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また、お一人。キヨタに大きな影響を与えてくれた文筆家が亡くなられた。

早坂 暁 さん。小説・随筆家としてだけでなく、出発点となった放送家(脚本家)として幅広く活動しておられ、昭和中期の人にとっては、「この作品も!」と思えるほど数多い作品を残しておられます。

早坂さんは、1929(昭和4年)、愛媛県温泉郡北条町風早(現在の松山市)に生まれました。そこは四国の北西部、瀬戸内海に向け三角形に突き出した高縄半島の西側の町。向かいは広島市。ここに生まれ第2次大戦中にここで育ったことが、その後の早坂さんの道が決まったように感じます。それは代表作でもある『夢千代日記』や『花へんろ』からも覗えます。

早坂さんの生家は、へんろ道に面した大きな商家。幼少の頃より多くのお遍路さんと接しておられたようです。『花へんろ』には当時の世相や北条、そしてお遍路さんの姿が描き出されています。

『夢千代日記』の主人公は胎内被爆者。昭和20年8月6日、この時、海軍兵学校防府分校(山口県)にいた早坂さんを訪ねようとして、その前日の午後、北条から広島へ渡り広島市内に宿泊していた「妹」さんが被爆し亡くなりました。

その「妹」さんは、実の妹ではなくお遍路さんに置き去りにされていた幼児を生家が引き取り育てた少女です。兄と慕っていた人と直接の血の繋がりがないことを知った少女は、一人の青年に何を告げに行こうとしていたのでしょうか。

早坂さんは生家の前を毎日通りがかる多くのお遍路さんを描いておられます。そお遍路さんの姿を思い浮かべますと、今、四国で進められている遍路道を世界遺産へ登録しようとする活動は、これまでに世界遺産に登録された地のその後も合わせますと、私は賛同しかねるところもあります。

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そして、唯一の被爆国である日本が核兵器廃止条約に参加しないことも。

半村 良さん、つか こうへいさん。そして早坂 暁さん。学生時代から30歳くらいにかけて、このお三方の作品は殆ど全て読破しました。キヨタの人間形成に大きな影響を及ぼした三人です。日本全国のどれ程の大きな書店にも並べられていないくらいの数の蔵書があります。その最後のお一人が早坂さんでした。久しぶりに年末年始に読み返してみたいと思っています。

 
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 全国各地で行われている「地域おこし」。特に、少子高齢化が進み過疎化しつつつある地方では真剣に取り組まれているようです。

 そこでふと「地域おこし」とはなんだろう、思ってしまいました。

 キヨタの思う地域おこしとは、「洗濯機を回すこと」。そして「他の地域との戦い」だとと思ってしまいます。

 地域が活性化するには、他の地域から来た人に地域にお金を落としてもらう。そしてそのお金を元に新たに人を呼び寄せる機会を増やしていく。その繰り返しではないでしょうか。地域の中だけでお金を回しても現状維持が精一杯。地域内だけで盛り上がっても、現状より拡大することはないでしょう。人の数に限りがあり、多くの地域でイベントをしている。その中で他の地域から人に来てもらうためには、他の地域と競い他の地域以上の魅力を作り知ってもらわなければなりません。

 それを洗濯機に例えてみました。洗濯するには先ず洗濯機に水を溜めなければなりません。これは地域内に元々あったお金です。
 そして洗濯機を回します。これが地域おこし活動です。この活動は継続して行われなければなりません。ただ、何度も洗濯をするためには、その都度、新しい水を入れなければなりません。そうしなければ、やがて水は汚れ、洗濯物に水を吸われ少なくなっていきます。この新しい水を注ぎ込むことこそが、他の地域から来た人にお金を落としてもらうこと、と思います。新しい水を注ぎ込み、次の洗濯をして、また新しい水を注ぎ込む。このくりかえしではないでしょうか。

 あまり「お金」を繰り返していますと、お金が全てではないよ、と言われるでしょう。しかし、現実、人口が減り衰えて行く地域を活性化するのにお金が必要ないとは思えません。

