人類学の知識はないのですが、人は、目蓋や口を自分の意志で閉じることは出来ますが、耳たぶを自分の力で閉じることができないのは何故でしょうか。見たくないものは目を閉じればいいし、言いたくないことは口を閉じればいい。でも、耳は手で塞ぐしかないし、塞いでも完全に聞こえてこなくなることはありません。嫌な音や声はどこにいても聞こえて来ます。

 今日、仕事の待ち合わせ相手が電車事故で遅れたため、先方の事務所ロビーで待っていた時のことです。隣のブースからの二人の男性の会話が衝立越しに聞こえてきました。聞き耳を立てるわけではないのですが、聞こえてくるものは仕方がありません。

 内容は、一方の人がミスを犯し、もう一人の人が注意しているようです。同じ会社の上司と部下、という関係ではないようです。取引先同士なのでしょう。ミスによって第三者に迷惑をかけてようで、クドクドとお説教しています。ミスをした人は既に十分に反省をしている様子で、また解決への方策も示しています。それでもなお、お説教は続きます。しかも、「どれだけ迷惑をかけるか分かっていますか。」と言う言葉が繰り返さるだけ。「それはもう分かっていますよ。」と、私が替わりに言いたくなるくらい、繰り返しています。私が来る前から始まっているようなのですが、私が来てからも既に15分近くたっています。しかも、説教をしている人の声が、野太い、だみ声である為、声そのものだけでも耳に引っ掛かる感じを受けます。その声で、これだけ言われ続けると、反省よりも反発を覚えてしまうのではないか、と心配です。脇で聞いている(聞こえてしまう)こちらまで、不快を感じてしまいます。その時、思いつきました。

 何で耳たぶで塞げないのかなぁ、と。

 待ち合わせ相手が到着したのは更に10分後。私たちは次の目的地に向かいましたが、お隣の会話、いえ、一方的なお小言はまだ続いていました。そのブースは出入り口と逆方向だったため、お顔は目蓋を閉じずとも見なくて済みました。

 マンションのピアノの音、階上の足音。車の騒音。公園で遊ぶ子どもの声まで。音を巡るトラブルが増えて来ています。それが元で事件まで。ここまで人が音に対して敏感になってくると、耳たぶも自分の意志で閉じることができるように、ヒトは退化するのでしょうか。

 
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