「論理的に説明できるようになりたい」。「レポートを論理的に書けるようになりたい」。
 性懲りもなく、通信教育ネタ。このような感想を書いてこられる方が少なくありません。添削者の立場として回答すべきことはありますが、本音は、論理的って、そんなに万全なものでしょうか? そもそも、論理的ってどういうこと?

 論理的とは、首尾一貫しているとか、理路整然としている、とイメージ。一つの話題からそれず、繋がりを持っている、また話の根拠が客観的であること、などがそうでしょう。これに対し、思いつきとか、訳わかんない、と言うのが論理的でないと言えるのでしょうか。
 「風が吹いたら、桶屋が儲かる」というのは論理的? 出だしと結論には全く何の関連もないようですが、一つ一つを繋げて行けば、納得のできる結論が導き出されています。もっとも、繋がりは連想でしかない、というのが大きな欠点です。

 ビジネスの世界で、論理的にという背景には、「物事をきちんと説明して、相手を納得させたい。」という意志が見えます。しかし、それはこちらと相手の立場が(言い換えれば力関係)が、ほぼ同じくらいでなければ通用しないことだと思えます。大企業と下請け業者、経営者と従業員、国税庁と納税者。この金額で請け負ってもらえなければ他をあたります、いやだったらやめてもらって結構です、払っていただけなければ差し押さえます、言われてしまえばそれまで。会計報告書を見せ、家計簿を見せ、貯金通帳を見せ、その他窮状を訴えても駄目なものはダメ。ちょっと論理の飛躍ですが。
 
 このように、論理が全てに通用するとは思えません。論理より情に訴えた方が良いような時もあります。あまり論理に拘らず、時には思いつきを大切にすることも必要と思います。論理はそれ程、強いものではないと思います。
 ただ、このような本音を受講者に回答すると、添削業務がなくなります。業務が減ると収入が減ります。そうするとトライアスロンのレースにも出られません(酒の量も減らさなければ成りません)。ゆえに、私は本音を回答できません、というのが今の私の論理。

 英国に、「might is right」ということわざがあるそうです。直訳すれば力は正義なり。日本語に置き換えると「勝てば官軍」だそうです。わたしには、泣くこと地頭には勝てぬ、の方がぴったり来るような気もします。論理が勝てぬ相手はたくさんありそうに思われます。

 A「政治家は、国民から疑惑をもたれているお金については、きちんと説明するべきだ」。
 B「そんなことを言っていると、予算案採決の時に、腹が痛くなる(欠席する)かも知れませんよ」。
どちらの方が、より論理的と言えるでしょうか。そして、結末は…。
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