御台場(今治市)

 『お台場』と言えばここ!
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 いえいえ、お台場と言えばこちらでしょう?
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 こちらは、東京のお台場。今でこそ東京臨海副都心として、商業施設や大手企業のオフィス、高層マンションが立ち並ぶ都内でもトップクラスの人気スポットになっています。しかし、そもそもは江戸時代末期、ペリー艦隊来航後、幕府が海防の為に品川沖のこの場所に砲台を築いたことがその名の由来です。レインボーブリッジの下に見える小さな島がその跡です。品川台場と呼ばれ、それに敬称の『御』を付け『御台場』としてその名が広まりました。ですから、『お台場』は東京固有の地名ではなく、砲台が造られた場所は遍く『お台場』と呼んで差し支えはないかと思います。

 そして今治にも同じ目的で造られた『御台場』があります。海防が目的ですから、当然ことながら海(瀬戸内海)に面しています。

 今治市の南東部の桜井にあります。以前ご紹介させていただいた小島要塞と同時期にロシア艦隊の侵入に備えて造られました。秋山兄弟が松山出身だったということでもないでしょうが、今治周辺には日露戦争当時の軍事施設跡があります。ただ、こちらには小島と異なりその縁を偲ぶものは全くありません。冒頭の写真の小さな石碑だけが唯一の証しです。

 桜井のお台場近くには、菅原道真が大宰府に流される途中、嵐に遭い難を逃れたと言われる場所があります。そこには道真が濡れた衣を乾かすために干したと言われる「衣干岩」、道真を祀った「綱敷天満宮」があります。学問の神様を祀った神社の直ぐ近くに規模は小さいながらも軍事施設が造られたのです。

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 桜井には次回、ご紹介させていただく予定の『唐子台古墳』跡があり、当時としては繁栄していた地だったを思われます。そして昭和の頃は市民の夏の憩いの場だった唐子浜遊園地があり、当時の今治市民には、さしずめ現在の東京の『お台場』のような地?でした。その跡地には廃墟同然の「物産店」の建物が残されているだけです。桜井は、古墳時代から千数百年もの間、盛衰の歴史を見続けています。

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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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