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瀬戸内海の芸予諸島の中の小さな島にある古城跡。とは言え、天守閣や城郭の跡どころか石垣さえもありません。しかし、目の前は瀬との急流。守るに安く、攻めるに難い城だったでしょう。それ以上に、海を往き来する水先案内人として、そして時には海賊として自在に船を操る水軍の拠点だったろうと思われます。

 岩城島にある小高い丘。ここに城跡があったと知っていて上った訳ではありません。頂には八幡神社があると聞いて、朝イチの散歩に出かけました。

 石段の上り口には鳥居があり、上りきると社がありました。ただ周りは木々に囲まれて海の眺望はそれほど良くありません。

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 境内を一回りすると、「亀山城址」の案内板が立っていました。「あぁ、ここは昔、お城があったのか。」

 案内板によりますと、亀山城の築城は1392年。この年は南北朝が統一された年ですが、南朝最後の天皇が後亀山天皇。特に所縁はないようです。城主として村上義元他、村上姓の4人が挙げられています芸予諸島で村上と言えば村上水軍。1349年頃には既に岩城島からほど近い弓削島で海上警護の任に当たっていたと言われますから、この村上4人も当然、村上水軍の一族でしょう。冒頭にご紹介した、城の位置取りでもよく分かります。

 社殿のある場所が主郭だったそうですが、当時のことですから壮大な天守閣などはなかったはず。主郭を挟んで南北に小さな郭があったようですが、狭い敷地ですから、本宅と離れ見たいな感じでしょうか。

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社の裏側には長い歴史を見続けたであろう樹木が根を張っています。

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社殿への石段だけでなく、坂を上って頂きにでることができます。

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 丘の下の南端、海に面し岩礁ビットがあり、水軍の船の係留地跡とも、また鳥居用の柱穴であったとも言われているそうです。

 木々の合間からも、その流れの激しさが分かる川幅ほどもない海峡は、操船を鍛錬し、水軍として活動するには絶好の場所だったのでしょう。今から700年以上も前、当時の城主はどのような思いで海を見つめ、家臣や島の人たちの生活を守っていたのでしょうか。

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