2011.03.15 他山の石
 ギリギリまで諦めず、努力を続ける。確かに大切なことだ。ただし、その結果が、努力した本人、または特定の集団・組織の中で完結できる(責任を負える)場合に限る、と私は思っている。
 計画停電。電力会社にとって停電と言うのは、理由の如何を問わず避けたいものに違いないはず。そのために、ギリギリまで手立てを考え、実行していく努力をしていく。これは社会的責任を負う企業に勤める人たちにとっては使命感のようなものだろう。その意思や行動は十二分に敬意を表せるものであり、大いに評価されるものだ。しかし。

 東京電力が計画停電を発表したのは12日の夜。首相や担当大臣同席の上で発表された。それだけでも事の重大さは十分に理解できた。不便を受ける気持ちも固まった。私は、仕事でインターネットやメールを頻繁に利用するため停電予定時間を避けて仕事の予定を組まなければならない。相手のある仕事なので先方の都合も考えなければならない。ただ、夜になってから明日の予定の変更。かなりの困難が予想される。加えて、私の住む地域の正確な停電時間が分からない。港北区は9:20~13:00、18:20~20:00の2回、他に横浜市だけの表示で13:50~17:30。これが全て該当するとなれば、ほぼ丸一日、仕事は出来なくなる。その中で、なんとか連絡のとれた先と、限られた時間の中で、できるだけの調整はできた。後は夜が明けてみなければ分からない。

ところが翌早朝、計画停電は行われなくなったとの報道。これは昨夜の大仰な記者会見はなんだったのか。それでも、停電がなくなったことは好ましい。東電も、極力、停電を避けるためにギリギリの作業をしたのだろう。延期した仕事で今日できるようになる仕事はどれか。昨夜のように出来ない仕事を探すより、できる仕事を探すほうが楽だ。

 しかし、更にその1時間後、状況によっては停電を実施することになる、との発表。おそらく、停電しなくて済むのなら、電力を使用したい、という企業、個人が増えたのだろう。一度は停電を回避できそうになった理由は、電力会社で供給量を増やせたのではなく、節電に努めようとした所が多かっただけのこと。

 冒頭に述べたとおり、電力会社の考え方や努力を否定するつもりは全くない。むしろ、これまで電気があることが当たり前と受け止めていたこと、そしてそれを享受するためにどれ程の人の努力や苦労の上にあったか、ということを改めて、知らされた。

 ただ、それとは別に、最初に停電を決めた時点で、その後の状況の変化があろうとも停電を予定通り実施すべきだったのではないか、と思う。二転三転したことで、却って混乱が増した。また、停電は避けられないものとの意識も強まったと思う。

 最後まで、ギリギリまで努力を怠らない。大切なことだ。しかし、組織の中の一員としての立場、周囲との関係がある場合、必ずしも適切なこととは思えない。期限やレベルを区切って、達成できなかった時は次のステップを考える、或いは人の力を借りるなどして、達成できなかったことを最小限にとどめることも求められる。いつまでも達成に拘っていては、却って傷口を広げることもある。 

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8日:スイム 2,700m
9日:スイム 2,500m 
  ラン  4km(自宅~プール)
10日:スイム 2,300m
13日:ラン 8km(鶴見川)
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