11日に、2005年に4月にJR宝塚線で起きた脱線事故に関し業務上過失致死傷罪に問われていたJR西日本前社長に対する判決が出て、被告の前社長に無罪の判決が言い渡されました。誰に与するとか非とするかを抜きにして、考えさせられる判決でした。
 
 罪罰法定主義とは、罪が法律上定められていなければ罰することはできない、というものです。人を罰する時は、その人の行為が罪に該当すると判断されなければなりません。そして、その行為が罪になるためには、法律で定められていなければなりません。その法律の代表が刑法です。

 今回のJR西日本の脱線事故に関しては、事故発生当時には危険個所にATSの設置を義務付ける法律はありませんでした。ですから「ATSを設置していれば事故が防げたはずだから、設置していなかった鉄道会社と経営者に責任がある」というのは、今回に関しては刑事裁判上は認められなかったことになります。これは、残念ながら、感情では判断できないことになります。安全を最優先にすべき鉄道会社の社長として取るべきだった行為をとらなかったことと、それが罰せられる対象だったかどうかは、異なることです。いくら市民感覚として罰せられるべきと思われても、その行為が法律で罪と定められていなければ罰することができません。感覚では、道義上の責任=刑罰上(法律上)の責任と考えがちです。しかし、この二つの責任は明確に峻別しなければなりません。
 
 市民により強制起訴された政治家の裁判、異例の長期になりそうな結婚詐欺にかかわる殺人容疑事件の裁判員裁判など、推移を注目しておかなければならない裁判が続きそうです。また、昨今は人の行為が多様化しています。市民感覚を重視するならば、どのような行為を罪とするか、法律を整備することの方が先決であるような気もしています。

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