前科での立証、厳しく制限

 9月7日の最高裁で、被告人の有罪か無罪かを判断する目的として、その被告人の前科を証拠として使う危険性を懸念した判断が出た。極めて穏当な判断であると思う。

 今回の事件は、被告人が窃盗目的で民家に侵入した後に放火したとして、住居侵入並びに窃盗、現住建造物等放火の罪で起訴されたものだ。この被告人は20年前にも同様の事件を起こした前科が10件あった。これに対し東京地裁で開かれた一審の裁判員裁判では、検察側が提出した被告人の前科10件の証拠を「裁判員に不当な偏見を与えるおそれがある」として裁判所は証拠としては認めなかった。検察側としては過去にも同じ事件を起こしているので今回もこの被告人が事件の犯人であることを立証しようとしたのだろう。しかし裁判所は証拠を却下した。そして判決は、住居侵入と窃盗について有罪とし、現住建造物放火については無罪となった。
これに対し二審では、今回の事件の手口が被告人の前科とよく似ているとして、一審の手続きは違法と判断した。それを受けて弁護側が上告していた裁判での9月7日の最高裁の判断で、被告人の前科を証拠として用いるのは根拠の乏しい人格評価につながりやすく、事実認定を誤らせるおそれがある、として、前科を証拠とすることに制限を加えた。平たく言えば裁判員が「その人は前にも同じような罪を犯したから、今回もまた犯したはずだ。」という思い込みよる判断をしないようにしなければならない、ということ。

 裁判に限らず、私たちは日常でも人と接する時、その人の過去や経歴に縛られ今目の前にいる人に対し予断や偏見を持ったり、誤った評価をしてしまうことは少なくない。所謂、色眼鏡を通して人を見てしまうことは人の「感情」としては実際には少なくはない。
 しかし、普段でも、特に裁判の場ではそれはあってはならないこと。裁判では今回問題になっている事件の、現場・現物・現実を客観的に判断して、被告人が有罪であるか無罪であるかを決めなければならない。今回の最高裁の判断は、一般市民である裁判員に、被告人に対する予断・偏見を与えないために、被告人の前科を証拠として使うのに厳しい制限を与えたものである。

 ただ、日本の裁判員制度はアメリカの陪審員制度などと異なり、有罪か無罪かを決めるだけでなく、有罪であった場合どの程度の罪が妥当であるかという量刑の判断まで裁判員に求められる。このため、量刑の判断をする場合は、その人の前科の有無も大きな判断材料になってくる。再犯のおそれがあるかどうか、が大きくかかわってくる。
 前科は、有罪か無罪かの判断には用いず、量刑判断の材料だけにしなければならない。これは一般市民には難しい使い分けであり判断であると思う。
 現に9月8日付朝日新聞朝刊39面に今回の最高裁の判断に対する裁判員経験者二人の「前科があれば逆の判決(無罪ではなく有罪)になっていたと思う」、「前科を聞いたうえで有罪か無罪か判断したい。被告(人)の全体をみて判断したいから」というコメントが出ていた。私はこれは誤っていると考える。有罪か無罪かは、あくまでも目の前の事件に関する証拠のみを客観的に判断するべきであり、被告人に前科があるから有罪、というのは違う。そして被告人の全体を見て判断するのは量刑に関してのみであり、有罪か無罪かの判断材料にしてはならない。この辺りがまだ裁判員制度に対し私たち市民は成熟していないと思う。

 予断・偏見を防ぐための裁判員制度の改正や裁判官の工夫が求められているが、むしろ、これらは私たち自身が日ごろから偏見や予断をもって人と接しない、と言うことが大切になってくることだろう。難しいことだが、裁判員制度を通じて今問いかけられている。

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