長浜鉄道スクエア

 歴史は巡る、と言いますか、戦国時代の長浜城の盛衰が、時を経て文明開化を目指す明治から昭和にかけて長浜は鉄道交通の要所として盛衰を重ねたようです。

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 「長浜鉄道スクエア」。長浜市の現在のJR長浜駅南にある鉄道博物館です。長浜を訪ねるまではそのような博物館があることは知らず、現地の観光案内で見つけました。博物館を訪ねるまでは、あまり大したことはないだろうと、期待はしていませんでした。ところが博物館の建物は、現存最古の駅舎として1958年に鉄道記念物に指定された旧長浜駅舎と利用したもので、中の展示物などにも貴重な物がありました。そして長浜駅の歴史を知り、改めて長浜の地に思いを寄せました。

 日本の鉄道が最初に開通したのは1872年の新橋~横浜間。これに続くのが1874年の神戸~大阪間、1877年に、大阪~京都間、1880年には京都~大津間と北海道の手宮~札幌間です。さらに1882年釜石製鉄所専用鉄道に続いて開通したのが現在の北陸線になる長浜~柳ケ瀬間と柳ケ瀬トンネル西口~金ケ先(敦賀)間です。当時の明治政府は鉄道網の整備に当たり、東京・京都を結ぶことと太平洋と日本海を結ぶことを重視しました。このため長浜は重要な地点になっていました。東京・京都間の鉄道路線から琵琶湖東北岸を通り福井県敦賀市へ抜ける路線が計画・建設されたのです。長浜は日本で7番目の鉄道路線の起点となりました。なお、金ケ崎トンネルが完成し、長浜と敦賀が結ばれたのは1884年。新橋~長浜までが開通する5年も前のことです。

 ところで、この鉄道網の広がりの中で、現在の東海道線が新橋~神戸間が全線開通するのは1889年7月です。それまで神戸~大津、長浜~金ケ崎は開通済みでしたが、大津~長浜間は未開通でした。このため大津~長浜間は、1882年5月から1889年7月の7年間、日本初の鉄道連絡船(太湖汽船)が運行されていました。当に、秀吉が琵琶湖の水運の利便さに目をつけ長浜に城を築いたことの先見性が証明されたようなものでした。鉄道連絡船には日本初の鉄船が用いられ、総トン数500、350人乗りで、長浜~大津間を3時間半で結んでいたそうです。この当時は、長浜駅周辺には28件の宿が軒を連ねていたほか、15の運送店、4軒の飛脚業があったそうです。また陸蒸気を観たい、乗りたいという人も多く訪れ、カフェーや料理店も増え、鉄道の町として活気に溢れていたそうです。

 ところがその長浜駅も、現在の東海道線が長浜の南を通り関ケ原から米原、彦根へのルートになったことで東海道線からは外れてしまいました。更に1920年代になり琵琶湖の西岸で江若鉄道の建設が進み、1974年にはJR湖西線が開業、京阪神~敦賀間の所要時間が短縮されることになり、現在では京阪神~北陸間の特急電車は全て湖西線を走るようになりました。一方、琵琶湖北東岸の長浜駅は、名古屋・米原間と北陸を結ぶ特急や敦賀・米原・彦根・大津を利用する乗客の為の各駅停車が停まる程度になりました。

 その長浜駅舎を利用した博物館には、大人も子供も楽しめる展示やジオラマが設けられています。

1.2等乗客待合室と駅長室。
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D51型蒸気機関車793号機
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1957年に北陸本線が電化された当時活躍していたED70型電気機関車1号機(日本で唯一現存するED70型だそうです)。
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長浜駅を模ったジオラマ。ブルートレインや国鉄時代の特急電車の模型が走り回っています。
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待合室には,茶々、初、江の浅井三姉妹も座っています。
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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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