朝倉古墳群(今治市) その4 野々瀬古墳群

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 今治市の東南端にある「野々瀬古墳群」。6世紀後半から7世紀後半にかけて造られた円墳群。昭和初期には凡そ100基以上が確認されていましたが、戦後の食糧増産に伴い林が開墾され古墳も破壊されたそうです。現在では20基程の墳丘や石室が残っています。古墳はお墓なので大切に保存されるべきでしょうが、今を生きる人の生活も考えますと、折り合いの付け方は難しいです。

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 その野々瀬古墳群の中で一番大きい「七間塚古墳」。構造や出土品から7世紀前半に造られたとみられています。墳丘の直径は18m、高さは6mです。

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石室の奥行きは9m、高さは2.2mあります。石室の入り口の上に置かれている大きな石に目を惹かれます。それを支える縦に積まれた石組も丁寧に出来上がっています。1,400年の時を経てもなお、揺るぎない姿を見せています。

「五間塚古墳」は二番目に大きく、「王塚」とも呼ばれているそうです。直径は15~16m。
石室への穴を進むと、玄室(石室本体)との境の両脇に縦に袖石が構えられているそうです。
玄室の高さは2.6m、最大幅2m、奥行きは6mもあります。石材は大型の花崗岩が用いられています。

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こちらは大小3つの円墳が肩を寄せ合っています。両親と子供、かな。

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今回、初めて訪ねて来ましたが、朝倉にこのような古墳群があるとは思いもよりませんでした。教科書などに出て来る古墳とは違いますが、古代の人々が死者を祀る思いに違いはないでしょう。今回回った他にも、2か所の古墳群があるようです。それも合わせて、次回はもう少し時間をかけて歩いてみようと思います。


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朝倉古墳群(今治市) その3樹之本古墳と一本松古墳

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 「多岐宮古墳」から県道へ戻り南東へ300m程の所にある「樹之本古墳」。前方後円墳ですから時代的には他の朝倉の円墳より1世紀以上は古いはずで、相応の勢力を持った一族の長のお墓かも知れません。ここからの出土された埴輪などは東京国立博物館にも保存されているほどの貴重な物で、特に「漢式獣帯鏡」には「長相思 母常忘 楽未央」という九文字の銘があるそうです。現物を見てみたいと思います。

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 ただ、古墳の規模は小さく、高さもありません。それと知らなければ気づかず通り過ぎでしまうかもしれません。その古墳の上には近隣にあった浄禄寺を開き、水路を作った尼僧が祀られているそうです。

 「樹之本古墳」の直ぐ近くに「一本松(根上り松)古墳」があります。こちらも小さな円墳で、台風で松の根元から銅鏡が出土したことで発見されました。古墳脇には多岐宮などへの道程を示す石碑があり、この松も一里塚として植えられたのか、とも言われているようです。

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 ここから更に3㎞程南東にある一番規模の大きい「野々瀬古墳群」を目指します。
 

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朝倉古墳群(今治市) その2 多岐神社古墳と禰宜古墳

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 牛神古墳から県道155号線を南東へ200m程進みますと多岐宮への案内板が見えます。それに従い田園の中を山間へ向かって入って行きますと、多岐神社本殿に至ります(由緒ある神社ですが、ここのご案内は別稿で)。

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 神社本殿右脇から雑木林の中へ、探検家になった気分で道なき道を分け入って行きますと東西凡そ300m、南北凡そ100mの範囲に多岐神社古墳群があります。一面、木々落ち葉や折れ枝が地面を覆っていますので注意して下さい。蜘蛛の巣が至る所にありますから帽子は必需品で、足腰や方向感覚に自信のない方は1人では歩かない方が良いかもしれません。また夏でも長袖長ズボンが必要かと思います。

 一見、何気なくみえる雑木林の中には5世紀から7世紀の間に造られた30基ほどの横穴石室を持つ小さな円墳が点在しています。その殆どは高さ、直径とも1m程の小さな古墳ばかりです。一番大きなものでも直径15m、高さ3mほどです。それぞれが独立した古墳というより、神社の裏山全体が大きな古墳で、その中に一つ一つ石室が造られていった、と言う感じもします。少し盛り土された感じの所が古墳ですが、樹木が立っていますから、石室が開かれていなければ、古墳とは気づかないかも知れません。もしかすると、まだ発掘されていない石室があるかも知れません。

