ミヒツのコイ

 遊び気分でマンション5階のベランダから鉢植えを落としたら、たまたま下の道を通りがかった人に当たってケガをさせてしまった。落とした人には誰かにケガをさせるつもりはなく、たまたま人に当たってしまっただけなので落とした人には罪はない?
 
 食の世界で「誤表示」と言う名の「偽装」が止まりません。提供者側は「認識が甘かったと」か、「細かくチェックできていなかった」とかの言い訳で、単に間違えただけで意図して(故意に)騙そうとしたのではない、と言いたいようです。故意でなければ許されるの? ということで、前回に続きコイの話です。ミヒツのコイ。『秘密の恋』の誤表示でもなければ『密室の恋』の偽装でもありません。『未必の故意』の話です。

 人が罪を犯したとき、「故意」や「過失」という言葉が出てきます。
 交通事故の報道で容疑者が「自動車運転過失傷害」の疑いで現行犯逮捕された、というのは新聞などでも良く目にします。自動車を運転している時に、運転手に過失(事故を起こすつもりはなかったけれど、必要な注意を怠っていた等)があったことが事故の原因である時に使われます(因みに命を奪ってしまった時は過失致死)。交通事故に限らず、過失とは加害者側が意識して人や物を傷つける(罪を犯す)つもりまでははなかったけれど、不注意により結果的に傷を負わせて(罪を犯して)しまった、というものです(過失の程度によっては軽過失・重過失という捉え方もあります)。
 過失に対し、故意というのは、これから自分がしようとする行為がどの様な結果を招くか分かっていた上で、自分自身の意図としてその行為を行うことです。その行為が罪にあたる時は、当然のことながら罪に対する刑罰は過失より一般的には重くなります。

 未必の故意はその中間的な(或いは故意に近い)所にあります。冒頭の例の場合、鉢植えを落とす人は、誰かを傷つけてやろう、と言う明確な意図をもって落としたわけではありません。たまたま下を通りがかった人に当たってしまったのです。ですから故意とは言い切れません。それでも過失と違うのは、下には道があって人が歩いているかもしれない、そこに5階から鉢植えを落としたらどうなるかということ(結果)は普通の人なら十分予測することができます。それが分かっていながら落としたのですから、過失よりは重くなります。

 食の偽装。連鎖が止まりません。みんなで渡れば怖くない? どさくさに紛れて私も誤表示してました、と告白すれば一軒当たりの風当たりは弱まる、とでも思っているのでしょうか。「注意が足りませんでした、知識がありませんでした、結果的ご迷惑をおかけしました。」まぁこれがプロの言葉とは信じられません。特に近頃の言い訳によく出てくる『結果的に』と言う言葉。まるで、発端や経過には問題がなかった、とても言いたげです。偽装や偽表示をすればどの様な結果を招くかは、事前に、そしてその行為の途中でも予測できることです。これは過失を越えた未必の故意であり、更に利益を得るために行っていたのであれば故意にやっていたとしか思えません。店の経営者にしても、厨房現場にいなくても、収支状況を見ればメニューに提示されている通りの適正な仕入れがされているかどうか位は判断できるはずです。現場の責任だけでなく厳しく処分されるべきで、後はどの法律を適用して罰することができるか、だけです。

 ただ、この騒動。必ずしも料理提供者側だけの問題とも思えません。客も食べている時には自分自身では偽装メニューとは気づかなかったのですから。ブランドや風評に左右されず、食を楽しむこと、食べられることそのものを楽しむことが望ましいのではないでしょうか。テレビの深夜で有名シェフや料理評論家が、飲食店やファーストフードの料理をランキングする番組があります。料理の美味しい、美味しくないは、人それぞれの好みだけでなく、何時、誰と、どのような状況で食べるか、で同じ料理でも味わい方が違うはずなので、ランキングに何の意味があるのか良く分かりません。どうせならこの人たちに、偽装メニューを見破る内容に変えた方が面白いかも。

 いずれにしても、この騒動、キヨタには関係ありません。ホテルでステーキを食べることも、車エビをオーダーすることもありません。例えスーパーで30%割引になった売れ残り商品が食材であったとしても、仕事を終えトレーニングを終え、自宅でのんびり食べる妻の手料理が一番美味しいです(偽装されていなければ!?)。 

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「サンキュー」と云われて痛む我が心、
手作りのうどん食べたる吾が妻が
美味しかったと繰り返しいう

知ってのとうり食卓は私の机。メモされていた。
当時、よく寝込じゃってたから。メモは大切に
していますよ。
「明日はわが誕生日なり妻も子も気付かず居れよ我も忘れむ」とメモ用紙に。文字は私の筆跡。
こころ動かされて何かから、書き写したのでしょう。
父性とや銀河にあばら骨浮けリ   ほつ枝

父を知らず父となりたる紙兜    ほつ枝
母を知らず母となりたる手毬唄

15日の晩は十三夜。海が見たくなり自転車を漕ぎ、何時もの土手道を行く。秋の陽は釣瓶落としと云うが暮の早さに驚きながらも、川面の美しさをたのしむ。浅川、綺麗な流れとは言えない川が夜は見事に変身。街灯のあかりを浮かべ煌めきながら流れて行く。
港 閑か。岸壁に沿いそぞろ歩く。赤い灯・青い灯のさざめく波が船の舷を打つ音。 振り向けば、今治城と国際ホテルが浮かぶ夜景。幻想的。
帰りはラジウム温泉のある通りに出る。胸がキュンと成る。街中に出ると此処を通らずには居られない。「ラジウム温泉今治遺産だと思っている。
幼い日(戦前)母に連れられて行った晴れの日。
戦後、階上がダンスホールになった。16・7歳だった私と友達グループは、物珍しさによく覗き見に行ってたっけ。お兄さんやお姉さん達がとっても楽しそうそうに踊っていた。
[ラジウム温泉] 頑張って建っていてね。少し草臥れてきたみたいね。心配しています。
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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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