閣の中には『御座の間』が設けられていました。これは万一、落城を余儀なくされた場合、城主が切腹する場所です。松本城の持つ、戦いの顔です。

 その一方で、築城40年後には天守閣に月見櫓が増設されました。名前のとおり、宴を催す場所で、これは全国のお城の中でも、極めて珍しい造りです。これは松本城の持つ、平和の顔。

 戦いと平和の二つの顔を持っています。ただ、これだけではなく、この城は更に、「東と西」という二つの顔を持っています。

 松本城を築いたのは石川数正と言う人です。数正は当時、徳川家康に属していましたが、築城後、豊臣秀吉側に寝返りました。このため、、松本城は大阪の秀吉側から見れば、江戸の家康をけん制するため、東を向いて睨みを効かす城となりました。ところが、数正の息子は、関が原の戦いでは家康側につきました。結果、松本城は、今度は江戸の家康側から、大阪の豊臣家に睨みを効かすため西を向いた城になりました。

 一つの城が、二つの顔を持つ、というのはとても興味深いです。ひとりの人でも、この人が、と思わせるようなもう一つの顔を持っている人の方に魅力を感じます。ジギルとハイドとは言いませんが、一つの言葉では括れないような人間性を持っていたいと思うのです。そんなことを考えさせられる松本城でした。
 ということで、『お城さん』というカテゴリを増やしてみました。

 今日は、このブログを初めて一番取り留めのない内容になってしまいましたが、今日は、伝えると言うより自分への備忘録的なものです。
 
 
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