2011.12.12 もんじゅ
 どれくらい前だったでしょうか。つかこうへいさんが、高速増殖炉に「もんじゅ」と言う名前が付けられた時に、人間は傲慢だという趣旨のコメントを出されていたのを読みました。文殊菩薩は知恵を司る仏様。それを高速増殖炉の名前に用いることを指してのことだったようです。いつか人間は仏様の怒りをかうことになる、と言うようなことも書かれていたように思います。そして今、もんじゅの廃炉が検討されています。

 ただ、敢えて「もしも…」を言うのなら、もしも今春の地震が起こらなければ、どうだったのでしょう。

 各地で放射能測定が行われ、異常値が出た原因を調べると、原発とは無関係な物質による物が身の回りにあったことも判明しています。それを考えますと、全てが全て原発悪し、で片づけることはできない、とも思います。今まで、あまり関心がもたれていなかったことも、ないはずはないと思います。少し原発が可哀想な気がしないでもありません。

 古典落語の中に、亀を売る商人がいて、縁日の露店で「亀は万年生きるので、縁起物ですよ。孫子の代まで可愛がってあげられますよ。」と言うのを売り文句にしていました。それを聞いた一人のお客が高額な代金を払って買って行きました。ところが翌日、そのお客が血相を変えて商人に怒鳴り込んできました。「亀は万年生きると言って高く買ったのに、今朝死んでしまったじゃないか。嘘をついたな、どうしてくれるんだ」と。それに対して商人は落ち着き払って言いました。「それは今日が、あの亀の1万歳目の誕生日だったからでしょう」。

 原発事故に限らず、地震その他、いろいろなこところで「確率」という数字が出回っています。今回の原発事故に対しても、事故が起こる確率は極めて低いと言ってきた科学者に対し、批判する論調が見られます。どれほど低い確率であっても、それが今日起こらないとは言えません。確率がゼロ出ない限り、いつ起きても不思議ではない覚悟をもっていなければならないのかも知れません。今回の悲劇を無にしないためにも。

 これは1967年に発行された国内初の原子力船「むつ」の完成を記念した切手です。当時10歳の私には原子力と言うのがどの様なものか十分理解はできていなかったのでしょうが、何となく未来を拓く力というようなイメージを持っていました。
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  今は、原発不要論が大勢を占めているようです。確かに原発による被害は大きく、今後も危険が付きまとうことには違いないでしょう。ただ、私たちは(と一般論で括ってしまいますが)、多かれ少なかれ、原子力発電の恩恵に浴していたこともまた、間違いはないと思うのです。そしてたった今の生活の中でも、原発が一斉に止まってしまった時、それに対応できる備えが十分にできているか、も考えなければならないでしょう。

  それにしても、恩恵に浴しておきながら、ひとたびことあらば、恩を忘れて手のひらを返す。原発に限らず、人の世には少なくないことかもしれません。

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今日は、昼休みにラン練習9km。
 前半5㎞は27分32秒、
 後半4㎞はのんびりジョギング。

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