物語の続きは、晩酌を友に

 それまでは自転車で15分だった通勤。先月から痛勤、じゃない通勤電車の生活に戻りました。もう何年ぶりでしょうか。久しぶりの車内は随分様相が変わっていました。以前は、オジさん(時にはエリート風OL)が、朝刊を苦心しながら折りたたんで読んでいました。今は、かなり多くの乗客がスマホを手にしています。指で操作しながら画面に見入っている姿は、少し異様な感じもしないではありません。
 そう言うキヨタも、2週間前、遂にスマホに機種変更。Face Bookやブログを自宅以外で読んだり書き込みすることができるようになり、異様な光景の一部を構成しつつあるかもしれません。

 それでも、車内読書の時間もあります。書店へ行けば数多くの書籍やビジュアル雑誌が並び、却ってどれを選べば良いか迷ってしまい、何も買わずに店を出てくることが殆どです。そして依然読んだ本を読み返しているのが実情です。しかし、本当に良い作品は何度読み返しても飽きがこないです。推理小説ですら、犯人やトリックは判っているに、読み返すことで初めは気づかなかった伏線などが見えてきたりして、新たな発見もあったりします。
 同じ作品でも、最初に読んだ時と再読する時の年齢や生活環境の違いによって、受け止め方もかなり違う物もあります。例えば、梶井基次郎の『檸檬』。20歳の位の時に接し、やり場のない鬱屈や、碌々として河原の石に互することを潔しとせず、などというい思いに、身が震えたのを覚えていますが、50半ばで曲がりなりにも経済的に自立しているこの歳で読み返すと、そのような震えのかけらすら湧いてきません。その意味では当時に出会っていて良かったと思っています。一方で、本棚の肥やしにしてしまっている中には、今読んで良さのわかる作品も少なからずあると思いますので、通勤電車の中で読み返してみようと思います。

 ところで、作家の書いた小説(フィクション)を読み終わって、若しこの小説に続きがあったら、と思うことはありませんか? 物語の後、登場人物はどのような生涯を送ったのだろう、本当に事件はこれで解決したのだろうか、などその後の世界を知ってみたいという誘惑にかられることがあります。何故、作者はここでやめてしまったの、続きがあるのじゃないの…。
 そんな時は「自分で物語の続きを書いてみましょう」。ある文学講座の先生の出した課題です。物語の行く末やどんでん返しなど、作者に任せるのではなく、自分で作ってみましょう、と言う課題です。所謂「後日譚」というやつです。これが結構、面白いです。大作の文学作品を書く力はなくても、これでしたら、自己満足の世界ながらも、十分楽しむことができます。その時の課題図書は、漱石の「三四郎」。キヨタの中では三四郎は将来、胃痛に悩まされる大文豪になりました。
 さて、あなたにとって気になる登場人物の将来は?グラス(お猪口)片手に想像の世界に…。

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午前3時過ぎ。阿久悠 作詞、岩崎宏美の歌う
「思秋期」が流れる。そして、貴方のお父さんの
お気に入りだった「もしもピアノが弾けたなら」
もラジオから。 阿久悠はいいねえ。

2013.08.07  雑記
 読ませて貰いましたよ。ぼちぼち頑張って
 下さいね。
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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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