今治小島(オシマ) その3 芸予要塞跡

 小島は、元禄時代に隣の来島(クルシマ)から、村上水軍の末裔8世帯が移り住み開拓されたそうです。急流に囲まれているとは言え穏やかな瀬戸内の島には、その佇まいからは想像もできない要塞跡があります。日露戦争に備え瀬戸内海防備のために築かれた芸予要塞の跡です。1898(明治31)年に着工され1902年に完成したそうです。周囲僅か3㎞の島の中には、北部・中部・南部の3か所に司令塔や砲台、兵舎、発電所などが造られました。しかし日露戦争は1905年9月に日本の勝利で終わり、小島要塞は実戦で使われることはないまま、1924(大正4)年に廃止されました。

15112930.gif

 
 ところが、1927年に北部砲台は日本軍の爆撃演習の標的になります。陸軍立川飛行隊と海軍霞ヶ浦航空隊により1週間にわたり爆弾投下が続けられました。当時の新聞によると、演習はさながら陸海両軍の腕比べの要素もあり、周囲の島々には多くの見物客も集まったそうです。ただ、投下された爆弾は思ったほど命中せず、一部が破壊された程度で終わり要塞跡はそのまま現在に残っています。

 3か所の要塞跡を巡るのにはゆっくり歩いても2時間もあれば十分でしょう。ただ島内には迷路のような小道やあぜ道があり、木々の間を辿って行くとちょっとした探検家気分にもなれます。また、短い距離ながらも登り下りも多くあり、歩いて回るかなりの運動量にもなります。私は最初に南部砲台跡を訪ねました。そこから中部、北部と回るつもりでしたが、途中で道を間違え先に北部砲台跡へ出てしまいました。けれど怪我の功名とでも言いましょうか、中部砲台跡が最後になったおかげで最後に一番良い眺めに出会うことができました。
中部砲台跡の司令塔があった所からの景色です。高さ100m島の頂にあった司令塔の今は建物の痕跡はなく、10m四方ほどの草地になっています。そこからは周囲360度、瀬戸内の海や島々、そして四国の山並みが見渡せます。気分はまさに司令官。息を飲むほどの景色は、ここ来島海峡が古来より海上交通の要所であったことが手に取るように分かります。

今治の友達からの情報では、椿が満開になる頃はとても良いそうです。桟橋近くでは釣り糸を垂れている人たちもいました。その1、その2でご紹介させていただいたように、小島にはたくさんの魅力があります。天気の良い日には、お弁当とビール、そしてお気に入りの本の一冊、そして釣竿を持ってのんびり過ごすのも良いでしょう。

下の2枚は南部砲台の発電所跡です。
15112929.jpg

15112928.jpg

地下室跡
1511299_20151202222426f76.jpg

15112919.jpg

15112918.jpg

15112916.jpg

15112915.jpg

15112912.jpg

1511259.jpg

1511293_20151202222119db9.jpg

 なお、司令塔後からの写真は敢えて載せません。是非一度、足を運んで実際に目にされてください(急な石段を上らなければなりませんので、訪ねることのできない方のためには今度、写真を撮って来ます)。

宜しければ1ポチ、お願いします。
 ↓

にほんブログ村

コメントの投稿

非公開コメント

 おお! 構成っ。よく出来ていますね⋆⋆⋆
プロフィール

kiyo & yoko

Author:kiyo & yoko
努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR