被告人と被告

 「一字違いで大違い」。大喜利や寄席、お笑い番組などで時々お題になります。今回のお題は『被告人』と『被告』。どちらも裁判で訴えられた方の呼び名ですが、人が付くのと付かないのとでは大違いです。人でなし、と言う言葉もあるので、人が付く方がまだましなような気がします? ところが…。

 裁判には大きく分けて刑事裁判と民事裁判があります。
 刑事裁判は法律に定められた罪を犯した人が対象になります。通常は警察に逮捕されて検察に告訴される裁判です。告訴された人が「被告人」。裁判で有罪判決が確定すれば即、前科ということになります。罰金を払うくらいだけでなく、最高刑は死刑です。ただあくまでも被告人は有罪判決が確定して初めて犯罪者となるのですが、市民感覚では、逮捕された時から白い目で見られがちになります。ましてや刑事裁判で「被告人」という立場になりますと、社会的立場を含め、極めて苦しい状況におかれます。職を失うこともありますし、家族にまで影響が及ぶことも少なくありません。
 一方、民事裁判は罰則の伴う罪を犯したのではなく、通常生活の中での争い事が対象となり、警察に逮捕されることはありません。貸した物を返してもらえないとか、損害賠償、離婚問題、不当解雇だ等と言うのが対象です。この民事裁判で訴えられた方が「被告」。裁判に負けても金銭的な支払い義務が生じるなどのことはありますが、身柄を拘束されたりすることはなく前科にはなりません。
 どちらかと言えば民事裁判の方に「人」が付いた方が、まだましなように思うのですが、法律上は違います。
 
 政治家・小沢一郎氏の無罪が確定しました。検察審査会の議決により強制起訴されて以来、凡そ3年7カ月の間、被告人の立場にありました。検察が告訴を見送ったことに対し、市民感覚で議論された審査会の議決を受けての年月でした。その間の、小沢氏の政治家としての立場や、日本の状況は申すまでもありません。

 キヨタは、小沢氏に対し特段の思いも何もありません。ニュートラルな立場から「疑わしきは罰せず」が大原則の現行の刑事裁判においては、無罪確定は当然の結果と考えるだけです。そして今回思うのは、市民感覚の危うさです。特に「自分たちでは判断できないので、裁判で白黒をつけるために起訴した」という理論には多少違和感を感じます。
 確かに今回の裁判において、検察が証拠をねつ造したことや、政治家の金銭感覚だどうだったとかの問題が現れました。その過程での検察審査会という制度そのものは尊重されるべきものと思います。ただ、その成果と、市民感覚だけで一人の人を被告人の立場に置くこととは少し違うような気がします。一つ間違えば「気に入らいない奴だから被告人にしてしまえ。」とまで行きつきかねないことは、防がなければなりません。

 被告人となっただけで、それまでの全てやこれからの将来を奪われたり大きく変えさせられてしまうこともあります。そして今回の裁判の結果、検察審査会制度に対する問題提起もなされています。折角、市民に与えられた権利として存在する検察審査会制度や裁判員制度を根付かせ有意義なものにしていくためにも、私たち市民自身の法律に基づく冷静な判断が求められます。

 なお蛇足ながら、かなり多くのマスコミにおいて「被告人」を「被告」と表現していることに対しましては、市民感覚として苦言を呈します。

 今日は雨、しかもスポーツクラブの定休日のため、こんな暇ネタを書いてみました。

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