2013.06.29 56歳にして
マラソン大会に参加して、完走目指して走っている途中で、大会事務局の都合によりレースの距離が延びたら…。

フルマラソン42.195kmのレース。折り返しを過ぎあと半分の21㎞、と気持ちを入れ直したら、急にゴール地点が30㎞先に変更された。全部で50㎞走ることになるの?と文句を言いつつも、それでも仕方ないので走り続ける。そして本来ならゴール地点だったはずの42.195㎞を横目で見つつ、後8㎞頑張ろうと思っていたら、諸般の事情により更にゴール地点が先になり後20㎞走らなければならなくなった。さすがに「もう、やってられねぇよ」と思って走るのを止める…、というわけには行きません。参加料も払っているし、途中で止めても救護のバスはなく自力でゴールまで行くしかありません。この先更にゴールが延びるかもしれないにも関わらず。
 勿論、現実にあったマラソンレースではありません。しかし、現実社会の中では似たようなことが既に起っています。

 マラソンは人生に例えられますが、マラソンと人生には、決定的な違いがあります。それは距離と時間。
 マラソンはスタートする時にゴールまでの距離と制限時間が決められていますが、人生はいつまで生きられるのか分かりません。サドンデスということもあり得ますし、とても長生きできることもあるでしょう。マラソンの様にゴールが決まっているのならそれに合わせたペース配分(人生設計)もできるのでしょうが、そうはいきません。しかも現実社会においては寿命だけでなく、社会情勢も大きく変化することで人生設計を変えざるを得ないことも。

 キヨタが社会人になったころは、定年は55歳だったと記憶しています。もし、そのままであれば、既にキヨタは定年を1年前に迎え、今頃は悠々自適!とまではいかないまでも、企業年金や公的年金を受け取り瀬戸内海を眺めながら暮らしていたかもしれません。それがいつの間にか年金受給年齢が60歳になり、更に65歳にまでなりました。それどころかこの先9年の間に受給年齢が高齢化することも考えられます。しかも受給金額も減るでしょう。
 
 レースの距離が途中で長くなる一方で制限時間が短くなる、ような感じです。レースを運営する事務局(現実社会では政治家や官僚)は、多少の設営に手間はかかるでしょうが、自分たちが走るわけではなく(現実社会では彼らの生活には大きくは影響しないであろう)、ただルールを変更しますと言えば済むことかもしれませんが、走っている方は大変。職場の40歳代までの年代の人たちは自分たちは年金はもらえない、と諦めつつもサラリーマンなので年金は差し引かれています。

 定年延長で高齢者の働く機会は増えるでしょうが、一方では若い人たちの働く場所や成長の機会を減らしてしまっていることも現実です。若い人たちに支えてもらって早々に一線を退き趣味やボランティア活動に時間を費やせばいいのかも知れません。培ってきた経験や知識は縁の下の力持ちという感じで発揮する程度でいいのでは、とも思います。

 とは言え、キヨタもまだまだ働き続けなければまりません。56歳にして、縁あって都内の弁護士事務所の職員として働く場を得て転職することになりました。あと9年…。油断していると、きっとアッと言う間で終わるでしょう。

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