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 鶴見川沿いの早朝ジョギング、まだ半袖半パンでも寒くはありませんが、手の指先が少し冷たさを感じるようになりました。そんな川沿いに一本の柿の木。実がいくつか生っていました。

 柿の実といえば、「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。
キヨタの故郷愛媛の出身の正岡子規の句。1895(明治28年)の10月末の作だそうです。
 初めて知った(習った)のはいつ頃でしょうか。小学生だったかな。なんだかのんびりした風景は思い浮かびますが、それほどまでに有名になるものかな?との印象も持っていました。
 ところが、同じ愛媛出身の文筆家である早坂暁さんによると、この句は自分の命がそれほど長くはないと悟っていた子規の辛い時に作られたのだそうです。日清戦争の従軍記者だった子規は船上で喀血し、当時では不治の病とされた結核を患っていました。松山に戻った後、漱石と知り合ったのはこの頃です。そして子規は、おそらく二度と故郷に戻れることはないだろうと覚悟を決め東京へ向かいます。その途中で立ち寄ったのが法隆寺。柿を食べながら鐘の音を聞いたのでしょう。それだけでも思いは募りますが、早坂さんは、子規は鐘の音を耳で聞いたのではなく、患っている肺で聞いたのだろう、と感じておられます。病んだ肺に空気を伝わって鐘の音の波動が深く響いてくるのだ、と。確かにその情景や心情を思いますと、ただのんびりと秋の空の下で柿を食べていただけではなかったのか、と辛さの方が募ります。

 子規が闘病の末に亡くなったのはそれから7年後、34歳でした。キヨタはその1.6倍ほど長く生きていますが、馬齢も甚だしい。まだ早いとの思いもある一方で、柿の実が生っている様を見ることができるのも後何年あるかな。生まれ直したつもりで、張り切って生きましょう。

 ※参考書  早坂暁著 「花へんろ風信帖」 1998年 新潮社出版

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我が家の柿の木、今年7個の実が採れました。 昨年は,13個。 初めて生った一昨年は、3個。
手入れが行き届かなかった所為でしょう…
今年は、鈴生りとの期待は叶いませんでした。

そして、桃の木は先日、植木屋さんに切り倒して頂いた。見事な桃を、ご近所の方もたのしんで下さったけれど、此の3・4年本当にほっぽってたから… 力尽きたのネ。 桃も,私も〟〟

 柿の木が見える盆には帰ろうか  ほつ枝

何百句の中から、取り上げて下さった選者。
感性、人それぞれです・・・



  

西郷の「もうここでよか」心にくし明日生きん
 こと敗走に似る         長尾 幹也

今朝の朝日新聞.歌壇の入選歌/ 馬場あき子選
「評」第一首の西郷の言葉は重いが、今日生きる
サラリーマンの敗走感の中で反芻されているかと
思うと、きびしさが沁みる。

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