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2014.06.21 1978年2月20日
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彼と出会ったのは1978年2月20日、モスクワから北海経由ロンドン行の国際列車のコンパートメントでした。キヨタ20歳の時。

私が先にコンパートメントに入っていました。後から入ってきた彼を見て「気が引けた」と言うのが偽らざる思いでした。国際列車の2人部屋で2泊3日同室になる人が初めて接する黒人とは。よもやモスクワの地で黒人と出会うは思ってもいませんでしたし、私も日本人としては体格のいい方ですが、写真からも推測されるようにこの人は私よりさらに一回り位大きく、外観からは「ちょっと怖い。」というのが第一印象でした。

とはいえ、他生の縁で同室になったのですからお互い無言で過ごすわけにもいきません。先ずは自己紹介から。そこで彼がガーナ人で、当時のソビエト連邦キエフに留学している医者だと聞かされました。小さな娘さんも写った3人家族の写真も見せてもらいました。その写真を見せてくれる時の笑顔は35年たっても残っています。最初に気が引けた思いを抱いてしまったことが恥ずかしくも思えました。
現代社会でも、国や民族間の武力や言論を使っての争いは残念ながら絶えることはありませんが、家族を思う時の笑顔や気持ちに間近に接することができれば、何とか乗り越えられるのではないか、という気がしないでもありません。当時の私の旅日記によれば、「日本から持って行ったカステラを差し上げたところ、初めてらしく、何度も呼び名を訊き美味しいと言ってくれた」そうです。

彼の名前は「参恵利 絵戸差」。勿論、当て字です。サミュエル・デドゥサと聞き取れた彼の名前を日本語で書いてくれと言ってきたのですが、咄嗟のことでこんな字しか思いつきませんでした。今思えばもう少し良い漢字で表してあげればよかった。
今、サッカーのワールドカップが開催されていて、ガーナも参加しています。この国の名前を聞くたびに彼のことを思い出します。ロンドンに着いて直ぐ別れましたので、彼が今、どこで何をしているか分かりません。けれどあの時の優しい笑顔を思えば、きっと祖国で信頼の篤い医師として活躍されているのだろうと思います。

国際列車の切符。20歳という若さの勢いで乗れたのでしょうか。何時何分発の何番線の何号車? 今では一人であのような旅ができるだろうか、と思います。

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ガーナの切手は1枚しか見つかりませんでした。 「MUD-FISH」という泥の中に棲む魚(泥鰌など)の総称らしいのですが、正しい呼び名があるのかも知れません。

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