手前の石組みが石室の入り口です。

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樹木の根元の盛り上がった所が古墳です。

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 多岐神社の参道入り口付近に禰宜屋敷古墳群があります。6基が確認されていて。多岐神社の禰宜さんがこの近くにあったことから名づけられた、とも言われています。見た限りでは、古墳の上の僅かな部分だけが道路上に現れている感じですが、直径13m程の墳丘だったと推測されているようです。ここから出土された土器などは朝倉古墳館に保存されています。

 ここから500mほど、古墳館へ戻る方角にある樹之本古墳へ向かいます。



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朝倉古墳群(今治市) その1

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 今治市の南東部の田園地帯の朝倉。ここには5世紀から7世紀にかけて造られた古墳が多数あります。古墳と言っても、教科書などに出て来る巨大な前方後円墳ではなく、直径数メートルほどの小さな円墳ですが、その数300基以上もあったと言われています。その内7か所、50基ほどは見学が可能です。

 日本の古墳時代は3世紀半ばから7世紀末頃までと言われています。その内6世紀末まで九州から東北まで各地に前方後円墳が造られました。その後、円墳や方墳などが造られました。ですから、朝倉の古墳群は、古墳時代の後半期に造られたのでしょう。この頃に造られた古墳で有名なものは奈良の蘇我馬子の墓と言われる「石舞台古墳」や壁画で知られる「高松塚古墳」があります。聖徳太子が摂政になったのが6世紀末、法隆寺もこの頃に建てら新しい時代を迎えよとした頃に、その中心地にある飛鳥に残されたものと規模や内装は違うとは言え、これらと同時期に朝倉でも円墳が造られていたことには一入の感慨があります。

さて、古墳巡りに出発します。全てをぐるっと回っても15~20㎞程ですから、ウォーキングでも一日で回れるでしょう。また朝倉地区の他の見どころもあわせてのサイクリングも楽しめます。

 出発は「ふるさと美術古墳館」がよいでしょう。広い駐車場もありますしレンタサイクルも備えられています。古墳館には朝倉で出土された土器や石器などが展示されるなど、朝倉の歴史を一覧することができます(館内の写真撮影は禁止されています)。公園内には宿泊施設、スポーツ施設なども設けられています。

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奈良時代の井戸の遺構が復元されています。深さは80mもあるそうです。
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園内には日本一、スリルのある滑り台もあります。

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 ここから古墳巡りを始めます。北へ2㎞程の所に「牛神古墳」があります。6世紀後半に造られたと推定されている、直径13m、高さ4mの円墳です。横穴式で内部には2つの埋葬遺構があり、ご夫婦で埋葬されたのかも知れません。土器や装身具などが出土され、墳丘に隣接して展示館があり外部から見ることができます。

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ここから南へ1㎞余り、多岐宮古墳と樹之本古墳へ向かいます(続く)。



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ゆめしま海道「カミイチ」サイクリング 最終回

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 生名島から「ゆめしま海道」二つ目の橋、弓削大橋を渡りいよいよ弓削(ユゲ)島へ。ここは通称「honey島」。えっ、honey島?この島は私と同学年で弓削島ご出身の方の愛称がhoneyさん。それが所以でそのお友達の間ではhoney島として知れ渡っています。

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 弓削島は南北に長い島で、北端に標高325mの三山、そこから南へ標高200~300m程の山が三つ連なり島の中央からやや南寄りの狭い平坦部に至ります。ここが島の中心地になります。その南には標高142mの久司山があります。ですから上から見ても横から見ても瓢箪型の島です。

 周囲20㎞程の島ですが、島内の久司山には古墳があり、また平安時代には後白河法皇の荘園となり塩を献上していたそうで、小さいながらも歴史のある島です。

 弓削大橋を渡り、島を時計回りに外周道路を走ります。島の西海岸の北部、凡そ6㎞はほぼ海沿いの平坦なコースです。サイクリングコースを示すブルーラインが引かれ路面も整備されて快調に走れますが、生活道路にもなっているようですので、スピードは控えめに。

