猿飛佐助の産みの母の生まれた地(今治市)

 今、NHKで放映されている大河ドラマ『真田丸』。その主人公でもある真田幸村と言えば「真田十勇士」。その十勇士の中でも最も知られているのは「猿飛佐助」でしょう。ドラマの中では藤井隆さんが演じておられます。その佐助は、これまでにも数多くの小説、映画その他で描かれており、現代でも語り継がれている日本の忍者の代表格でしょう。ですから佐助については改めでご紹介することもないでしょうが、佐助が生まれ育ったのは信州で、最後の活躍の場となったのは大坂。ところが、その佐助の像が、生涯では何の関わりもないように思える今治市に2体あります。決してドラマの人気にあやかったものではありません。では何故、佐助像が今治に?

先ず一体はJR今治駅前のバスロータリーの脇にあります。

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 そしてもう一体は、佐助の生みの母の墓所のあるお寺にあります。

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 佐助については改めてご紹介するまでもないでしょうが、その実態については架空説と実在説があります。
 
実在説としては、「三雲佐助賢春」、伊賀の「上月佐助」、また『清正実記』に書かれている「猿飛仁助」をモデルにしたもの、というものがあります。

一方、架空説としては、『立川(タツカワ)』文庫』によって創造されたというものです。大坂を中心に江戸時代から語られていた佐助は、この『立川文庫』によって全国区になったのではないでしょうか。この『立川文庫』の創始者が今治出身の女性なのです。

 山田敬。明治時代の今治の大きな廻船問屋の女主人でした。働き者の養子の旦那、そして子ども5人に囲まれ、そのままでしたら順風な生涯を終えたのでしょう。ところが明治29年、43歳の時、旅の講釈師「玉田玉秀斎」と駆け落ちをして大阪にでました。当時の不倫は姦通罪。今どきのスキャンダルですら比べ物にならない罪。結果、この廻船問屋は倒産、一族も離散してしまいます。小学校の教員だった長男の阿鉄(オテツ)も離職を余儀なくされます。逃げるように大阪に来た敬は、生計を立てるために阿鉄の助けを受けて玉秀斎の講談を書き下ろした本を貸本屋に卸していました。その書き下ろし本が人気を博し次々と出版を重ねて行きました。
ところがいつの世も人の心は移ろいやすい。明治の終わり頃には貸本屋の講談本の人気も廃れ、立川文庫の講談本も置かれなくなりました。そんな時、意気消沈する玉秀斎を敬は叱咤激励します。そして明治44年、支援をしてくれる出版社が見つかり『立川文庫』が生まれます。
 世は明治から大正へ。新しいネタを探し続けていた阿鉄はある時、他愛のない世間話の中で出た『西遊記』で新しい人物像に思いつきました。「空を飛ぶ猿、孫悟空。その孫悟空が丁髷を結ったら面白い」。立川文庫四十作記念作品『猿飛佐助』が誕生しました。

 勝ち目のない徳川に立ち向かった真田。その家臣として働き消えて行った佐助。その姿は共感を呼び、瞬く間に百万部を突破したそうです。

 その売れ行きを見ながら、敬は大正9年66歳で他界します。山田家累代の墓所は、今治駅から南西へ歩いて10分足らず。少し坂道を上った小さなお寺の境内にあります。

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こちらは今治駅前の像。
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こちらは山田家の墓のある「観音寺」の境内の像。
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同じ猿飛佐助の像でも表情や躍動感が違います。
駅前の像は青年時代の勢い、境内の像は年齢を重ねた老獪さも感じます。


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メール項がトラブル。とりあえずこの欄にて・・・
ラジウム温泉の(ダンスホール)云々の事ですが、
語るには、原稿用紙に向かう程のエネルギーが
要ります〟〟〟(またの機会に)・・・・・

そうねえ、かのダンスホールを友達5人で覗き見
に行って「わいわいがやがや」騒いだのは、18歳。
踊っていたのは、お兄様・お姉様でした。

お元気でいらっしゃるでしょうか・・・・・
戦時は、中学生・女学生だったことでしょう 。



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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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