 「地域おこし」は他の地域と戦うことだ、と思うのです。


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2017.11.19 横浜運河巡り
埠頭巡りの続きです。横浜市北東部は、「YOKOHAMA」のイメージとは異なる顔があります。
埠頭や倉庫のある埋立地。
それを囲うよう運河があり、架かる橋には縁起の良い名前が付けられています。

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大黒運河
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えびす橋
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宝運河
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今回見つけられませんでしたが、他にもあるかもしれません。

横浜市南西部の埠頭まで続く貨物専用線もあります。運が良ければ通過する貨物列車に遭遇しますが、コンテナ車ばかりであまり面白味はありません。
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 横浜市の北東端には大きな埠頭が幾つかあります。今回訪ねたのは、その内の二つ。「大黒埠頭」と「出田町(デタマチ)埠頭」でえす。

 朝、家を出る時は日差しがあったのでしまなみ海道「島Tシャツ」で出かけたのですが、風が強く、雲も広がって行ったためサイクリストと出会うことはありませんでした。

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  大黒埠頭は1971年から1990年にかけて埋め立てて造られた島式の埠頭です。横浜市内から埠頭に行くには、高さ20m弱の大黒大橋を渡ります。もともとは自動車や大型建設用機械などを輸送する大型船やコンテナ船用の埠頭です。横浜市内から埠頭への道路は大型トレーラーの通行量が多く、自転車で走る時は最新の注意が必要です。自転車通行可の歩道をゆっくり走るのが安全でしょう。
 そんな大黒埠頭ですが、横浜ベイブリッジの完成と海外クルーズ船の大型化に伴い、ベイブリッジを潜って大桟橋へ寄港できなくなったクルーズ船が、たまに着岸するようになりました。

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 大黒埠頭からは、横浜港越しに横浜市の中心地を望めます。

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埠頭の上をベイブリッジが通っています。

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大黒大橋の上からも横浜中心地が望めます。

 大黒埠頭の先には海釣り公園も設けられ、休日には多くの人が釣り糸を垂れています。

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 次に訪ねたのは、大黒埠頭の南に位置する出田町埠頭。大黒埠頭より一足早い1952年に着工され1963年に完成した埠頭です。こちらも埋立地ではありますが、青果類を主に取り扱っていて、『バナナ埠頭』という愛称もついているようです。
 この埠頭には、船舶関係の仕事に従事していたキヨタの亡父が30年ほど間に横浜に出張で来た時、この埠頭から横浜港沖に停泊していた船に行くための渡船に乗った場所でもあります。ですからこの埠頭は以前から気になっていましたが、今回初めて訪ねてみました。埠頭施設内は関係者以外立ち入り禁止のため、渡船乗場がどこであったか判明しませんでしたが、ここから海を眺めていたのでしょう。

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新居浜船籍の貨物船が停泊していました。亡父の出身が新居浜だったので、これもまた、何かの偶然の縁でしょうか。
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 出田町埠頭の入口にある「波止場食堂」。単品の他、定食や売店もあります。
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 家系ラーメン、500円也。こんな感じのテーブルと椅子が並べられています。7~80人ほどが座れる広さです。
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店内に、昔の横浜港大桟橋の写真がかけられていました。40年前、キヨタがナホトカ行きの船に乗った当時に近い頃でしょう。
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 英語のアルファベットを並べるフレーズはあまり好きではないのですが、毎度、これが届くと感じざるを得ない「SMARTモデル」がいない、と。容姿端麗、性格柔和な人のことではありません。

S=Specific →具体的であること
M=Measurable   →計測可能であること
A=Attainable   →達成可能であること
R=Relevant    →適切であること
T=Time Phased  →期限付きであること

 これは、新しい目標を立てる時や、問題を改善するための指針です。

 今、選挙を前にメディアを通じて、そして街頭で、最近ではSNSで、多くの候補者の方々が様々な政見を述べられています。ただ、SMARTモデルに欠けるものばかりしか目にも耳にも入って来ません。

 今回もまた、SMARTな候補者を見つけるのに苦労します。       


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