カツオからタラへ

 と言っても、サザエさんのお話ではありません。

 7月6日、神奈川県小田原競輪場で27歳の若者が競輪プロデビューを果たしました。関東地区にある大学在学当時はトライアスロン部の主将を務め、日本学生選手権でも好成績を納め、さらにデュアスロン(自転車とランニングの複合競技)では世界選手権の日本代表にもなりました。
 彼とは彼の大学3年の時、キヨタの身内が彼の所属するトライアスロン部に入部したのがきっかけで、応援に行くようになりました。

 大学卒業後は、プロの競輪選手を目指し続け、トレーニングに励んでいましたが、なかなか競輪学校への入学資格すら得られることができませんでした。一番の理由は筋肉体質だったようです。中高と長距離選手で、遅筋は発達していたようですが、競輪のようなスプリント向きの速筋を鍛えるのに苦労したようです。

 筋肉は速筋と遅筋で構成されています。速筋は白い筋肉でその名の通り瞬発力を生み出す筋肉で短距離向き。遅筋は赤く持久力向きの筋肉です。一般的にその割合は生まれつき決まっているそうですが、遅筋はトレーニング次第では鍛えていけるそうですが、速筋は後天的に鍛えるのは難しいそうです。それを彼は成し遂げつつあります。
赤身の魚から白身へ大変身です。

 そのデビュー戦、二人で応援に行きました。彼のご両親始め、トライアスロン部の仲間総計20人ほどが集結しました。
 因みに競輪場へ足を運ぶのは、ヨーコは初めて、キヨタは高校3年の夏以来37年ぶりです。キヨタは愛媛県の中高に在学していた頃、何度も松山市営競輪場へ行っていた不良生徒した!? いえいえ、レースに参加するためです。と言っても自転車競技をやっていた訳ではありません。陸上競技の試合で行ったのです。

 当時、愛媛県内には400mの陸上トラックは国立大学のグランドと、松山市営競輪場の2か所しかありませんでした。競輪場と陸上トラックの組み合わせも余りないことかもしれませんが、松山市営競輪場は競輪のバンクの内側に400m7レーンの土の陸上トラックが設けられていたのです。県大会レベルの陸上競技会は全てここで開催されていました。選手はレースに出るため競輪のバンクを横切って陸上競技場に足を踏み入れていました。テレビではやりの珍百景に投稿すれば採用されるかもしれません。競輪場施設内の車券売り場や払い戻し窓口など見慣れた光景でした。そんな環境の中で全国を目指して走っていました。今時なら「教育上良くない」と言われそうですが、ほとんどの生徒は何も感じていませんでしたし、それが原因で誰かがギャンブルに嵌ったという話も聞きません。
 話が逸れました。

 彼に話を戻しますと、今期、彼は競輪学校を一番で卒業し将来を大いに嘱望されているようです。今日のレースでも予想では◎が付いていました。学生の頃はアスリートとしては少し優しすぎるようにも感じていましたが、ここ数年の努力でこちらも進化していると期待していました。
 
 結果は7人中3位。やはりプロの世界は厳しい。観戦の時、たまたま隣り合わせたベテラン?競輪ファンによるとレース運びが下手、とのこと。初の実戦、ほろ苦のデビュー戦となりましたが、これをバネに、経験を積むことで更に飛躍して行けるだけの意志も体力も持ち合わせていると期待しています。努力が報われる、と思わせてくれる数少ない人の内の一人です。

小田原競輪場。 
20130706 (1)
部旗を掲げて応援しました。
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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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