2014.11.13
1411132.jpg

1411131.jpg


 鶴見川沿いの早朝ジョギング、まだ半袖半パンでも寒くはありませんが、手の指先が少し冷たさを感じるようになりました。そんな川沿いに一本の柿の木。実がいくつか生っていました。

 柿の実といえば、「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。
キヨタの故郷愛媛の出身の正岡子規の句。1895(明治28年)の10月末の作だそうです。
 初めて知った(習った)のはいつ頃でしょうか。小学生だったかな。なんだかのんびりした風景は思い浮かびますが、それほどまでに有名になるものかな?との印象も持っていました。
 ところが、同じ愛媛出身の文筆家である早坂暁さんによると、この句は自分の命がそれほど長くはないと悟っていた子規の辛い時に作られたのだそうです。日清戦争の従軍記者だった子規は船上で喀血し、当時では不治の病とされた結核を患っていました。松山に戻った後、漱石と知り合ったのはこの頃です。そして子規は、おそらく二度と故郷に戻れることはないだろうと覚悟を決め東京へ向かいます。その途中で立ち寄ったのが法隆寺。柿を食べながら鐘の音を聞いたのでしょう。それだけでも思いは募りますが、早坂さんは、子規は鐘の音を耳で聞いたのではなく、患っている肺で聞いたのだろう、と感じておられます。病んだ肺に空気を伝わって鐘の音の波動が深く響いてくるのだ、と。確かにその情景や心情を思いますと、ただのんびりと秋の空の下で柿を食べていただけではなかったのか、と辛さの方が募ります。

 子規が闘病の末に亡くなったのはそれから7年後、34歳でした。キヨタはその1.6倍ほど長く生きていますが、馬齢も甚だしい。まだ早いとの思いもある一方で、柿の実が生っている様を見ることができるのも後何年あるかな。生まれ直したつもりで、張り切って生きましょう。

 ※参考書  早坂暁著 「花へんろ風信帖」 1998年 新潮社出版

にほんブログ村 地域生活(街) 四国ブログ 今治情報へ
にほんブログ村
Secret

TrackBackURL
→http://kiyoandoyoko.blog137.fc2.com/tb.php/594-2f0d37a5