大晦日ママちゃりサイクリング 大角鼻の歴史散歩

 『ホワイトハウス』の大統領と別れ、さらに北上。今治市の最北端「大角鼻」を目指します。今治市の北端にある波方町には鼻高美男美女が多いのです。大角の他、梶取、錨掛、長泉、動仙。勿論、これらは人名ではありません。瀬戸内海に突き出た小さな突端を「鼻」と呼び、これらは波方町にある鼻に付けられた名前です。地図の一番上が大角鼻です。

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  大角鼻から眺められる瀬戸内海の景色も申し分はないのですが、来島海峡の西口にある大角鼻は瀬戸内の歴史、特に海上交通の中で重要な地でもあります。
大西町の妙見山古墳でも少し触れましたが、ここ来島海峡は古代の大和と隋や唐を結ぶ航路にもあたってしたかもしれません。平安時代には菅原道真が大宰府に流される時にも通ったとも思われます(今治市の桜井には道真が嵐を避け立ち寄ったと言われる場所に天満宮が建てられ道真が衣を掛けたと言われる岩が残されています)。
室町時代には、村上水軍の一族である来島村上家の居館「波方館(はかたのたち)」がありました。この波方館を守るために波方付近には小さな砦や見張り台が多数設けられていたそうです。これらを総称して「波方海賊城砦群(なみかたかいぞくじょうとりでぐん)」、別称「大角の砦」と呼ばれていたそうです。このように領主の館を中心に多くの砦でいつでも活動できるような城郭の形態は「群郭複合式(ぐんかくふくごうしき)」と呼ばれているそうです。また、海上を行き来する船を監視する(通行料を取る)ための番所も設けられていました。

番所跡
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 この次に大角鼻が歴史に登場するのは明治時代後半、日露戦争の頃です。これも依然ご紹介させていただきました小島にあった要塞に関連しています。ロシアのバルチック艦隊の侵攻に備え小島に砲台が設けられましたが、砲台と艦隊の距離や方位を測定する基準となる標識が大角鼻の突端に建てられました。「メートル棒」と呼ばれています。当時、日本は尺貫法が用いられていましたが、日本海軍は英国との関係が深かったことから立標にはメートル単位が刻まれていました。ただ、この立標がどのように実戦で用いられようとしたのか分かりません。なお、元の立標は大正時代に倒壊したため、現存しているのは復旧後のものです。

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 現在では、毎日多数行き来する船の安全を守るために潮流信号所が設けられています。潮流の方向や速さなどが光掲示板で表示されています。

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 そして将来。今、大角鼻の目の前は地元の小学生のトライアスロンの練習場になっています。来島水軍発祥の地から日本を代表するトライアスリートが生まれることを楽しみにしています。

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あっ、先日の難地名「馬刀潟」の読み方は「まてがた」です。

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大角鼻からの瀬戸内の眺め・・・ いいですネ。

足元の水仙の花に、大いに助けられての情感?
此処は、この季節に独り来て佇むが佳きかなぁ
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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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