冬季オリンピックの歴史 (その2)

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 前回の続きです。何故、1936年にドイツで開催された冬季オリンピックの切手だけ、開催地のある国の国旗ではなく五輪旗が描かれているのでしょうか。

 先ず、当時の日本の国情。1936年は昭和昭和11年です。この5年前に満州事変が起こり、1933年に日本は国際連盟を脱退しました。そして1936年には二・二六事件、翌1937年に日中戦争が勃発し、1941年の太平洋戦争へとつながって行きます。

 一方、ドイツでは1933年はヒトラーが首相に任命された年です。その3年後にドイツで開催されたのがガルミッシュパルテンキルヘン大会でした。ヒトラーとオリンピックと言えば、ベルリン大会の方が知られていますが、同じ年の1月に開かれた冬季大会の方で先にヒトラーはオリンピックの開会宣言を行いました。

 ヒトラーといえば、ナチスドイツ。ナチスドイツと言えばユダヤ人への迫害。アラビア半島にあるイエメンとしては他の切手で描いている開催地のある国の国旗同様にナチスドイツの国旗を載せるわけには行かず、かと言って実際に開催されたオリンピックを省くこともできずの中での判断だったのではないでしょうか。

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 そのガルミッシュパルテンキルヘンの次の大会の切手はスイスのサンモリッツ大会の物です。開催年は1948年、前回大会から12年後です。オリンピックが4年に一度開催されることを考えますと間に2回分、空いています。切手をなくした訳ではありません。オリンピックそのものが開催されなかったのです。

 1940年は札幌での開催が決まっていました。ところが日本は先の事情のとおり太平洋戦争前夜。とてもオリンピック開催どころではありません。国際的世論もあり中止となりました。1944年はイタリアのコルチナダンペッツォでの開催が決まっていましたが、第2次世界大戦真っ只中。2大会続けての中止になりました。ドイツの後、日本、イタリアと何故か三国同盟を結んだ国での連続開催が決定されていたのですね。

 第2次世界大戦後、初めて開催されたサンモリッツ大会には28か国が参加しましたが、日本やドイツは第2次世界大戦の戦争責任を問われ、オリンピック委員会から招待されず参加できませんでした。スポーツに限らず好きなことを存分にやることも叶わず、それどころか明日もどうなるか分からなかったこの頃を思いますと、努力は必ず報われるとか、想い続ければ夢は叶うなどと言う言葉が空虚に感じられます。

 なお、この切手の図柄に描かれているスケートは、冬の間、凍った運河の移動手段としてオランダで生まれたのだそうです。

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 1952年、ノルウェーのオスロ大会で、日本が冬のオリンピックに復帰しました。30か国が参加、日本からは男性13人が参加しました。そして次の1956年大会では日本人初の快挙が達成されることになります。(続く)

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