途中にある、海水温温浴施設「潮湯」

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 島の北端に至ると、何とUターンの表示。ただ地図を見ますと、そのまま東海岸へ回ることができるようでしたから、取り敢えず直進。

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 ただ、ここから東海岸を経て島の中心部へ戻るまでの7㎞ほどはアップダウンの連続です。93m、65m、そして54mの峠を越えて行きます。ただ、大島の東海岸は峠を越えた都度、一度海岸線に戻るのに対し、弓削島の東海岸は中腹の上り下りの繰り返しなので高低差はさほどでもありません。また道幅も車両が擦れちかえる程度にはあり路面状態も悪くありませんから、トレーニングには適していると思います。残念ながら今回は天気があまり良くありませんでしたが、好天時の高台からの見晴らしは素晴らしいだろうな、と思います。
 
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山羊さんとも出会いましたよ(置き物ではありません)。

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 このコースだけでは物足りない健脚の方は、先ほどのUターン地点から島北部の三山へのヒルクライムも面白いと思います。

 島の中心部の東側の法王ヶ原にある松原海水浴場は白い砂浜と松林が広がる快適な海水浴場です。

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 その松林の中にある「弓削神社」。ここにはこんな大きな丸い石が鎮座しています。さて、この石、何の象徴でしょうか。

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 先ほど、弓削島には古い歴史があるとご紹介させていただきましたが、その歴史の中で、この島の名に関わるのが、物部氏の一族である弓削氏です。ここは奈良時代、弓削氏の荘園でもあったことが由来のようです。弓削氏と言えば、思い浮かぶのが弓削道鏡。8世紀に登場する禅師で、760年代には女性の孝謙上皇(後の称徳天皇)の近くに侍り看病し寵愛を受け、太政大臣から法皇となり権勢を誇り天皇の位まで狙うようになりました。ところが宇佐八幡宮のご神託により皇位に就くことはできず称徳天皇ご崩御により下野の国に下向、そこで没しました。
 ところで、この道鏡に関する大人の伝承として、「道鏡には座ると膝が三つあった」と言う説があります。所謂、巨根。それに因んで、この大きな丸い石が据えられているようです。その呼び名は「金玉石」。
 道鏡の人生からは直接、弓削島との関わりはないようなのですが、弓削氏の荘園だったこともあり法王ヶ原の名と共に伝説を偲ぶ縁となっています。

 弓削神社を後に、島を南下します。ここからは海岸線を離れ約3㎞程、久司山の中腹へと上ります。最高地点は95m。上り終わって1㎞弱の所に、左に折れる海岸線への下り坂があります。
 
 外周コースへ戻り坂を下ると西海岸。ここも生活道路になっていますのでスピードは抑え目に。
 この後、弓削島大橋へ戻り、佐島に向かいます。

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 佐島には外周をぐるっと回るコースはありません。島の北部を回る道はありますが、南部へは東側と西側にそれぞれ道路があり、特に西側の道は3㎞余りのアップダウンを繰り返しますと、かくれビーチと呼ばれる砂浜に出ます。恐らく夏に来ても、殆ど人がいないゆったり過ごせる浜ではないでしょうか。ここから4.5㎞、島の北部へ引き返し三度、弓削島大橋を渡り、弓削の港にもどりました 。

橋ができても、船は島民の貴重な足です。

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 この日は夕方から同窓会があったため、上島四兄弟のサイクリングは半日しか日程がとれませんでした。次回のサイクリングには、時間の余裕を持って、できれば島泊をして、岩城島の積善山や弓削島の三山のヒルクライムにも挑戦し、それぞれの島内をじっくり回ってみたいと思います。

 それとは別に、3月には二人で「ゆめしま海道いきなマラソン」にも参加する予定です。今回とは違った風情と人情に触れあうことを楽しみにしています。

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努力は必ず報われるとは限りません。しかし、努力をしないと何も始まりません。いくつになっても努力を続けステップアップしていたいと思っています。

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