今から半世紀近くも前。有名なマラソンランナーが自殺したらしい、と知った記憶がある。今から思えば小学校5年生だった。ただ当時は、マラソンと言うスポーツも、自殺と言う行為も身近になかったので、その意味も重みも、子供心にすら感じていなかったのは事実である。
 
 そのランナーの名と実績を知ったのはそれから3,4年後、中学生の時だった。切っ掛けは、ピンクピクルスと言う女性ボーカルグループが歌った「一人の道」という曲だった。イントロ部分には東京オリンピックでのマラソンの実況中継の録音が入れられていた。実況でアナウンサーは何度も叫び続けていた。「円谷危ない。」と。
 
 円谷幸吉さん。1964年の東京オリンピックのマラソンで、42㎞近くを走り終え競技場に戻って来た円谷さんはあのアベベに次いで2位だった。ただ背後には3位の英国選手が迫っていて、勢いは3位の選手の方にあった。その状況をアナウンサーは伝えていたのだ。そしてゴールまで200m余りの所で追い越されゴールしたのは3番目。「もう少し早く、3位の選手が近づいていることに気づけば。」とも言われるが、「決して後ろを振り向くな。」という父親から教えられた言葉を守ってのことだったとも言われている。それでも東京大会のメイン会場であった国立競技場の表彰用ポールに唯一、日の丸を翻させた選手となった。ただその功績は、称えられると同時に次のメキシコオリンピックでの更なる活躍が期待され求められる立場にも立たせた。

 そのランナーがメキシコオリンピックが開催される年の1月9日に自殺した。故郷の須賀川に帰省し、両親や兄弟、親せきと新年を祝った直後だった。享年は27歳。

 東京大会の後、体に故障を抱え手術も経験し、なかなか調子が上がらないにも拘らず、メキシコ大会への期待だけが高まる中で起きた悲しい出来事と捉えられている。また、結婚を望んでいたにもかかわらず、メキシコが終わるまでは止められていたことも一因とする人もいる。

 拙い情報の中で知る限りでは、自衛隊員だった円谷さんの周囲で腕力による制裁や体罰は行われていない。それでも、オリンピックのマラソンで銅メダルを取るほどのランナーは自殺した。それは腕力以外の、オリンピックで結果を出すことを求められる重圧によるものだったと思う。

 近頃のスポーツ界の体罰問題の背景に勝利至上主義があるとも言われています。ただ勝利を望むのは選手や現場の監督、コーチだけでなく、一般の人や煽るマスコミにもあるではないか、と感じています。勝利至上主義を批判する新聞社が主催する高校野球の全国大会も、県大会初戦で1対24で負ける高校には門戸は開かれていません。

 2020年の再度の東京大会へのPRが進んでいます。地元開催となれば国内の選手への期待もいつも以上に高まるでしょう。それでも円谷さんのような事態は、「オリンピックを楽しんで来る」選手の多い現代では起こりえないことかもしれません。ただ、川端康成や多くの作家が感嘆した円谷さんの遺書は、「メキシコオリンピックの御成功を祈っています。」と言う言葉で結ばれています。オリンピックの重圧に耐えかねてもなお、オリンピックの成功を願っていることが、とても悲しく思います。体罰をなくす方策は現場だけにあるのではないはずです。

表彰台で手を挙げている円谷さんです。今どきのように、メダルを噛んだりすることはありません。お人柄もあるのでしょうが、朴訥とした印象を受けます。
円谷幸吉さん
 
 ご関心のある方は、円谷さんの遺書や「一人の道」はネットで検索できます。


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